【1】彼女との出逢いー僕を食べてくださいー

 

 

「もっと吸って」

 

彼女に懇願していた。

 

「もっと...もっと吸って」

 

うわ言のように繰り返した。

 

「お願いだ...吸って...!」

 

彼女のためなら命を失ってもよかったんだ。

 

 


 

大型連休に突入し、多くの同級生たちが家族の元へ帰省していった。

 

僕の場合、行きたいところもない、欲しい物もない、そんな鬱々とした気分だった。

 

かといって、一週間も寮でゴロゴロ過ごしていたら、ますます気持ちが沈み込みそうだった。

 

皆にならって、僕も帰省することにしたんだ。

 

1時間に1本、普通列車がやっと停まる寂れた駅に降り立った。

 

しとしとと雨が降っていた。

 

閉鎖してしまった観光案内所と公衆トイレがぽつんとあるだけの、駅のロータリー。

 

当然のごとく客待ちのタクシーなどないし、ばあちゃんには帰省することを伝えていなかったから、迎えの車もない。

 

荷物はリュックサック1つと身軽だった僕は、徒歩40分くらい歩いて向かうことにした。

 

濡れようが、濡れまいがどうでもよかった。

 

それくらい、自分に対して投げやりになっていた。

 

10分も歩かないうちに、スニーカーの中がぐずぐずに濡れてきて、歩を進める度にキュッキュッと音をたて始めた。

 

ささやかな商店街を抜け、水田を貫く片側一車線の道を20分も歩くと、針葉樹の木立の中だ。

 

間伐されていないせいで、木々は密集しており、伸びるに任せた枝が空を覆っている。

 

緑のコケに覆われた幹が連なる薄暗い道を、黙々と歩き続ける。

 

生い茂るシダから滴がぽたぽたと落ちていた。

 

茶色い杉葉がアスファルトのあちこちにへばりついている。

 

危険を感じる間もなかった。

 

背中に衝撃を感じた。

 

景色がぐるっと回転したのち、一瞬目の前が真っ暗にになって、視界に光の粒がチカチカと瞬く。

 

僕は硬い地面に叩きつけられていた。

 

雨粒が、仰向けになった僕の顔をたたく。

 

悲鳴すら出せなかった。

 

そして、真っ白い顔が僕を見下ろしていた。

 

一切の音が消滅して、痛いくらいに心臓が拍動するドクドクと音をたてている。

 

喉の奥でせき止められていて、言葉は出ない。

 

僕を見下ろす一対の瞳は、これ以上はないほど真っ黒だった。

 

逆光だったにも関わらず、肌は青白く光っている。

 

女だった。

 

非常事態にも関わらず、唯一血色を感じられる目尻が妖しかった。

 

僕は、この女にタックルされ、突き倒され、組み敷かれていた。

 

なぜ?

 

なぜ?

 

僕の頭はクエスチョンだらけ。

 

地面に打ち付けられた背中が、ズキズキと痛んだ。

 

彼女の白い指が、僕の肩に食い込んでいた。

 

肩を押さえつけていた片手が、僕の喉にかかる。

 

冷たい、冷たい手のひらだった。

 

彼女の指の下で、ぼくの頸動脈が脈々としているのが分かった。

 

恐怖のあまり、しゃくりあげるような呼吸がやっとだった。

 

彼女は蒼白な唇の片側だけで微笑む。

 

彼女の顔が近づいてくる。

 

どこかで見たことがある、という考えが頭の片隅をかすめた。

 

僕が覚えているのは、ここまでだ。

 

彼女の唇が、僕の左首筋に押し当てられた。

 

溶けかかった氷のような感触だった。

 

 


 

 

大の字に寝ていた。

 

ここは...どこだ?

