【27】NO?-僕らは別れられるのか?-

 

「リア...」

「リアさん...」

 

泣き腫らした顔で、髪は乱れ、加えてベロベロに酔っぱらっているようだった。

 

足元がおぼつかなく、身体が左右に揺れている。

 

力を抜いた民の腕から抜け出すと、チャンミンはリアの方へ近づいた。

 

「飲み過ぎじゃないのか?」

 

その場でへたり込みそうなリアの脇を支えた。

 

アルコールの匂いをぷんぷんとさせ、完ぺきに施してあったはずのメイクが、汗や摩擦で崩れ、汗ばんだ首筋におくれ毛がへばりついている。

 

酔いつぶれるまで飲んだらしいリアは、珍しい。

 

駆け寄った民は、リアが玄関に放り出したバッグを拾い、土足のまま上がってきたリアからサンダルを脱がせる。

 

剥がれかけのペディキュアに気付いて、「リアさん、荒れている...」と民は思った。

 

身体の力はとっくに抜けてへなへなしているリアに、チャンミンは「しょうがないなぁ」とつぶやいて、膝の裏に腕を差し込んで抱き上げる。

 

「放してっ!

チャンミンのバカ!

放っておいてよ!」

 

足をバタバタとさせて、チャンミンの頭やら肩を叩くリアに構わず、チャンミンはリアを寝室に運んだ。

 

(お姫様抱っこだ...)

 

その後ろを、民はミネラルウォーターのペットボトルと、おしぼりを持ってついていく。

 

チャンミンはリアをベッドに横たえた。

 

「リア...こんなになるまで...。

気持ちは悪くないか?

とりあえず、水分を摂った方がいい」

 

チャンミンはリアの頭を起こすと、民から手渡されたペットボトルを開封して、リアの口元にあてた。

 

3分の1ほど飲んだ後、リアの肩が嗚咽に合わせて震えた。

 

「リア...」

 

リアの喉から、高い悲鳴のような呻きが漏れ、胸が大きく波打つ。

 

つむったまぶたの端から、涙が次々と流れ落ちる。

 

「リア...どうした?

何か嫌なことがあったのか...?

ああ...!」

 

 

(僕からの別れ話が、原因だろう。

リアは別れたくない、と言っていた。

それで、僕はリアに「もう好きじゃない」と、酷いことを言った)

 

「そうよ...。

チャンミンのせいよ」

 

「ごめん」

 

チャンミンは、リアの頬にはりついた長い髪を指でよけてやり、民から手渡されたおしぼりで、涙とメイクでどろどろになった顔を拭いてやった。

 

「チャンミンのせいよ...」

 

リアの腕が伸びて、チャンミンの頭を抱え込むように引き寄せた。

 

「リア...」

 

しばらく身を固くしていたチャンミンだったが、リアの肩に頭を預けてされるがままになった。

 

(リアさん...。

失恋の辛さ、苦しさ...私はよく分かります)

 

部外者だと察した民は、後ろに下がって二人を遠巻きに見ているしか出来ない。

 

リアの頭をぽんぽんと優しく叩くチャンミンの脇に、機転を働かせて浴室から持ってきた洗面器とタオルを置くと、民は寝室を出て行った。

 

 

(同棲までした二人なんだから、簡単に別れられないよね。

リアさんは、別れたくないんだ。

チャンミンさんは、どうするんだろう)

 

「リアとは一緒にいられない」と民の肩で泣いていたチャンミンを、民は思い出す。

 

(この場では、私ができることは何もない。

でも...)

 

リアの頭を撫ぜるチャンミンの手の映像が、民の頭にはっきりと記憶された。

 

チャンミンの手の部分だけクローズアップしたものが。

 

 

(チャンミンさんにとって、女の人の頭を撫ぜるのはどうってことないコトなのかな。

 

癖みたいなものなのかな。

 

チャンミンさんがリアさんを撫ぜるのは、謝罪の気持ちから?

 

「やっぱり好きだよ」の気持ちから?

 

私だけにしてくれてることだって、己惚れていた。

 

胸がちくちくする。

 

私はチャンミンさんにとって...何なんだろう?)

