【23】NO?-僕と朝帰りー

 

~民~

 

天井に鏡がはめ込まれていた。

 

黒い服を着た男の人に組み敷かれているのは、脚を揃えて寝そべった私。

 

チャンミンさんが、私の首にキスをしている。

 

鏡の中の私と目が合った。

 

びっくりした顔をしている。

 

それから...なんて私は大きい身体をしているんだろう。

 

「押し倒されても文句は言えないよ」と言った時のチャンミンさんの顔が、「美味しいものを食べさせないとね」と言ったユンさんの顔と重なって、ドキッとした。

 

チャンミンさんは、私と同じ顔をしているのに、私みたいにあやふやな顔じゃないの。

 

「男みたいな、女みたいな」どっちつかずの顔とは、違っていた。

 

しっかりした男の人の顔をしていた。

 

とてもカッコよくて、驚いた。

 

チャンミンさんを無理やりホテルに連れ込んで、「押し倒されても...」の言葉を聞くまで、チャンミンさんは男の人なんだって意識していなかった。

 

チャンミンさんなら「大丈夫」だって、兄妹みたいに居られるって。

 

私みたいなオトコオンナを、どうこうしたい人なんて存在しないって、思い込んでいたから。

 

私ってば、お子様だ。

 

ネオンピンクの照明の逆光の下でも、面持ちが真剣で、熱に浮かされたみたいな眼差しで、ちょっとだけ、怖いと思った。

 

覆いかぶされて、耳の下にチャンミンさんの熱い唇が押し当てられていた。

 

唇の位置をちょっとずらしてキスをして、また唇の位置をずらしてキスをするの。

 

首筋がぞわぞわってして、こんな感覚は初めてだったし、心臓が壊れそうにドキドキした。

 

私のバージンを奪うのは、チャンミンさんなんだ!

 

私には好きな人がいるけれど、チャンミンさんが相手ならいっか、って悠長なことを考えていた。

 

恋人と別れて、今のチャンミンさんは荒れているんだ。

 

男の人って、こうやって寂しさを癒やすのね(何かの小説で読んだことがあったの)。

 

チャンミンさんに押し倒されても、全然嫌じゃないことにびっくりした。

 

どうしてだろうね。

 

 

「?」

 

ぴたっとチャンミンさんの動きが止まった。

 

 

私のおでこにチュッとキスをしたのち、チャンミンさんは私の隣にごろんと横になった。

 

 

「へ?」

 

 

「...ってな風に、

襲われちゃうから気を付けて」

 

 

チャンミンさんは、困ったような笑顔で、私の頭をくしゃくしゃっとした。

 

「びっくりした?」

 

「チャンミンさん...冗談がきついです。

びっくりしましたぁ...」

 

 

さっきまでチャンミンさんの唇が当たっていたところを、指でさすった。

 

「ホントに気を付けてね。

自覚していないようだけれど、民ちゃんは女の子なんだよ」

 

「チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「私でも、男の人を「その気」にさせることができるんですね」

 

「当たり前でしょうが?」

 

私の隣のチャンミンさんが呆れ顔だった。

 

私の胸はまだ、ドキドキしていた。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

押し倒すフリをした時のことを思い起こした。

 

『フリ』なんかじゃなくて、半分は本気だった。

 

民ちゃんが可愛過ぎた。

 

唇にキスしそうなのを抑えて、民ちゃんの耳の下にキスをした。

 

危なかった。

 

僕の荒れた心を気遣った、民ちゃんの温かい心を踏みにじるところだった。

 

今夜の民ちゃんに、僕は救われたというのに。

 

本当に、危なかった。

 

それにしても...心配事が増えた。

 

民ちゃんったら、僕に押し倒されても抵抗しないんだ。

 

息をのんでじっとして、されるがままだったんだ。

 

駄目だよ、民ちゃん。

 

その場の空気に流されて、なんでも受け止めてしまう子だから。

 