 

頭だけを動かして、周囲を見回す。

 

見上げると、太い鉄骨の梁、外の光を透かしている波板トタン。

 

鉄工所のような場所だった。

 

僕は、真っ白なマットレスの上にいた。

 

砂埃だらけのコンクリート床の上に、直接置かれている。

 

手足をためつすがめつしてみたが、怪我は...していないようだ。

 

上体を起こして、初めて気づく。

 

下着だけの、裸だった。

 

着ていたTシャツもデニムパンツも、近くに見当たらなかった。

 

ますます、訳が分からなくなった。

 

「おはよう」

 

彼女がマットレスの端に腰かけていた。

 

背中まである長い髪。

 

前髪は眉毛の上で切りそろえられている。

 

アルビノのように真っ白な肌と、睡眠不足みたいなクマ。

 

長いまつ毛の下には、青みがかった墨色の目。

 

整った小さな鼻。

 

魔女みたいな黒い、ゆったりとしたワンピースを着ている。

 

そこだけポッと紅い目尻を細めて、僕のことを興味深そうに舐めるように見ていた。

 

そして、ファストフードでよくあるような、LLサイズのカップに差したストローをくわえている。

 

「えっと...?」

 

彼女の顔を見て、冷たい唇の感触を思い出した。

 

左首筋に手をやったが、怪我の気配はない。

 

「何もしていないから」

 

クスクスと彼女は笑った。

 

「貴方の名前は?」

 

「チャ、チャンミンです」

 

「ふぅん、変わった名前ね」

 

「僕は...どうしてここに?」

 

「私が連れて帰ったの」

 

どうやって?

 

抱えて?

 

そんな小さな身体で?

 

なぜ?

 

常識的な疑問が次々と湧いてくる。

 

「美味しそうだったから、連れて帰ったの」

 

美味しそう?

 

僕は絶句する。

 

「ゆっくり味わおうと思って」

 

味わう?

 

頭がおかしい人なのかもしれない。

 

「貴方って、美味しそうなんだもの。

食べちゃおうとおもったけど、もっと美味しく育ててからにしようと思って」

 

「食べる?」

 

「そう」

 

食べるって?

 

育てるって?

 

意味が分からない。

 

彼女の瞳が、群青色に変わっていた。

 

 

「美味しそうね。

少しだけ食べさせて?」

 

「え?」

 

さっと空気が動いたかと思うと、

 

強引に両ほほを押さえつけられ、僕の唇に彼女の唇が押しかぶさった。

 

冷たい唇、けれど柔らかい唇。

 

息が出来ず口を開けたすきに、彼女の舌が僕の口腔内にぬるりと侵入してきた。

 

僕の思考は止まった。

 

鉄の味がした。

 

彼女の舌がぐるっと僕の口の中なぞる。

 

僕の舌はくわえられて、彼女の歯があたる。

 

彼女の口から漂う、甘い香りに酔った。

 

息ができない。

 

でも、気持ちがいい。

 

頭の芯がじんじんと痺れる。

 

全身にぞくぞくと震えが走った。

 

気付けば、僕は彼女の首を引き寄せていた。

 

突然、彼女は僕を突き放した。

 

その勢いで、僕はマットレスに仰向けに倒れこんでしまった。

 

息が荒い。

 

「美味しい。

今日のところは、これくらいにしておくね」

 

彼女は、息が止まってしまうほど、甘い微笑みを見せた。

 

「ごめんなさい。

血が出ちゃったね」

 

「あ...」

 

口の中が、鉄の味でいっぱいだった。

 

舌先がじんと痛い。

 

僕の血がついた唇は赤く染まり、瞳は漆黒に変わっていた。

 

「......」

 

彼女のキスで、僕の中の何かに火がついた。

 

彼女の視線が、僕の顔から胸、腹と移り、腰までいくと止まった。

 

「あなたの洋服はまだ乾いていないの。

こんな天気だから」

 

トタン屋根を叩く雨音が、うるさいくらいに反響していた。

 

立ち上がった彼女の動きで、さっき嗅いだ甘い香りがふわりと漂った。

 

巨大な鉄骨の向こうにいったん消えると、僕の服を腕にかけた彼女が戻ってきた。

 

「濡れてて気持ち悪いだろうけど、服を着て。

もう帰っていいわよ」

 

ぱさりと僕の膝に洋服が投げられる。

 

それらに手を伸ばす気はなかった。

 

嵐のような欲情が、僕の中で吹き荒れていた。

 

僕は、とても、興奮していた。