【12】NO?-僕はスタイリストー

 

「この辺り、かな」

 

民は携帯電話に表示された地図を頼りに、電車で15分の距離のオフィス街をうろついていた。

 

約束の13時まであと15分。

 

(遅刻するわけにはいかないんですよ。

あ!

ここだ)

 

白いタイル張りの地上10階建てのビルが、目的地だった。

 

案内された通り、地下駐車場へのスロープを下りる。

 

車20台分はある駐車スペースに、見覚えのある黒い外車が停めてあった。

 

(この車に乗せてもらったんだな、私)

 

ふふふと微笑を浮かべた民は、身だしなみをチェックする。

 

しわ加工を施した、ガーゼ生地のゆるっと大き目の白いシャツ。

 

透け感があるので、中に黒のタンクトップを着ている。

 

昨日と同じ薄いグレーのデニムパンツに、青のモカシンシューズ。

 

(チャンミンさん、ありがとうございます)

 

実は、白いシャツと靴は、チャンミンの借り物だった。

 

 


 

 

「民ちゃん...もしかしてその格好で例の人と会うつもり?」

 

チャンミンの言葉に民は、着ていたTシャツを見下ろした。

 

「変ですか?」

 

チャンミンは後ずさりすると、民の全身を上から下へと見た。

 

そのTシャツは、ロックミュージシャンのシルエットがプリントされた、なかなかハードなデザインだ。

 

しかも『Keep Your Head Down』とある。

 

(そのメッセージは、デートには相応しくないだろうに)

 

「もうちょっと...」

 

「もうちょっと?」

 

「女の子っぽい洋服はないの?(こういう台詞は民ちゃんにあまり言いたくないんだよな。ごめんな、民ちゃん)」

 

「...はい」

 

下を向いてもじもじする民の頭を撫ぜたくなる衝動を抑えたチャンミンは、「ちょっと待っててね」と声をかけるとクローゼットの扉を開けた。

 

寝室のクローゼットはリアに占領されているため、チャンミンの洋服類は玄関からリビングをつなぐ廊下の収納スペースを使用していた。

 

浴室からはリアが浴びるシャワーの音がする。

 

(これなんかは、どうかな)

 

ハンガーにかかった一着を、民の胸に当ててみる。

 

「うん、これがいいよ。

生地も柔らかいし、女性っぽく着られると思う。

それに...サイズも同じだろうから」

 

「お借りします」

 

早速その場でTシャツを脱ごうとしたが、ハッとして腕を止めた。

 

「ごめんなさい。

あっちで着替えてきます」

 

(危ない危ない、チャンミンさんを前にするとリラックスし過ぎてしまう)

 

1分後、6畳間から出た民を、チャンミンは満足そうに眺めた。

 

「うん、いい感じ。

可愛いよ」

 

「へ?」

 

民に真顔で見返されて初めて、チャンミンは民に向かって「可愛い」と口にしていたのに気づいた。

 

(本心がポロっと口から飛び出てしまった!)

 

片手で口を押えて照れ笑いするチャンミンに、民の方も耳を赤くしながら慌てて言う。

 

「あ、あの!

靴はどうしたらいいですか?

私、スニーカーとオックスフォードシューズしか持ってないんです!」

 

 

(『可愛い』だって...私のことを『可愛い』だって...!)

 

 

「うーん。

ボトムスがグレーでしょ...。

青かピンクを持ってきたいなぁ」

 

シューズラックから一足を選び出すと、民を玄関まで手招きした。

 

手入れの行き届いたその靴は、民の足にぴったりだった。

 

 

「今日のコーディネイトは髪の色によく似合ってるよ」

 

(アルコールが入っていなくても、すらすらと民ちゃんを褒められるようになったぞ)

 

 

「チャンミンさんって、お洒落が好きなんですか?」

 

「うーん。

好きな方に入るのかなぁ。」

 

(実際は、リアの隣を歩くには、それなりの恰好をしていないと散々文句を言われてたから。

Tシャツやトレーナー、パーカーなんて言語道断だった)

 

 

「ボタンは第3ボタンまで開けておいた方がいいよ」

 

民の胸元のボタンを第2ボタンまで外してから、チャンミンは瞬足で手を離した。

 

(またやってしまった!)

 

チャンミンの動揺に気が付かない民は、シューズラックの鏡に全身を映して満足そうだ。

 

「いい感じです。

ありがとうございます」

 

 

出勤しようとするチャンミンのスーツ姿に、

 

「大人の男って感じです...」

 

胸の前で両手を握りしめ、目をキラキラさせて褒められてチャンミンは照れくさくて仕方がない。

 

(でも、全然、悪い気はしない)

 

 

「チャンミンさん、今日もカッコいいですよ。

行ってらっしゃい!」

 

「民ちゃんも、頑張って!」

 

明るい民の言葉に見送られて、チャンミンは出勤していったのであった。

 

(民ちゃんの気になる人ってどんな人なんだろうな...)

