(1)ハグを邪魔されて ー年下のくせにー

 

 

ひっきりなしに浴びせられるお湯に、チャンミンは閉口していた。

 

のぼせて頭がくらくらしていた。

 

湯船に潜水していたケンタが、にゅうっと水中から頭を出した。

 

「おじちゃん、どうして毛が生えてるの?」

 

「えっ!?」

 

「僕んのは、つるつるなのに」

 

ケンタが大股を開いて、腰を振る。

 

(勘弁してよ)

 

チャンミンは、やれやれといった風に首を振った。

 

「おじちゃんも結婚してるの?」

 

「してないよ」

 

「じゃあ、なんで毛が生えてるの?」

 

「えっ?」

 

(ミミさん...この子らは意味不明なことを言って僕を困らせるんです)

 

洗い場で髪を洗っていたソウタも、チャンミンの方へお尻を見せて振る。

 

(ったく、小学生男子ときたら)

 

「お父さんも毛が生えてるだろ?」

 

「おじちゃん、知らないのー?」

 

ケンタとソウタはゲラゲラ笑った。

 

「結婚すると毛が生えるんだぜ」

 

「はあ?」

 

「とぅっ!」

 

盛大な水しぶきをあげて、ソウタが飛び込んできた。

 

いったん底まで沈んだソウタが、湯船の底を蹴ってばねのようにジャンプする。

 

大揺れしたお湯が縁から、ざざーっと洗い場に流れ落ちた。

 

(結婚したら毛が生える?

小学生男子の会話は、理解不能だ)

 

「おじちゃん、ミミちゃんと一緒に風呂入ったことある?」

 

「はぁ?」

 

(ないですよ。

悲しいことに、ないですよ。

お風呂どころか...お風呂どころか...)

 

チャンミンは、ぶくぶくと鼻まで湯につかった。

 

大家族の湯舟は十分広かったが、背の高いチャンミンの曲げた膝は突き出ている。

 

「俺、入ったことあるもんね」

 

「いいなぁ」

 

小学生相手に、心底羨ましがるチャンミンだった。

 

ケンタとソウタは得意そうだ。

 

「ミミちゃんも毛が生えてるんだよ」

 

「!」

 

チャンミンはすぐさま想像してしまって、赤くなる。

 

(ううっ...刺激が強いです。

僕はまだ、見たことがないです)

 

「結婚したから、毛が生えたんだぜ」

 

チャンミンの視界が霞んできた。

 

(ミミさん...頭がぐらぐらします...)

 

「ソウタ!ケンタ!

いつまで入ってるのー!」

 

浴室ドアの曇りガラスに人影が写り、がらりと開いてミミが顔を出す。

 

「お兄さんを困らせてるんじゃないでしょうね?」

 

「ミミちゃーん!」

 

ソウタとケンタは、タオルを広げたミミに突進していった。

 

「ちゃんと身体拭いてってよー!」

 

ミミの制止むなしく、びしょ濡れのまま彼らは駆けていってしまった。

 

湯船にひとり残されたチャンミンの顔は、茹でだこのように真っ赤だ。

 

「ごめんね、ゆっくりできなかったでしょ?」

 

チャンミンは前も隠さず、ざぶりと立ち上がった。

 

「!」

 

「ごめんなさい...ギブアップです」

 

そうつぶやいたチャンミンは、ミミの膝めがけてどうっと倒れこんだのだった。

 

意識を失う直前、チャンミンの頭にちらっと違和感がかすめていた。

 


 

チャンミンは、ミミの故郷に来ていた。

 

実家を継いだミミの兄家族、両親、祖父母の9人の大家族。

 

ミミには妹が一人いるが、彼女は近所の家に嫁いでいた。

 

ミミの甥っ子にあたる、カンタ、ソウタ、ケンタは、訪れたチャンミンを見ていい遊び相手ができたと目を輝かせた。

 

チャンミンを『おじちゃん』と呼んで、射的の的にし、

小学生とはいえ3人まとめて背中にしがみつき、

かくれんぼでは3人の鬼になって追いかけまわし、

初日で既にチャンミンは疲労困憊だった。

 

「僕は若い男ですよ。

おじちゃんじゃないです!」

 

チャンミンは、煎餅をかじりながらぷりぷり腹をたてていた。

 

行儀よく正座をして、座卓が低すぎて猫背気味になっている姿が、なんとも可愛らしいのだ。

 

「あの子らは、僕をおもちゃにするんですよ!」

 

三人にさんざん髪をひっぱられて、ボサボサ頭になっている。

 

頭をよしよしとなぜたい衝動を抑えて、ミミはチャンミンをなだめる。

 

「まあまあ、チャンミン。

子供相手にムキにならないで、ね?」

 

