【11】NO?-僕が決めたことー

 

「先輩、腰が痛いんっすか?」

 

「いや、ちょっとね」

 

腰をトントンと叩くチャンミンを見て、後輩Sが心配する。

 

昨夜、寝室を締め出されたチャンミンは、リビングのソファで眠ったのだが、柔らかい座面に腰が沈んでしまったのがいけなかったらしい。

 

「先輩も三十路なのに、昨夜、頑張っちゃったんですか?」

 

後輩Sの言わんとすることを察して、チャンミンは彼の頭をはたいた。

 

(以前の僕だったら、『ば~か、お前こそどうなんだ?』とか言って、ニヤつけたのに...)

 

「午後から例の打合せがあるんだぞ。

さっさと資料をまとめておけよ」

 

「へいへい」

 

ぼやきながらデスクに向かう後輩の背中をみながら、チャンミンは今朝の出来事を思い出していた。

 

 


 

 

今朝も、民ちゃんが用意してくれた朝食をお腹におさめた。

 

ぐちゃぐちゃの卵料理(味付けはグッド)、クリームチーズをたっぷり塗ったベーグルといったメニューだった。

 

今日の民ちゃんは、人と会う約束があると言って、隠しきれないウキウキ感を全身から出していた。

 

男を追って都会に出てきたという民ちゃんだ。

 

「例の好きな人?」

 

と聞いたら、ぎくりとした後ふにゃふにゃになる。

 

「そうなんですー」

 

ちょっとだけ胸がちくり、とした。

 

惚気ている民ちゃんに、ちょっとだけイラついた。

 

「今日から仕事を探すんじゃなかったっけ?」

 

ここに来た本来の目的を思い出させようとして、忠告めいた言い方をしてしまった。

 

「安心してください。

ちゃ~んと、今日からスタートしますよ」

 

民ちゃんは、リアの席に座っている。

 

リアは寝室から出てこない。

 

「それなりにあたりをつけているので、一か月もかからないかもしれません」

 

「そうなんだ」

 

「と言いつつ、面接はこれからなのでどうなるかは分かりません。

でも、出来るだけチャンミンさんに迷惑がかからないよう、早くここを出ていきますからね」

 

 

民ちゃんに出て行ってもらったら、僕は困る。

 

「だーかーらー。

迷惑とか、出て行かなくちゃとか、そういうこと考えるのはよせ、って昨夜言っただろ?」

 

「そうでしたね」

 

食べ終えた民ちゃんは、食器をシンクに運びながら言った。

 

昨夜のベランダで、「ここを出る」と言い張る民ちゃんを、僕はこんこんと説得したのだった。

 

肌に張り付くほど細身のデニムパンツを履いた民ちゃんのお尻に、釘付けになっていた。

 

僕もそうだけどお尻が小さい。

 

僕と少し違うのは、丸みを帯びているところ。

 

やっぱり、女の子なんだな...。

 

(ううっ...僕はどこを見ているんだ!)

 

「その言葉、後になって後悔しても知りませんよ。

そのうち居心地がよくなって、ずーっとここに居座るかもしれませんよ」

 

民ちゃんが、ずーっとここにいる。

 

民ちゃんと暮らす。

 

友人の妹とはいえ、赤の他人を一時的にせよ、自分のテリトリーに招き入れることは、僕にとってハードルが高い一件だ。

 

ところが民ちゃんと出会ったら、そんなハードルを知らぬ間に越えていた。

 

不気味なほど同じ姿形をした、女性版チャンミンのことをもっと見ていたいし、知りたくなった。

 

興味本位プラス、民ちゃんが持つ人柄と邪気のない笑顔の側にいたいと思った。

 

わずか二日で。

 

うん、そうだ。

 

民ちゃんは可愛い。

 

民ちゃんがとにかく、可愛いくてたまらないんだ。

 


 

「いいよ。

僕のところでよければ、ずっと居てもいいんだからね」

 

「へ?」

 

コーヒーのお代わりを僕のカップに注ぎながら、民ちゃんはきょとんとしている。

 

「家賃が浮くだろ?

この辺りは高いからね。

あの部屋をずっと使ってもらって構わないからさ」

 

「チャンミンさん...」

 

民ちゃんの口がへの字になって、眉毛も思いっきり下がった。

 

何か変なことを言ったかな、と不安になっていたら、

 

「チャンミンさん、大好きです!」

 

そう言って、民ちゃんが僕に抱き着いてきた。

 

「!!」

 

「ホントは、すごく心細かったんです。

人がいっぱいいて、地下鉄の乗り方もよく分からなかったし、

昨日の牛丼屋もドキドキだったんです!

お兄ちゃんにも頼れないし。

昨夜、泣いちゃったんです。

チャンミンさんが優しい人でよかったです!

チャンミンさん、大好きです!」

 

民ちゃんの腕が僕の首にぎゅうっと巻き付いている。

 

「え、えっと...」

 

民ちゃんからいい匂いがして(あのシャンプーの香りかな?)、押し付けられた肩や腕が意外に華奢で、胸がドキドキした。

 

民ちゃんが口にした「大好き」に、恋愛感情が込められていないことは分かっていたけど、すごく嬉しかった。

 

僕は宙に浮いた手を民ちゃんの背中にまわそうとした。

 

 

「兄弟で抱き合って、気持ち悪い...」

 

まわしかけた手が止まった。

 

顔を上げると、冷めた顔をしたリアがリビングに突っ立っていた。

 

「おはようございます」

 

屈託なく挨拶をする民ちゃんを無視したリアは、そのまま浴室に行ってしまった。

 

「......」

 

「チャンミンさんの申し出はありがたいです。

でも、リアさんとの邪魔はできません」

 

僕の首から腕をほどくと、民ちゃんは食べ終わった僕のお皿を片付け始めた。

 

「民ちゃん」

 

僕は民ちゃんの手首をつかんでいた。

 

 

 

「僕は、リアとは別れるつもりだ」

 

「え...?」

 

僕に手首をつかまれたまま、民ちゃんはフリーズし、僕の顔を真っ直ぐな眼差しで見つめていた。

 

「別れる...?」

 

「うん。

あ!誤解しないで。

民ちゃんが来たからが理由じゃない」

 

民ちゃんの手首が細くて、たまらなかった。

 

鏡に映した僕が、驚くほど透明な目で僕を見返していた。

 

思惑も隠していないその瞳が、僕の決心を揺るぎないものにした。

 

ぐずぐずと決心できずにいたこと。

 

リアにぶつけられた言葉が決定的にしたのは確かだ。

 

それ以上に、民ちゃんに居心地の良い環境を作ってあげたくて仕方がない気持ちを優先させたかったんだ。

 

民ちゃんは僕に手首を握られたまま、すとんと椅子に座った。

 

 

「お二人のことに口は出せませんけど、

チャンミンさんは、そう決めたんですね...。

私でよければ、相談にのりますね。

頼りないかもしれませんが、一生懸命考えますから」

 

 

そう言いながら民ちゃんは、僕の手の甲をさわさわと撫でるから、くすぐったくて仕方がなかった。

 

 

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