【最終話】僕を食べてください

 

普通の恋人同士みたいなことをしたいと望んだ僕が間違っていた。

 

キキがあまりにも人間みたいな姿形をしているから、キキが時折見せる優しさに僕は多くのことをうっかり期待してしまう。

 

花火を見に行こうと誘ったとき、キキは渋い顔をした。

 

この日は、処理場まで空のポリタンクを返しに出かけ、その帰り道で林の中で交わった。

 

僕が弱ったキキを犯してしまった場所で。

 

幹に両手をついて屈んだキキの背後から、僕は腰を叩きつけていた。

 

頭上からセミの鳴き声がわんわんと響き渡っていた。

 

熱くなった身体を冷やすため谷川に身を浸しながらも、僕らは交わった。

 

気怠い身体でマットレスに横になっていた時、僕はキキを花火大会に誘ったのだ。

 

「人混みは好きじゃない」

 

キキは首を横に振った。

 

「でも、夜だし、

きれいに見られる絶景ポイントがあるんだ。

誰も知らない場所だし、

暗いし...」

 

必死な僕の様子に根負けしたキキは、僕の頭を撫ぜると「分かったよ」と頷いた。

 

X5に乗り込もうとするキキを制して、「歩いて行こう」と。

 

キキと2人並んで歩いてみたかった。

 

普通の恋人同士のように手を繋いで。

 

「仕方がないなぁ。

私の足腰は丈夫だけど、チャンミンの方こそ大丈夫なの?

ま、いいわ。

その時は私がおぶってやるから」

 

隣を身軽な足取りで歩くキキに見惚れる。

 

神様がこしらえたかのような美しい人形...喋って、歩いて...。

 

月明かりに照らされたキキの青白い頬にキスをする。

 

くすぐったそうにキキは笑い、僕の手を強く引き寄せて、よろめいた僕の唇を塞ぐ。

 

懐中電灯は後ろポケットに突っ込んでいた。

 

キキがいるから夜道も怖くない。

 

僕の手の中にキキの小さな手はすっぽりとおさまっている。

 

心の底から僕は...幸せだった。

 

ぱっと山が白く光った。

 

木々の枝葉がくっきり分かるくらい照らす。

 

遅れてどーんという轟音が響く。

 

「あがった!」

 

山と山の隙間から白い光の粒が、ぱらぱらと音をたててこぼれ落ちる。

 

「へぇ...いい場所だね」

 

ガードレールにもたれたキキのワンピースが、ぼうっと白く浮かぶ。

 

毎年、僕はこの場所で両親と花火を見ていた。

 

当時の僕は、花火よりも出店のりんご飴や水風船に心惹かれていたから、花火が終わるのを今か今かと待っていた。

 

視界が開けたここは花火の全景を見ることが出来る。

 

花開く爆発音が、山々に反響する。

 

「帰りに買ってあげるからね」

 

虫よけスプレーをたっぷりと吹きかけられた脚を、アスファルトの上に投げ出していた僕に母は声をかけた。

 

「やった!」

 

無邪気だった僕は、飛び起きて車に乗り込んだ。

 

花火見物の後、祭り広場まで向かう道中で僕らの車は事故に遭ったのだ。

 

通り過ぎる車のライトが、僕らを舐めるように照らし出していく。

 

「奇妙に思わないかしら。

夜半に山道を歩く者がいるなんて?」

 

「今夜は花火大会だから、似たような人たちがぞろぞろ歩いてるよ。

だから、気にしなくていい」

 

「ふうん」

 

さっと僕らをかすめるように、1台の車が走り去った。

 

「危ないなぁ」

 

「ここの峠道は走り屋たちの聖地なんだよ」

 

ブレーキ音をきしませながらカーブを曲がる度、山のあっちこっちとライトが光で木々を照らしている。

 

「縦に並んで歩こうか」

 

「そうね」

 

閃光が僕の視界を奪った。

 

「チャンミン!」

 