「仕方ありませんね。

ミミさんに免じて許します」

 

すると、チャンミンの顔がふにゃふにゃと緩んだ。

 

「ケンタ君たちのおもちゃになるのは勘弁ですけど、

ミミさんのおもちゃには喜んでなりますよ」

 

「チャンミンが言うと、いやらしく聞こえるんですけど...?」

 

「ぐふふふ。

ミミさんも、エッチですぇ。

何を想像していたんですか?」

 

「こらっ!」

 

「ぐふふふ」

 

「こらー!」

 

赤くなったミミはチャンミンをくすぐろうと飛びつこうとし、チャンミンはそれから逃れようと後ろに身をひいた。

 

ミミは、寝っ転がったチャンミンの脇をくすぐった。

 

「あははは。

くすぐったいです」

 

「これはどうだ!」

 

身をよじるチャンミンを、もっとくすぐってやろうとミミは、チャンミンの腕を押さえつけていたら...。

 

「夕飯が出来た...」

 

ふすまが開いて、ミミの母親セイコが顔を出した。

 

「わっ!」

 

はじかれたように、離れる2人。

 

「みんな待ってるから、早く居間に来なさい」

 

コホンと咳ばらいをしたセイコは、ぴしゃりとふすまを閉めて客間を出て行ってしまった。

 

「......」

 

 


 

チャンミンがミミの実家まで連れてこられたのは、チャンミンが「ある役」に抜擢されていたからだった。

 

ミミの故郷では、この季節になるとお祭りが執り行われる。

 

過疎化が進む田舎町にありがちな人員不足の影響で、御旅(祭り行列)へは全員参加だ。

 

各家で、山車、闘鶏楽、ひょっとこ、鬼、巫女さん、稚児さん、太鼓、雅楽隊、旗持ち、獅子...など、役が割り振られている。

 

ところが、ミミの兄リョウタが祭りの2週間前に、修繕のため登っていた屋根から転落し、足を骨折してしまったのだ。

 

地区の中で余っている成人男性はいない。

 

町中の神社でいっせいに祭りが執り行われるため、他地区に住む親せきに応援を頼めない状況だった。

 

そこで、実家から

「ミミ!

お前の彼氏でも男友達でも誰でもいい!

連れてこい!

日当は出してやるから」

 

そんな無茶な要請を受け、ミミはチャンミンを連れて馳せそんじることになったわけである。

 


 

「絶対に嫌です!」

 

「アルバイト代を払ってくれるって」

 

はっきり、きっぱり断ったのに、ミミさんの手を合わせての「お願いポーズ」にやられてしまった。

 

「ほら、この前の旅行のやり直しだと思って、ね?」

 

「おー」

 

初めての旅行では、熱を出してしまって、観光することも、ミミさんと熱い夜を過ごすこともできなかった。

 

そんなわけで、僕はミミさんの甘い誘いにのってしまった。

 

僕はとことん、ミミさんに弱いのだ。

 

ミミさんも僕には甘いから、いい勝負。

 

僕とミミさんは似たもの同士だから、仲良しなんです。

 


 

「ひとつだけ条件があります」

 

チャンミンは、ぴんと人差し指を立てた。

 

「どんなお願いか、怖いんですけど...?」

 

「ミミさんのお父さんと同じ部屋で寝るなんて、嫌ですからね。

ミミさんと、同じ部屋で寝ること!

 

これが条件です!」

 

チャンミンの子供っぽい要求に、ミミはチャンミンの頭を抱き寄せて、よしよししたくなった。

 

(なんて、可愛い子なの、この子は?)

 

ところが、家族にチャンミンを引き合わせた時、

 

「ミミ...お前、

高校生なんか連れてきて...」

 

と、チャンミンを一目見て絶句してしまった。

 

チャンミンが実年齢より若く見えることは承知の上だったが、まさか高校生と間違われるとは。

 

「違うって、彼は大人だから。

彼は職場の後輩なの」

 

苦し紛れなことを口に出してしまったミミ。

 

(ミミさん!)

 

隣に立つチャンミンは、ミミのブラウスを引っ張る。

 

(チャンミンは黙ってて!)

 

ミミは、チャンミンの手を払う。

 

目を丸くした彼らに、「お付き合いしている人です」とミミは言い出せなくなってしまった。

 

(知らない人から見れば、やっぱり私たちは、ちぐはぐなんだ)

 

若すぎるチャンミンと自分との年齢差に、ますますミミは自信をなくしてしまった。

 

ミミの部屋に入った途端、それまで愛想笑いを浮かべていたチャンミンが、険しい目をしてミミに詰め寄る。

 

「どうして『彼氏です』って紹介してくれないんですか?」

 

「ごめんね、チャンミン」

 

納得がいかないといった風のチャンミンは、ミミを睨みつける。

 

「会社の後輩って、どういうことですか!」

 

「チャンミンが若すぎて、お父さんもお母さんもびっくりしてたから...」

 

ミミはチャンミンに背を向けて、バッグから荷物を取り出して、チェストに収める。

 

「それに、約束が違うじゃないですか!

