【5】NO?-鏡の中の僕ー

 

私は落ち目のモデル。

 

観光フリーペーパーのモデル年間契約も先月で切れた。

 

最近の仕事といえば、ネット通販の着用モデル。

 

誘われて始めたのが、ラウンジ嬢。

 

時給は安いけど、ノルマもないし気楽。

 

同伴やアフターも余程のことがない限りない。

 

夜の仕事をしているなんて、チャンミンは何にも知らない。

 

毎晩帰りが遅いことに、外泊続きであることに、どうして疑惑の念を抱かないのだろう?

 

モデルの仕事で、あちこち飛び回っていると信じ込んでいるのだろうか?

 

飼い主の帰りを待つ大型犬みたいなチャンミン。

 

一途に「モデルのリア」のイメージを持ち続けているチャンミン。

 

純朴で善良過ぎるチャンミンを見ると、無性にイライラする。

 

私の一歩後ろに控えているようなチャンミンは物足りない。

 

それどころか、チャンミンのまっすぐな目を見ると残酷な気持ちになる。

 

どこまで私についてこられるかを確かめたくて、沢山のイライラをぶつけて、きつい言葉で傷つけたくなる。

 

疲れて、虚しくて、むしゃくしゃした時は、チャンミンの穏やかな低い声が聞きたくなるし、温かい腕が欲しくなる。

 

だから、いつまでも私の帰りを待ち続けて欲しいし、憧れ交じりの眼差しを注ぎ続けて欲しい。

 

私は、チャンミンを手放せないし、誰にも渡したくない。

 

身勝手で酷い女だってことは、重々分かってるけれど。

 

 


 

 

リアはダイニングテーブルの上をちらっと確認した。

 

(今日も用意されていない...)

 

チャンミンがリアのために作った料理が、ラップをかけられてテーブルに用意してあるのが常だった。

 

用意してあったからといっても、万年ダイエッターのリアがそれを口にすることはほとんどない。

 

口にすることはなくても、チャンミンがリアのことをちゃんと待っていたという証を確認できる安心材料だった。

 

3か月ほど前から、テーブルの上に何も用意されない日が出現した。

 

自分への関心が薄れてきたのではと、リアは不安に陥る。

 

 

(そっか...今日の場合は3日帰らないって連絡を入れたんだった)

 

安堵したリアは、2人で選んだ大きな黒革のソファに長々と横向きで眠る人物に気付く。

 

(珍しい...今日は仕事が休みなんだ)

 

細長くて骨ばった身体、小さなお尻、長過ぎる脚。

 

この日のリアは、むしゃくしゃしていて、虚しさと小さな怒りを抱えていたから、チャンミンのぬくもりを必要としていた。

 

 

「チャンミ~ン!」

 

リアは寝息を立てる背中に勢いよく飛びついた。

 

(びっくりした?

あなたが愛するリアさんよ。

チャンミンったら、痩せたのかしら。

私のお気に入りの筋肉の弾力がない、肩が薄い。

寂し過ぎて、食事が喉を通らなくて痩せたのかしら。

こんなに長い髪をしていたかしら。

久しぶりだからって、そんなに身体をこわばらせないでよ!)

 

 

リアは民(ミン)の首筋に頬をぐりぐりっとこすりつけた。

 

耳の中に舌を忍ばせて、ふっと息を吹きかけた。

 

ビクッと民の肩が震えた。

 

(チャンミンったら、こうされるのが好きなのよね。

くすぐったそうにしてるうちに、“その気”になってくるはず)

 

「ひやぁっ!」

 

寝たふりをしてやり過ごそうとしていた民は耐えきれずに、悲鳴を上げた。

 

デニムパンツの中に、リアの手が忍び込んできたからだ。

 

民は力いっぱいリアの腕を振りほどいて、ものすごい勢いで飛び起きた。

 

リアは、民の拒絶っぷりにショックを隠せない。

 

「チャンミン...そんなに驚かなくたっていいじゃないの...。

酷いわ...。

いくら久しぶりだからって...」

 

 

(リアさん...すごい美人!

綺麗過ぎ!)

 

ゆるいウェーブをかけた長い髪に、濃い目の化粧に負けない彫りの深い目鼻立ち。

 

グロスが塗られた唇はぽってりとしていて。

 

こぶし位に小さな顔は細い首に支えられていて、細い腕、細いウエスト、細い白い脚。

 

民は口をぽかんと開けて、リアに見惚れていた。

 

心底驚いた顔で、何も言わない民の様子に、リアはムカッとしてきた。

 

まばたきを繰り返して、目の奥に力を入れていると、じわっと涙がにじんできた。

 

(私を拒否するなんて、許せない。

反省させないと!

チャンミンは私の涙には、とことん弱いから!)

 

充血した目で泣き出しそうなリアを前にして、民の内心はパニックになった。

 

(どうしよう!

私のことをチャンミンさんだと、間違えている!