 

 


 

 

~民~

 

 

翌朝、キッチンに立って卵料理を作り、テーブルに3人分のお皿を並べた。

 

チャンミンさんもリアさんも起きてこない。

 

コーヒーを淹れるのはチャンミンさんの役割だけど、寝室からはことりとも音がしないから、おっかなびっくり私が淹れることにした。

 

時計を見るともうすぐ7時で、チャンミンさんの出勤時間まであと30分しかない。

 

昨夜、リアさんの介抱をしたまま寝てしまったのかな。

 

もう起きないと、遅刻しちゃうよ。

 

寝室のドアをノックしようとしたけれど、二人のプライベートな空間を覗くのに気が引けて、携帯電話を鳴らすことにした。

 

3コール目でチャンミンさんは、「寝過ごすところだった、ありがとう」ってくぐもった声で、電話に出た。

 

盛大に髪がはねている自分が、洗面所の鏡に映った。

 

いつもだったら、チャンミンさんに「髪の毛、はねてるよ」って教えてもらうのに。

 

ブリーチしてパサついたせいで、いつも以上に髪の毛がくしゃくしゃだ。

 

鏡の中の自分をじーっと観察する。

 

プラチナ色の髪のせいか、心なしか顔色が悪いような気がする。

 

チークをさせばいいのだろうけど、自分に似合うメイクが分からない。

 

女装した男の人みたいな顔になる。

 

明日の夜は、ユンさんにご飯をごちそうしてもらうんだった。

 

どうしよう...。

 

1着だけあるワンピースを着ていこう。

 

超ロング丈だから骨っぽい脚は隠れるし、足元は黒革を編んだペタンコサンダルを合わせよう。

 

髪型もメイクは、今夜カイさんとAちゃんに会った時に教えてもらおう。

 

今日はお休みだから、一人暮らしをする住まいを探しに行こう。

 

今週末にチャンミンさんに、不動産めぐりと下見に付き合ってもらおうと思ったけれど、頼ってばかりいられない。

 

チャンミンさんは、リアさんのことで大変だろうから。

 

洗面所を出たら、チャンミンさんが立ったままコーヒーを飲んでいて、用意した卵料理のお皿は空っぽだった。

 

「民ちゃん、おはよう」

 

目は半分しか開いていなくて、後頭部の髪がはねていて、髭が伸びている。

 

毎朝目にする姿なのに、なんだかチャンミンさんが遠く感じた。

 

いつもみたいに「泥棒さんみたいです」とか「勃ってますよ」って、からかえない。

 

 

席について、コーヒーをちびちびと飲みながら、自分の感情を整理することにした。

 

その1.

昨夜、リアさんを介抱するチャンミンさんを見て、この二人は恋人同士なんだ、って初めてリアルに実感した。

 

行為そのものを目にしたわけじゃないけれど、交際している男女の生々しさを目撃した、っていうのかな。

 

リアさんの扱いを慣れてる感じが、いろんなことを想像してしまって。

 

私とチャンミンさんは、ものすごく似ていて、他人以上に親近感を抱き合っていると思っている。

 

けれども、一緒に暮らしている恋人には、負ける。

 

 

その2.

その1にも通じること。

 

チャンミンさんとホテルに泊まった時、私に忠告の意味を込めて、チャンミンさんは私を押し倒すフリをした。

 

チャンミンさんに耳の下のあたりをキスされて、くすぐったいのとは違う、初めての感覚に驚いた。

 

ぞわぞわっとしたけれど、嫌な感じじゃないの。

 

「ってな風に襲われるから」ってチャンミンさんはすぐに身体を起こしてしまったけれど、私はもうちょっとキスしてて欲しいなぁ、って思ってしまった。

 

チャンミンさんは、リアさんにいつもこんな風にキスするのかな?って想像してしまった。

 

昨夜、チャンミンさんがリアさんの頭を撫ぜているのを見て、その1とその2の感情が湧いてきたの。

 

 

「リアさんは?」

 

「まだ寝ている。

今日の民ちゃんは?」

 

「お休みなんです」

 

「そっか...。

悪いんだけど、リアは寝かせておいてくれないか?」

 

「はい」

 

悪くなんか、全然ないのに。

 

ここは、リアさんとチャンミンさんのおうちであって、私は居候。

 

 

洗面所で「シャワーを浴びる時間はないな、仕方がない」とチャンミンさんはぼやいている。

 

髪の毛がはねていることに気付くといいんだけれど。

 

不思議なことに、今朝の私はチャンミンさんに近寄れなかった。

 

そして、チャンミンさんはリアさんと別れられないんじゃないかな、ってちらっと思った。

 

なんでだろうね。

 

 


 

~チャンミン~

 

昨夜のリアには参った。

 

泣いたり、僕を罵ったり、叩いたり、そして泣いたり。

 

リアに酷い酔わせ方をさせたのは、僕が原因だ。

 

「私を捨てないで」

「別れたくない」

「チャンミンがいないと生きていけない」とまで。

 