どうして僕は、ミミさんのお祖父ちゃんと同じ部屋なんですか?」

 

「お父さん、いびきがひどいのよ」

 

「そういう問題じゃありません!」

 

チャンミンは、ふんと鼻をならす。

 

「分かりました。

夜這いをかけることにします」

 

「チャンミン!」

 

「ドアが“ふすま”なところが、不安要素ですねぇ。

声を聞かれちゃいますね」

 

「なんてこと言うのよ!」

 

「だって、ミミさん、

可愛い下着持ってきてくれたんでしょ?

見えましたよ」

 

バババッとミミの顔が赤くなる。

 

(しまった!

彼の目は超高性能レーダーだったことを忘れていた!

無防備にバッグの中身を見せてしまった)

 

「安心して下さい。

絶対に夜這いに来てあげますから。

待っててくださいね」

 

チャンミンは、目を半月型にしてにやにやしている。

 

「チャンミンったら...もう」

 

階下からミミたちを呼ぶ声が聞こえた。

 

「衣装合わせするって。

ほら、下に行こうか」

 


 

仏間横の部屋の鴨居に、長着と袴が吊るされ、たとう紙に包まれた長襦袢が畳の上に広げられていた。

 

「あぅっ!」

「チャンミン!」

 

鴨居に頭を派手に打ち付けたチャンミンはうずくまった。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫じゃないです...。

星が飛んでます」

 

「おい!

とっとと、衣装合わせするぞ!」

 

床の間を背にしてあぐらをかいた初老の男が、手招きをした。

 

祭礼の役を務める彼はテツといって、ミミの妹の義父だ。

 

「お前は『旗持ち』だ」

 

「ええ?

旗を持って歩くだけですか?」

 

チャンミンは祭りの役名を知ると、不服そうな顔をした。

 

「地味ですね」

 

「馬鹿たれ!

神さんの名を染めぬいた大事な旗なんだぞ。

罰当たりなことを言うんじゃない!」

 

「どうせやるなら、獅子がいいです」

 

「馬鹿たれ!

1日2日の練習で獅子を舞えたら、40年やってる俺らはどうなるってんだい!

第一、お前みたいなでかい奴が履ける股引きなんぞない!」

 

テツはチャンミンの頭をはたいて叱りとばした。

 

「え?

僕の脚が長いってことですか?」

 

(チャンミンったら...)

 

呆れたミミは、ため息をつく。

 

「チャンミン、ほら、ね?

神官姿になれるんだよ?」

 

「着流し姿の方がよかったです」

 

ご機嫌斜めのチャンミンは、小さなわがままを言う。

 

(家族に「彼氏」だと紹介されなかったことを、根にもってるのね)

 

「今夜、練習だからな」

 

ひと言言い終えて、テツは帰っていった。

 

ミミの母親セイコに、長着と袴を合わせてもらううち、チャンミンの気分は上がってきた。

 

「ミミさん!

似合いますか?」

 

ミミの前で、くるりとまわって見せる。

 

「似合う似合う!」

 

ミミは手を叩いて、チャンミンを褒める。

 

(チャンミンの母親のようだわ、これじゃあ)

 

袴が若干短すぎるが、腰を落として着付ければごまかせるだろう。

 

「僕に惚れなおしましたか?」

 

衣装合わせを終え、着物を脱いだチャンミンは、小首をかしげてにっこりと笑う。

 

「はいはい」

 

ミミは、チャンミンから顔をそむけて渋々答えた。

 

「早く服を着て!」

 

「ミミさん、もしかして照れてます?」

 

チャンミンの言う通り、ミミは彼の下着姿にドギマギしていた。

 

Tシャツを脱いだ上半身をまともに見られない。

 

 

この子ったら、

 

この子ったら。

 

痩せてるから細いだけかと思っていたら...。

 

なんなの!?

 

可愛い顔して、鍛えちゃってるじゃないの!

 

いい意味で期待を裏切ってくれちゃって。

 

 

「ミミさん、

そんなに飢えた目で僕を見ないでください」

 

「チャンミン!」

 

「今夜、全部見せてあげますから...楽しみにしていてくださいね」

 

「こら!」

 

ミミはチャンミンの洋服を投げつけると、部屋を出ていったのだった。

 

(年下のくせに!

 

年下のくせに!

 

私は、からかわれてばっかりなんだから!)

 

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