そんな民ちゃんが心配だった。

 

 

 

「ねえ、民ちゃん」

 

「はい?」

 

僕らはくの字になって、向かい合わせに寝転がっていた。

 

「今日は、ありがとう」

 

「お礼はさっき言ってもらいましたよ」

 

「助かった。

民ちゃんのおかげで」

 

「うふふ」

 

 

半乾きの民ちゃんの髪がボサボサになっていたから、僕は手ぐしで梳かしつけてやった。

 

形のよい、小さな頭だった。

 

気持ちがよいのか、民ちゃんは目を細めていた。

 

しばらくもしないうちに、民ちゃんのまぶたがにっこり笑った形を保ったまま閉じてしまった。

 

なぜか僕の目に、じわっと新たな涙が湧いてきた。

 

今の今まで忘れていたけれど、民ちゃんには好きな人がいるんだった。

 

男の子みたいな顔と、183㎝の身長を持つ民ちゃんが不憫だった。

 

僕の目には、女の子にしか見えないけれど、周囲はそうは見ていないだろうから。

 

フリだとはいえ、押し倒すような真似をして、ごめん。

 

民ちゃんの恋は、うまく実を結ぶのだろうか。

 

民ちゃんは振り向いてもらえるのだろうか。

 

 

ごめん、僕は民ちゃんの恋を応援できなくなった。

 

だからといって、民ちゃんの幸せを邪魔するようなことはしないから、安心して。

 

相談にはいくらでものってやる。

 

でも、そいつが民ちゃんに値しないようなポンコツ男だったり、民ちゃんを傷つけるような奴だったら、僕が許さない。

 

 

今の僕は、民ちゃんとフェアな立場で向き合える。

 

リアとの別れは哀しい。

 

でも、

僕の「別れたい」に、リアは同意していなかった。

 

そこが気がかりだ。

 

これで終わったわけじゃないってことか。

 


・・・

 

 

その後、僕らは朝までぐっすり眠った。

 

シャワーを浴びてベッドに戻ったら、民ちゃんがAVを大音量で鑑賞していて、大慌てでリモコンを取り上げた。

 

「民ちゃん!」

 

「後学のために、ですよ」

 

しれっと言うから、僕は民ちゃんに説教をした。

 

「こういうものを見せられたら、男はムラムラするんだよ?

押し倒されたって文句は言えないよ?」

 

チャンネルボタンを押しても押しても、喘ぎ声が流れる場面ばかりで、僕は焦った。

 

やっとのことで、ゲーム画面に切り替わって、僕は安堵した。

 

「すごいですねぇ、どうしてあんな展開になっちゃうんですか?

初対面の人といきなり、コンビニで...!

おちんちん挿れたままレジなんて打てませんって。

気付かないお客さんも、すごいですよねぇ」

 

ショックを隠し切れない民ちゃん。

 

 

「チャンミンさん...勃ってます」

 

「え、えっ!?」

 

焦ってバスタオルを巻いた股間を押さえた。

 

「嘘です」

 

「こら!」

 

たらこスパゲッティとサンドイッチを食べ、

カラオケで2曲ずつ歌って(民ちゃんは音痴だった)、

レーシングカーゲームを3戦して(民ちゃんのコントローラーさばきはプロ級だった)、

チェックアウトの時間まで、僕らはラブホテルを楽しみつくした。

 

 

ホテルの自動ドアが開くと、ムッとした暑さにつつまれた。

 

アーチの外に出た途端、道を歩いていた3人連れの大学生風と目が合った。

 

彼らはギョッとしたのち、目をそらして足早に歩き去ってしまう。

 

何度も振り返りながら、こそこそし合っている。

 

何を話しているのかは、想像がつく。

 

「私たち、朝帰りですね。

私の朝帰りの相手第1号は、チャンミンさんです」

 

腕を組んだ民ちゃんが、小首をかしげて言った。

 