どんと背中を突き飛ばされた。

 

ブレーキ音と鈍い音。

 

ガードレールに腹を打ち付けた僕は、首がもげるほど素早く振り向いた。

 

道の中ほどに、白い塊が転がっていた。

 

手足が奇妙な格好に折れ曲がっている。

 

光に弱いキキの目は眩んでしまっていたんだ。

 

だから、敏捷に動けなかった。

 

のろまな僕が近くにいたから。

 

どうして歩いて行こうなんて言ったんだろう。

 

花火大会に誘った僕が悪かったんだ。

 

「キキ!」

 

凶器となったその車は、タイヤをきしませて走り去ってしまう。

 

追いかけようとか、ナンバーを記憶しようとか、そんな余裕はゼロだった。

 

僕の腕の中でぐったりとしたキキを、揺さぶった。

 

「キキ!」

 

懐中電灯で、キキの身体をあらためた。

 

長い髪がぐっしょりと濡れている。

 

「ああ...キキ...!」

 

ごぼっと嫌な音がして、キキの口から血が噴き出した。

 

「ああ...キキ...なんてこと...」

 

キキの血の色は、僕と同じ色。

 

病院には連れていけない。

 

僕はキキをおぶって、廃工場までの500メートルの距離を歩く。

 

ぞっとするほどキキは軽かった。

 

マットレスの上にキキを下ろした僕は、キキの損傷を確かめる。

 

凹んだ側頭部から、血があふれ出ている。

 

「キキ!」

 

キキの頬を叩く。

 

「ああ...」

 

かすれた声と共に、うっすらと目を開けた。

 

人間だったら即死だっただろう。

 

よかった...キキが人間じゃなくて、本当に良かった。

 

でも...。

 

キキの瞳の色が、淡い水色になっていた。

 

生き物が棲めないほど透明に澄んだ池のように。

 

ここまで明るい瞳の色は、初めて見た。

 

どう猛な気性の時は黒く、悦びと好奇心に満ちると青に近づく。

 

白に近づくと...キキはどうなってしまうんだ?

 

出血がひどい。

 

「キキ!」

 

僕は手首の内側を、キキの唇に押しつけた。

 

「キキ!

噛みつくんだ!」

 

力がみなぎるという、人間の生き血だ。

 

「やめろ、チャンミン!」

 

キキはイヤイヤをするように、小刻みに首を振った。

 

「やめろ...」

 

キキの唇に力いっぱい手首を押しつけたが、彼女は顔をそむけ、唇を引き結んでしまった。

 

「噛め!」

 

キキは口を開けない。

 

僕は勢いよく立ち上がると、事務室のスチール製デスクの引き出しを、かきまわした。

 

キキを助けないと!

 

3つ目の引き出しで目的のものを見つけると、キキの側に戻った。

 

カッターナイフで、容赦なく手首を切りつけた。

 

カッと焼けつくような激痛が走った。

 

肘をつたった血がぼたぼたっとマットレスに染みを作る。

 

僕はどうなっても構わなかった。

 

キキを死なせるもんか。

 

砂を噛むような毎日だった僕の世界に、突如現れた女神。

 

最初は、肉体だけの繋がりだった。

 

彼女がもたらす快楽に溺れ、それを愛だと勘違いしていた。

 

でも今は、違う。

 

キキの首の下に腕を通し、身体を起こす。

 

温かいものが僕の腕を濡らしていく。

 

僕の力では到底かなわないほどの、力強かったキキの腕はだらんと垂れたまま。

 

「キキ!」

 

僕に揺すられるがままのキキ。

 

キキの呼吸は弱弱しく、うっすらと開いたまぶたの下の瞳はうつろだった。

 

顎をつかんで無理やり唇を開かせ、その隙間に手首から滴るものを含ませる。

 

「飲め!」

 

僕の声が、廃工場に響き渡る。

 

キキの口内に指を突っ込み、彼女の舌に僕の血をなすりつける。

 

キキの喉は動かない。

 

飲むことを拒否している。

 

赤い血は、キキの顎と首を汚すばかりだった。

 

「キキ!