チャンミンさんが跳ねのけたんだと誤解して、リアさんが悲しんでいる!

どうしよ、どうしよ!)

 

「ごめん...なさい」

 

おろおろとしている民をみて、リアは心の中でニヤリとした。

 

「...チャンミン」

 

「はい(チャンミンさんじゃないけど)」

 

「私、その髪型は好きじゃない」

 

「え?」

 

「前髪が長すぎる。

私は、短い方が好き」

 

リアはくるっと背を向けた。

 

「疲れているから、一日起こさないでね」

 

そう言いおいて、リアは寝室のドアをバタンと勢いよく閉めてしまった。

 

リビングに残された民は、しばらく呆然としていた。

 

(リアさんって...ちょっと怖い人?

うまくやっていけるかなぁ...)

 

リビングの隅に置かれた鏡に、全身を映してみた。

 

(やっぱり私って、男にしか見えないのかなぁ。

そうだよね。

こんなに大きいし...)

 

ピンポーンとチャイムが鳴った。

 

民が実家から送った荷物が届いたようだ。

 

「はいはーい!」

 

小走りで玄関に向かう民は、思い至る。

 

(私って、チャンミンさんの妹設定だったっけ?

 

なぜ、わざわざ『妹』にしないといけないのか、ちゃんと考えるべきだった。

 

『友人の妹をしばらく預かるよ』ですんなり通らない関係性が、2人にはあるんだね。

 

私みたいなでっかい『おとこおんな』相手に、リアさんがヤキモチ妬くはずがないのに...。

 

あ、そうだった!

 

チャンミンさんは昨日初めて会うまで、ここまで私たちが激似だってことを知らなかったんだ。

 

私はチャンミンさんじゃないって、リアさんにどうやって説明しよう...

 

ここはやっぱり、チャンミンさんの妹、もしくは弟ってことにしておいた方が、混乱を招かずに済むかもしれない...)

 

悶々と悩みながら、民は届いた段ボール箱を荷ほどきしたのだった。

 

 


 

 

チャンミンは社員食堂で昼食をとっていた。

 

壁に取り付けられた大型TVは昼のバラエティ番組を流し、食事をとる社員たちでがやがやと騒がしい。

 

「先輩って、相変わらず大食いですね。

見るだけで腹がいっぱいになりそうっす」

 

きつね蕎麦だけをトレーに載せた後輩Sは、チャンミンの正面の席についた。

 

「午後に備えて栄養をとらないと」

 

午後には気が重くなるアポイントが入っている。

 

「それだけで足りるのか?」

 

「昼に腹いっぱい食べると、眠くなるんです。

先輩はそうならないんすか?」

 

「全然......。

ん?」

 

テーブルに置いたチャンミンの携帯電話が、電子音と共に震えた。

 

発信者を確認したチャンミンは、席を立って食堂を足早に出た。

 

自販機コーナーのベンチに座ると、通話ボタンを押す。

 

「もしもし?」

 

『民です』

 

女性にしては低く、男性にしては高い声。

 

電話越しの民の声を聴いて、チャンミンの胸にほっとするような、わくわくするような気持ちが広がった。

 

『今、お時間よろしいですか?』

 

「うん、昼めし時だったから。

荷物はちゃんと届いた?」

 

『荷物は届きました』

 

「それはよかった。

冷蔵庫に作り置きのおかずがあるから、レンジで温めて食べるといいよ」

 

『私は今、外にいます』

 

「そうなんだ。

近所にいい感じのカフェがあるんだ。

女子が好きそうなランチを出すんだ。

教えようか?」

 

『お昼は牛丼屋で食べました』

 

「そう」

 

きっと大盛りを食べたに違いない。

 

昨夜の民の食べっぷりを思い出して、チャンミンはくすりとした。

 

『リアさんが帰ってきました』

 

「リアが!?」

 

チャンミンの背筋が一瞬に伸びた。

 

(帰りは明後日だったはず。

撮影の日程でも変更になったのだろうか。

参ったなぁ。

民ちゃんを驚かせてしまった。

あのリアのことだから、キツイことを民ちゃんに言ったに違いない)

 

チャンミンは、恋人の反応より民の心配をしていた。

 

「ごめんな。

民ちゃん...大丈夫?

じゃないか。ハハハ」

 

『......』

 

「リアは?」

 

『寝ると言って、寝室にいます。

起こすなって言ってました』

 

「そっか...」

 

チャンミンはため息をついた。

 

 

『私のことをチャンミンさんだと、思い込んでいました』

 

「!」

 

(そうだった!

民ちゃんは普通じゃなかったんだ!)

 

チャンミンは民に言われるまで、自分と民が瓜二つだという事実を忘れていた。

 

 

(リアが間違えるのも当然だ。

 

当人同士でさえ凍り付くほどの、そっくり度なんだから!)