「チャンミンさんが元気になってよかったです」

 

ゴミが散らばる昼間の繁華街は裏寂しい。

 

僕の心はもう、寂しくない。

 

「楽しかったですね。

また行きましょうね」

 

民ちゃんったら...全然わかっていないんだから。

 

 


 

 

~リア~

 

 

(チャンミン...帰ってこなかった)

 

出張の日を別にして、チャンミンが夜出かけたまま帰ってこない日など今までなかった。

 

私が不在だった日はどうだったかは想像するしかないが、私が「居る」夜に、帰ってこないなんてことは一度もなかった。

 

チャンミンから突然の別れの言葉に、青天霹靂。

 

心臓を撃ち抜かれたみたいな衝撃を受けた。

 

「あの」チャンミンが、絶対に口にしそうにない言葉を発した。

 

私のことを「好きじゃない」って。

 

別れたいって。

 

別れを切り出すのは私の方からに決まってるのに。

 

チャンミンから切り出されたことが、何よりショックだった。

 

 

枕に顔を埋めてひとしきり泣いた後、耳をすましていたら、パタンと玄関ドアが閉まる音がした。

 

寝室を覗きもしなかった。

 

ヒヤリとした。

 

チャンミンは「本当に」別れたいのかもしれない。

 

立っている場所だけ残して、ガラガラっと地面が崩れ落ちていくようだった。

 

私の安全弁を、避難場所を失ってしまった。

 

いいえ、未だ失っていない。

 

チャンミンは寂しさのあまり、私の気をひこうとあんなことを口にしたのよ。

 

数日もすれば、

「別れたいと言った僕が悪かった。

あの時の僕はどうにかしていたんだ。

許してほしい。

やり直そう」と言い出すに決まっている。

 

だって、チャンミンは私に心底惚れていたんだから。

 

「気の強い彼女に言いなりで、そんな彼女に尽くす優しい彼氏」の構図にまんざらでもなかったんでしょう?

 

 

チャンミンと出会った頃を思い出していた。

 

私が所属する事務所の打ち合わせルームで、初めて顔を合わせた。

 

モデルみたいに背が高くて、普通のサラリーマンにしておくには勿体ない顔をしていた。

 

本人には自覚がないみたいなところが、よかった。

 

チャンミンが私のことに気があることは、すぐに分かった。

 

書類を覗き込むふりをして顔を近づけたら、耳を真っ赤にするんだもの、可愛いったら。

 

喉ぼとけがゴクンと動いて、顔を上げたら見開いた丸い目と私の目が合った。

 

その気がある素振りを見せると、チャンミンは予想通りの行動をしてくれた。

 

ちょうど、不倫に近い恋愛を終えたばかりで、荒んだ心を持て余していた私は、チャンミンの熾火のような愛し方に飛びついた。

 

温和で、ちょっと神経質。

 

チャンミンの美徳でもある圧倒的な優しさが、同時に彼の欠点でもあった。

 

自由にふるまう私を見逃し続けたあなたも、悪いのよ。

 

ねえ、チャンミン。

 

あなたはいつから、私と別れたいと思うようになったの?

 

私は、あなたにウンザリしながらも、別れたいと思ったことはないのよ。

 

他の誰かに夢中になっていたとしても、チャンミンのことも好きでいたのよ。

 

好きのベクトルと熱量が違うだけ。

 

 

リビングに戻り、ソファの上に放りだしたままの携帯電話を拾った。

 

珍しい、着信があった。

 

 

私は、目下夢中の「あの人」へ電話をかける。

 

『今夜は?』

 

「ええ」

 

『待ってるよ』

 

彼は性急な人だから、シャワーを浴びる間もないだろう。

 

チャンミンがいなくて、すうすうした心を埋めるため、私はあの人に会いにいく。

 

あの人から贈られた海外製のボディークリームを、湯上りの肌に塗り広げた。

 

 

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