お前は強いんだろ?

力も凄いじゃないか!

僕の10倍の寿命なんだろ?」

 

そこまで言って、僕の胸がぞくりとした。

 

永遠に生きるとは言っていなかった。

 

だから、キキもいつかは死ぬということ。

 

「嫌だ!」

 

僕はキキの頭をかき抱き、ぐっしょりと血で濡れた髪を撫ぜた。

 

「僕を置いていくな!」

 

キキの唇がかすかに震え、僕はその声を聴きとろうと耳を寄せる。

 

「チャンミン...」

 

「うん、うん」

 

「チャンミン...」

 

「うん」

 

「私の夢は叶ったよ」

 

「夢?」

 

「愛する恋人の血を今、吸っている」

 

「キキ!」

 

吸ってなんかいないくせに。

 

これっぽっちも、飲み込んでいないくせに。

 

「ありがとう」

 

キキの美しい水色の瞳は、まぶたで隠されてしまった。

 

「嫌だ、嫌だよ」

 

手首をもう一度、キキの唇に押し付けた。

 

「吸って」

 

絞り出すように、肘から手首に向かって腕をごしごしとこすった。

 

 

「吸って」

 

彼女に懇願していた。

 

「もっと...もっと吸って」

 

うわ言のように繰り返した。

 

 

「お願いだ...吸って...!」

 

彼女のためなら命を失ってもよかったんだ。

 

 

「お願いだから、吸うんだ!」

 

僕の目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 

 

「あなたを食べるのは止めにしたの」

 

 

キキは目をつむったまま、ゆるゆると首を振るばかりだった。

 

 

「僕を食べて!」

 

 

僕は叫ぶ。

 

 

「お願いだ...僕を...。

 

僕を...。

 

食べてください...」

 

 

僕の哀願を聞いたキキは、うっすらと笑った。

 

「その気持ちだけ、頂戴するよ」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

僕は34 歳になっていた。

 

あの夏から10年が経った。

 

ばあちゃんの3周忌の法要に帰省していた。

 

色褪せたブルーのX5を繰って、砂利道を進む。

 

日差しが強い。

 

僕はサングラスを外し、スーツの上着を脱いで助手席に放った。

 

涼しい車内から外に出ると、むっとした草いきれに包まれる。

 

僕に刻印を残したあの人。

 

前庭は背丈のある草で覆い隠され、ツタの絡まる廃工場。

 

そっと手首をなぞる。

 

廃工場のさびついたシャッターは閉まっている。

 

僕の革靴が、雑草をかきわける。

 

裏手に回ると、谷川が流れる涼し気なせせらぎが聞こえる。

 

鮮やかな赤いワンピースが風にひらひらとはためいている。

 

10年前と変わらない、若く美しい女性がほほ笑んだ。

 

僕もつられてほほ笑む。

 

サングラスの下の小さな鼻。

 

口角をキュッと上げて笑っている。

 

「チャンミン」

 

「キキ」

 

よかった、今日もキキはいた。

 

 

 

あの日のことを思い出す。

 

僕は捕食者になったつもりで手首から噴き出す血をすすり、口いっぱいに含むとキキに口づけた。

 

キキの食いしばる顎は力は弱く、こじあけて流し込んだ。

 

何度も。

 

すすっては、キキの中へ注ぎこむ。

 

何度も。

 

キキの喉を、ザクロの果汁が滑り落ちていく様を想像しながら。

 

キキの喉が、こくりと動いた。

 

 

 

 

僕は滑らかな手首を、もう一度撫ぜた。

 

僕は未だに、狂っているんだ。

 

赤いワンピースの腰を僕は抱き寄せる。

 

僕は死ぬまでキキと一緒だ。

 

君の為なら、僕はいつでも食べられるから。

 

 

(おしまい)

 

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