【18】NO?

 

 

~あの男~

 

 

 

~チャンミン~

 

 

僕は廊下に出て通話ボタンを押した。

 

「民ちゃん!

どうした?」

 

『お仕事中のところ、ごめんなさい!

真っ先にお知らせしたいことがあってお電話しました』

 

ゆっくり話せるようにと、僕は給湯室へ足早に移動した。

 

「何かあったの?

大丈夫?」

 

『100%大丈夫です!

グッドニュースです!

ワタクシ...なんと...。

お仕事決まりましたー!』

 

「おー!」

 

僕はこぶしを作って「よし!」と小さくガッツポーズをした。

 

自分のことのように、嬉しかったのだ。

 

一番に知らせたい人物に、僕が選ばれたことが嬉しかった。

 

「お祝いしよう!

今夜、飲みに行こうか?」

 

『えー、昨日も行ったじゃないですか。

いいんですか?

リアさ...』

 

民ちゃんが、僕の『リアと別れる』発言を気にしている。

 

「気を遣ってくれてありがとう」

 

別れを伝えるタイミングに、頭を悩ませていた。

 

いつ、どこで、どのように、リアに打ち明けようか。

 

恋人関係を解消するのは容易くない。

 

住まいを共にしている故に、どちらかが出ていかなければならない。

 

僕か、リアか。

 

昼過ぎに届いた通知内容が頭をよぎる。

 

『口座残高不足により、指定日に振替できませんでした』

 

3か月連続だった。

 

リアからの入金が滞っていた。

 

リアの求める条件に合わせて選んだ部屋だった。

 

リアの収入の方がはるかに多いに違いなかったが、男の意地で家賃は平等に折半しようと決めた。

 

ごく一般的なサラリーマンに過ぎない僕には、あの部屋の賃料を一人で支払い続ける資金力がない。

 

困った。

 

民ちゃんには、あの部屋に住んだらいいと言っておいて、現実的に考えると、あの部屋を維持できないことに気付いたのだ。

 

リアとの同棲生活を解消したら、1LDK辺りにレベルダウンしなければならない。

 

1LDKで民ちゃんと暮らすということは...民ちゃんと同じ部屋で寝る...。

 

無理が...あるな。

 

いくら似ているとはいえ、僕らは他人同士。

 

それに、民ちゃんは...女の子だ。

 

1LDKでは、民ちゃんとの同居は出来ない。

 

民ちゃんとの同居は...無理か。

 

おい、チャンミン!

 

民ちゃんと『一緒に暮らす』前提でいるじゃないか。

 

僕とリアが選んだベッドで、僕と民ちゃんがひとつの枕を分け合って眠っている。

 

ひとつの枕に、同じ顔が並んでいる。

 

同じ顔をして、別々の夢を見ている。

 

僕と民ちゃんは手を繋いでいる。

 

ぼわーんと浮かんだイメージ画に僕は赤くなった。

 

こらー。

 

何、想像してるんだ!

 

髪をぐちゃぐちゃにかきむしった。

 

「ふう...」

 

缶コーヒーでも飲んで、おかしくなった頭を冷まそう。

 

でも...。

 

眠る民ちゃんの顔を見てみたい。

 

きっと、ものすごく可愛い寝顔なんだろう、と思った。

 

 

 

 

リアとのすれ違いの生活は相変わらずだった。

 

リアが帰宅するのは深夜遅くで、夢うつつの中マットレスの反対側が沈み込むのを感じる。

 

僕にすり寄ってくることはもう、なかった。

 

安堵したけれど、かすかな寂しさも心をかすって、リアへの気持ちがまだ残っているのでは?とうろたえる。

 

リアに別れを告げられるだろうか。

 

気持ちは固まったのに、リアの反応を想像すると身がすくんだ。

 

罵りの言葉、非難の言葉をたっぷりと浴びせられるだろう。

 

大丈夫、耐えられる。

 

これまでの生活を清算したいんだ。

 

彼女のドレスをクリーニングに預け、彼女の下着を洗濯し、彼女が必要とする栄養素を含んだ食材で冷蔵庫を満たした。

 

トイレットペーパーを買い置きし、加湿器の水を補充し、髪の毛が散らばる洗面所を掃除した。

 

家の中をきちんと整えることは、僕の性に合ってるから苦じゃない。

 

気紛れに求められた時、セックスの相手をした。

 

ムラムラした時に、たまたま近くにいたのが僕だった、みたいに。

 