 

 


 

 

突き当りにエレベーターが2基あり、片方は貨物用の大きいものだった。

 

もう一方の黒塗りのエレベーター脇のキーパットにメールで知らされた暗証番号を打ち込んだ。

 

すると扉が開いて、民はそれに乗り込む。

 

(すごい、ハイテクだ)

 

階数指定ボタンはない。

 

昇るか下るかの三角ボタンがあるきり。

 

上昇するエレベーターの箱の中、民は壁にもたれて深呼吸をした。

 

(この時のために、私は頑張ったんだ、うん)

 

何度も頷き、こぶしを握った。

 

琥珀色の木目が美しい玄関ドアの正面で、民はもう一度深呼吸をした。

 

防犯カメラが作動中を知らせる赤いランプに、緊張した。

 

インターフォンのボタンを押そうとしたところ、目前の扉が開いた。

 

 

「やあ、いらっしゃい」

 

(きゃー!)

 

民は心中で感激の悲鳴を上げる。

 

扉の内側で、穏やかな笑みを浮かべるその人物は、民が卒倒しそうになるほどの美丈夫だった。

 

「お邪魔します...」

 

「遠いところありがとう。

おっと、靴を履いたままでいいんだよ」

 

中へと招き入れられ、その重厚な扉は音もなく閉まり、カチリと電子ロックがかかった。

 

 


 

 

「アポイントが11時に前倒しになりました」

 

「はあ!?」

 

翌号カタログの校正を行っていたチャンミンは、後輩Sの報告に壁時計を確認した。

 

「あと1時間もないじゃないか!?」

 

「今からなら、ぎりぎり間に合いますよ。

おおまかな年間のスケジュールはまとめておきました」

 

「できる後輩を持って僕は幸せだよ」

 

「やっとわかってくれましたか?」

 

チャンミンとSは、早歩きで中央エントランスを目指す。

 

「先輩!

足早いっす!

僕の脚の長さのことを、もっと考慮して下さいよ」

 

「悪い」

 

エントランス横の、立体駐車場から社用車が吐き出されるのをじりじりと待つ。

 

「どうして、あんな面倒くさそうな人に頼むことになったんですか?」

 

「イメージを変えるためだろうね。

ここ2年は女性モデルを使ってたから」

 

「その前は、世界の街並みでしたっけ?

いいなぁ、その時の担当になりたかったっす。

海外へ行き放題だったんだろうなぁ」

 

「馬鹿だなぁ。

海外に行き放題だったのは、カメラマンだけ。

お!車が来たぞ」

 

「僕が運転しますよ」

 

 

チャンミンが勤めるのは、中堅どころの健康食品会社だ。

 

インターネット注文が主流のこの世の中にあっても、未だに紙ベースのカタログ注文は根強い人気だ。

 

チャンミンはカタログ製作部に所属している。

 

隔月に発行されるカタログ『へるし』は、美しいグラビア写真に加え読み応えのある記事も満載で、ちょっとした雑誌レベルだと、毎号好評なのだ。

 

チャンミンは表紙と巻頭ページ制作のセッティングを担当している。

 

カメラマンやイラストレーター、ライターと、紙面制作部署との橋渡し的業務という、神経を使う仕事内容だ。

 

一昨年1年間の表紙モデルに起用されたのがリアで、撮影現場での初顔合わせでチャンミンはリアに一目惚れをしたのだった。

 

当時のチャンミンは文字通り、リアに「メロメロ」だった。

 

猛烈なアタックの末、残すところあと1号分の撮影が行われる頃になって、首を縦に振ってもらえた。

 

それまでのチャンミンにしてはあり得ないほど、のめり込んだ恋だった。

 

来年度からは、がらりと趣を変えたものになるという。

 

取締役の一人が、海外の美術展である一作品を目にした瞬間、稲妻に打たれたのだとか。

 

そこで、そのアーティストの作品を年間6号分の表紙に採用することになった。

 

「芸術家ってやっぱり、気分屋で気難しい人なんすかねぇ?」

 

「芸術家に限らず、写真家であっても、イラストレーターであっても、誰でも気難しいもんだよ」

 

助手席で、校正の続きをしながらチャンミンは答えた。

 

「さすが年長者の言葉は、重みが違いますねぇ...もうすぐ着きますよ」

 

「10時45分。

間に合ってよかった」

 

チャンミンと後輩Sの乗った社用車は、地下駐車場への急なスロープを下りて行った。

 

 

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