 

「...で、どうだった?」

 

『チャンミンさんも呑気な人ですね。

私、リアさんに襲われるところでした』

 

「襲われる?」

 

『リアさんは...多分、ベッドに誘うつもりだったんだろうと思います。

耳を舐められました』

 

その光景が目に浮かんで、チャンミンは「あちゃぁ」と、額に手をやる。

 

(リアときたら...。

この数か月間、拒みに拒み続けていたくせに、今日に限って...それも、民ちゃん相手に)

 

 

「それは、びっくりしたよな。

申し訳ない」

 

『別にいいですけど。

心配なのはリアさんですよ。

ベッドで裸になってみたら、彼氏に付いていたはずのものがなくなってるんですよ。

リアさん、気絶しちゃいますよね』

 

「!!!」

 

(ミミミミミミミンちゃん!

可愛い顔して、なんて大胆なことを淡々と言うんだ...っておい!

僕は可愛くないけど、民ちゃんは可愛い...っておい!)

 

「......」

 

『夕方までどうしましょう?

リアさんに見つかりたくないので、家に居られません』

 

「う~ん」

 

 

(リアが、恋人の僕だと間違えるほど似ている民ちゃんだ。

 

そんな民ちゃんの口から、ここに居る事情を説明し始めたら、リアはパニックになるだろう。

 

その前に、民ちゃんは『チャンミンではない』ってことを証明することの方が大変だ。

 

僕らの違いはただひとつ。

 

付いてるか、付いていないか、だ。

 

それ以外の方法は...遺伝子検査?)

 

チャンミンはブンブンと首を振った。

 

『チャンミンさん!』

 

「う、うん」

 

事態の収拾方法に考えを巡らすチャンミンには、ベストな方法が思いつかない。

 

(よーし、頭を整理しよう!

 

その1

僕とリアが同棲する部屋に、友人の妹、民ちゃんが1か月ほど寝泊まりすることになった。

 

その2

民ちゃんの容姿が僕と生き写しだった。

 

その3

その1と2の説明をする前に、リアと民ちゃんが顔を合わしてしまった。

 

その4

案の定というべきか、リアは民ちゃんのことを僕だと間違えてしまった)

 

 

チャンミンは頭を抱え込んでしまった。

 

昼食を終えた社員たちが、ベンチで項垂れるチャンミンの前を通り過ぎていく。

 

 

(すべては僕が悪い。

 

リアと面と向かって相談をする時間がないことを理由に、ぐだぐだと先延ばしにしていた僕が悪い。

 

リアが納得するように、言葉を慎重に選ぶ手間すら面倒になっていた。

 

リアのご機嫌取りに疲れていた)

 

 

「ごめんな、民ちゃん。

夜まで、どこかで時間を潰せるかな?

家へは一緒に帰ろう」

 

2人揃って登場した方が、リアの理解は早いかもしれないとチャンミンは考えたのだった。

 

『うーん...。

いいですよ。

なんとかしてみます』

 

「本当に申し訳ない」

 

 

『チャンミンさん』

 

「ん?」

 

『謝らないでください。

チャンミンさんは悪くないですよ。

彼女さんがいるチャンミンさんのところに、転がり込んだ私が悪いんです。

お二人の邪魔をしたくないので、ここを出ますね』

 

 

「駄目だって!」

 

チャンミンは大声を出していた。

 

自販機コーナーにたむろしていた者たちが、一斉にチャンミンに注目する。

 

それに気づいたチャンミンは、立ち上がって男子トイレへ移動した。

 

「民ちゃん。

リアのことは気にしなくていいから。

僕のところを出たら、行くところはあるの?」

 

『ホテルに泊まります』

 

「それじゃあ、お金が続かないだろ?

僕が誰と住んでいようと、本当に気にしなくていいんだよ」

 

 

 

 

僕は必死だった。

 

民ちゃんに出て行ってもらいたくなかった。

 

他人事じゃないのは、民ちゃんが僕そのものだから?

 

電話越しに僕の言葉を聞く民ちゃんの姿を想像するのは易かった。

 

手洗い場の上の鏡に、携帯電話を耳にあてた僕が映っている。

 

直線的な眉の下の丸い目がまばたきをしている。

 

僕の前髪は額を隠しているけど、民ちゃんの前髪は真ん中で分かれていた。

 

『ホントにいいんですか?』

 

男にしては高く、女にしては低い民ちゃんの声が聴こえる。

 

「民ちゃんには、居て欲しいんだ」

 

鏡の中の自分と目が合う。

 

鏡に映る僕が「居て欲しい」と口を動かしていた。

 

『居てもいいんですか?』

 

「民ちゃんに居てもらったら、僕は楽しいんだ」

 

『嬉しい、です』

 

電話の向こうで、ふふふっと民ちゃんが笑うから、僕もつられて笑った。

 

鏡の中の僕は笑みを浮かべていて、

 

鏡の向こうで民ちゃんも笑みを浮かべている。

 

気が遠くなりそうだ。

 

鏡に映っているのが、僕なのか民ちゃんなのか、分からなくなってきた。

 

 

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