ムシャクシャした気持ちをぶつけるためのセックス。

 

昨夜リアに押し倒されたときに、気付いた。

 

僕にも心がある。

 

僕は恋人なんだよ。

 

リアのハウスキーパーじゃない。

 

この部屋に暮らし始めた当初、僕とリアの間で確かに燃えていた恋の炎は、数か月で勢いを失い、さらに数か月を経た現在は消える一歩手前。

 

2人仲良く穏やかな暮らしをしたかったのは、僕だけだったんだ。

 

僕は、二人で共にする行為の中から幸せを見つけるタイプの人間だ。

 

ところが、リアはそうじゃない。

 

リアにとって、あくびが出るほど退屈な生活だったんだろう。

 

僕らは相性がよくなかっただけのこと。

 

リアを責められない。

 

とっくの前に、リアの生活から僕の存在は閉め出されていた。

 

僕から同棲解消を切り出されても、あっさりと首を縦に振ってくれると思った。

 

 

 


 

 

僕と民ちゃんとの生活は順調だった。

 

料理の腕は上達の兆しゼロで、オムレツという名のスクランブルエッグを毎朝食べた。

 

パセリが入っていたり、チーズを混ぜていたりと、バリエーションを意識している姿が、微笑ましい。

 

民ちゃんの就職が決まった日の夜、外で飲むのを止めて(民ちゃんの要望で)、宅配ピザを頼んで自宅飲みした。

 

リアは仕事に行ったのか不在だった。

 

「お仕事、頑張りますね」

 

僕らはソファにもたれて、ローテーブルに2枚並べたLサイズピザをつまみにしていた。

 

ウキウキ浮かれた民ちゃんは終始笑顔で、左右非対称に目を細めていた。

 

「どんな会社なの?」

 

「うーんと、その人が一人でやってるところです」

 

「仕事内容は?」

 

「アシスタントです」

 

「何をアシストする仕事なの?」

 

「実はー、よく分かんないです」

 

「そんなんで大丈夫なの?

怪しい仕事じゃないよね?」

 

「ご心配なく。

ちゃーんとした人ですから」

 

ほろ酔い民ちゃんは、口をとがらせて僕の肩を押す。

 

「民ちゃん!」

 

民ちゃんの力が強くて、僕は手にしたビールを傾けてしまった。

 

「もー」

 

「ごめんなさい...」

 

「仕事始めはいつから?」

 

「来月からです。

お義姉さんの出産日がもうすぐですしね。

カット・コンテストのバイトもあるので、それまでは週に3日、時短でいいって融通してもらいました」

 

「カット・コンテスト!?」

 

民ちゃんは、両手で口を覆っていた。

 

初耳だった。

 

「内緒にするつもりが...!」

 

「どうして内緒にする必要があるの?」

 

「恥ずかしかったからです」

 

カット・モデルに採用された経緯を説明してもらった。

 

「それのどこが恥ずかしいの?」

 

「だって...。

『背が高いだけで選ばれたんだろ?』ってからかわれたくなかったから...」

 

民ちゃんは立てた両膝に顔を伏せてしまい、語尾が消え入りそうだった。

 

恐らく民ちゃんは、身長のことをさんざんからかわれてきたんだろうな。

 

「僕はからかったりしないってこと、知ってるでしょ?」

 

「そうでしたね」

 

民ちゃんはむくりと顔を上げ、長い前髪がはらりと片目を覆った。

 

僕の手を出す前に、民ちゃんは前髪を耳にかけてしまった。

 

残念。

 

「びっくりしてくださいよ。

男のモデルじゃなくて、女のモデルとしてですよ。

あの美容師さんは...Kさんって言うんです。

私のことを『女そのもの』って言ってくれたんですよ、うふふふ」

 

両手で顔を覆って肩をよじる仕草が、可愛いったら。

 

女性として扱われて余程嬉しかったんだな。

 

民ちゃんの後頭部を撫ぜる僕の心に、優しい想いが満ち満ちた。

 

「チャンミンさんに、写真見せてあげますね」

 

「写真?

コンテストはいつなの?

応援に行きたい」

 

「再来週です。

でも...平日なんです」

 

「そっかー。

残念」

 

「写真を見せてあげますね」

 

民ちゃんのくせ毛の襟足や、細くて長い首は、僕も同じものを持っているはずなのに。

 

無防備に僕の目前にさらされたそれに色気を感じて、僕の体温が1度上がったような気がした。

 

 

 

(つづく)

 

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