プライドの高いリアがそんな台詞を口にするなんてと、ショックを受けた僕の心は、正直少しだけぐらりと揺れた。

 

でも、心を鬼にして首を横に振り続けた。

 

リアの気持ちには添えないけれど、リアの頭を抱きしめてやることが、今の僕ができる精いっぱいだ。

 

以前の僕だったら、「別れたくない」と泣いてすがりつくリアの姿に、「愛されている」と勘違いをして、情にほだされて、別れを撤回していたと思う。

 

今の僕は違う。

 

リアのどこを好きになったんだろう、とじっくりと思い起こしてみた。

 

美しい顔とスタイルに惚れた。

 

何としてでも自分のモノにしたくて、追いかけた。

 

憧れに近い恋だった。

 

現実の生活を共にしてみたら、美しい蝶が舞うのを眺めているだけにはいかなくなる。

 

世話も必要だし、羽を休める休眠所を整えてやらなければならない。

 

その蝶は、極めて気紛れなタイミングで僕を誘ったり、放置したり、野暮ったい僕を哂ったりした。

 

リアの隣を歩くには、それなりのレベルでいる必要で、リアの指示通りに身なりを整えた。

 

そんな過去の遺産みたいなものを、僕は民ちゃんに貸し与えている。

 

田舎から出てきた飾りっ気のない民ちゃんを、僕の手で整えてやった。

 

民ちゃんは土台がいいから、シャツ1枚で一気に垢抜けてくれて、そんな民ちゃんを前に僕は気分がよかった。

 

僕が民ちゃんにしている行為は、リアが僕に教育していたことと同類じゃないか、と気付いた。

 

 

いや、違う。

 

民ちゃんは、そのままで十分なんだ。

 

僕はただ、民ちゃんのことを放っとけないんだ。

 

民ちゃんのありとあらゆる表情を見てみたいから、あれこれ理由をつけて彼女と関わろうとしている。

 

僕の言うこと成すことに、素直に反応する。

 

素直過ぎて怖いくらいだ。

 

民ちゃんを綺麗に磨けば磨くほど、僕の心が満たされていくんだ。

 

民ちゃんが、それも瓜二つの姿で僕の前に現れたおかげで、僕自身との差異が顕わになった。

 

民ちゃんと比べると、僕の場合はこういう顔で、性質はこうで、物事にはこう反応する、といった具合に、

 

 

昨夜、民ちゃんに「大事な人です」の言葉に、心が震えた。

 

嬉しかった。

 

「僕にとっても、民ちゃんは大事な人だよ」と言いたかった。

 

でも、民ちゃんには片想いをしている『彼』がいて、民ちゃんの恋がうまくいかなければいい、と本気で望んでしまった。

 

言葉と裏腹な心を抱えていて、「大事だよ」なんて言えないよ。

 

今朝のよそよそしい民ちゃんの態度が気になっていた。

 

 

 

帰宅したら、洗面所で何やらしていた民ちゃんが慌てて6畳間に駆け込んでしまった。

 

パンツ姿の民ちゃんしか知らなかったから、ワンピース姿に驚いた。

 

あっという間だったけれど、黒地に白い小花柄のロング・ワンピースで、白い髪に青い髪飾りを付けていたところまで、しっかりと目に焼き付いている。

 

妖精みたいに綺麗だったんだ。

 

6畳間のドアをノックして、民ちゃんに声をかける。

 

「民ちゃん?」

 

「チャンミンさん、おかえりなさい、です」

 

ドアは閉じたままだ。

 

「民ちゃん...あの...ワンピースのことだけど...?」

 

 

「似合いませんよね。

恥ずかしいです。

ごめんなさい」

 

どうして謝るんだよ。

 

「似合っていたよ、すごく」

 

「......」

 

「民ちゃんの雰囲気に、合ってた」

 

「お世辞...じゃないですよね?」

 

疑り深い言い方が、いつもの民ちゃんらしくてほっとした。

 

 

「本心で言ってるよ。

似合ってた」

 

 

「可愛い」って言えばいいのに。

 

 

僕と民ちゃんは、ドア越しに会話していた。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「せっかくだから、出ておいで。

ちゃんと見せてよ」

 

「えー、笑わないで下さいよ?

チャンミンさんに笑われたら、私、落ち込んで立ち直れなくなりますから」

 

「笑うもんか。

出ておいで」

 

 

 

「チャンミン!」

 

寝室からむくんだ顔を出したリアが、僕を呼んだ。

 

「何?」

 

僕は気付かれないようため息をついた後、リアに応えて振り向いた。

 

 

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