【33】NO?-僕は君とキスをするー

 

民ちゃん発言、「キスできますか?」に僕はフリーズしてしまった。

 

僕の中では、民ちゃんの質問に「できる」と即答していた。

 

民ちゃんが知りたいのは「好きな人がいながら、他の人とキスができるのか?」だ。

 

この質問の答えは「YES」でもあり「NO」だ。

 

リアとのことを棚に上げられるのは、いくつかの恋愛模様を経験した結果、すれてしまった大人の僕だからだ。

 

でも、民ちゃんはそうじゃない。

 

民ちゃんが欲しい答えは、「NO」なのだろう。

 

民ちゃんは青い。

 

民ちゃんの理想は、「好きな人とだけしかキスしない人」だ、きっと。

 

「民ちゃんとキスしたいのか?」

 

この質問の答えは「YES」だ。

 

でも、民ちゃんは僕の気持ちを知らない。

 

どうすればいい?

 

こんなことをわずか5秒の間に考えていた。

 

走行する車がまばらの深夜過ぎの道路。

 

規則的に並ぶ街灯が、規則的なリズムで民ちゃんの真剣な表情を照らしていく。

 

じぃっと僕を見つめている。

 

民ちゃん、何があったの?

 

どうして僕にそんなことを尋ねるの?

 

切なそうな目が色っぽく僕の目に映っているよ。

 

そんな目で見られたら、『お兄ちゃんのお友達』でいられなくなるよ?

 

言われなければ男の子と間違われてしまう凛々しい顔。

 

唇の形が、僕とおんなじだ。

 

僕と瓜二つの顔。

 

その顔に、僕の顔を近づける。

 

止められない。

 

目の前の民ちゃんが、鏡に映る自分に見えて、まるで鏡とキスをしようとしているみたいに錯覚した。

 

暗い車内で、民ちゃんの顔のディテールが曖昧になっていたから、余計にそう見えた。

 

民ちゃんと繋いだ片手はそのままに、もう片方の手を民ちゃんの頬に添えた。

 

彼女の頬がぶるっと震えたのを手の平で感じたら、目の前の鏡板は消滅してしまった。

 

僕と同じ顔をしているけど、君は僕じゃない。

 

君は女の子で、世間ずれした僕は君とは似ても似つかない。

 

斜めに傾けた顔を、15㎝の距離でぴたりと止めた。

 

民ちゃんは繋いだ手の力を抜いて、身動ぎせず呼吸も止めているようだ。

 

僕は民ちゃんとキスがしたい。

 

これが僕の答えだ。

 

僕の目が民ちゃんの喉がこくりと動いたのを認めたのち、僕は目を閉じて唇を民ちゃんに寄せた。

 

あと1㎝。

 

 

「!!!!」

 

僕らの身体が前方につんのめり、その後一気に引き戻された。

 

民ちゃんに寄せた顔がぐいっと引き離された。

 

 

赤信号を見落としそうになったタクシーが急ブレーキをかけたのだ。

 

「!!」

 

反動で僕の唇は民ちゃんの首筋に落とされた。

 

民ちゃんの汗と、ミルクみたいに甘い香りをすうっと吸い込んだ。

 

民ちゃんの首筋がぴくりと震えた。

 

僕と繋いだ手に力がこもったから、僕の男の欲が抜き差しならない状況に陥ってしまう。

 

「すんません!」

 

タクシーの運転手さんの謝罪の言葉が耳に入らない。

 

唇を押し当てているだけでは足りない。

 

唇をわずかにをずらして、口づけた。

 

僕の唇はうなじの方まで移動してゆき、鼻先を民ちゃんの髪に埋めた。

 

そしてついには、民ちゃんのやわらかい皮膚に柔く吸いついてしまう。

 

「あ...」

 

民ちゃんから掠れた声が漏れて、僕の胸がうずいた。

 

そんな声を出したら駄目だよ。

 

止められなくなるから。

 

民ちゃんの喉がこくりこくりと何度も動いて、僕を煽る。

 

僕の唇は、とくとくいう民ちゃんの鼓動を感じ取っている。

 

タクシーの中だということを忘れて、ついばむ唇の隙間から舌先をそっと押し当てた。

 

「ん...」

 

民ちゃん、そんな声出さないで。

 

そう思いながらも、もっと民ちゃんの掠れた声が聞きたかった。

 

やっぱり唇にキスしたい。

 

民ちゃんの耳の下から唇を離して、もう一度顔を寄せようとしたら、民ちゃんに胸を押された。

 

「駄目です」

 

するりと民ちゃんの手が抜かれ、僕の手の中は空になった。

 

民ちゃんは僕の胸に手を置いたまま、俯いてつぶやくように言った。

 

「チャンミンさん、駄目です」

 

そして、僕から顔を背けてしまった。

 

「民ちゃん...」

 

「からかわないで下さい」

 

「からかってなんか...」

 

「恋人じゃない人相手に、キスはできますか?って質問したんです。

チャンミンさんと私は、恋人じゃないですよね?

チャンミンさんは、恋人じゃない私相手にキスできますか?って。

質問しただけなんです」

 

そうだった。

 

民ちゃんは僕の恋人じゃない。

 

僕の想いを民ちゃんに伝えるのは時期尚早だと控えていた。

 

リアとの関係に決着を付けなければならなかったし、それに何より、民ちゃんには好きな人がいる。

 

「......」

 

「『キスして下さい』とお願いしたんじゃないんですよ」

 

僕は勘違いをしていたのか。

 

あの時、「キスできますか?」の問いに、「できる」と即答していた。

 

民ちゃんが本当に聞きたかったことに答える代わりに、衝動的に行動で示してしまった。

 

「どうして男の人は、気軽にキスをするんですか?

私はこういうのに、慣れていないんです」

 

でもね、民ちゃん。

 

君は僕のキスを受け入れていただろう?

 

じっとしていただろう?

 

勘違いしてしまうだろう?

 

「キスなんかされたら、何か特別な想いが込められているんじゃないかって、勘違いしてしまいます。

チャンミンさんは深く考えずに、軽い気持ちでしたのかもしれませんが...」

 

「民ちゃん。

そんなんじゃないんだ」

 

僕は女性あしらいに長けている男ではない。

 

浮気だとか、特定の女性をつくらずに複数の女性の間を器用に渡り歩くことは出来ないし、したくない。

 

これまで何人かの女性との恋愛経験はあるけど、僕は『堅物』な質だ。

 

「ごめんなさい。

チャンミンさんを責めているわけじゃありません。

私の質問の仕方が悪かっただけです」

 

そう言った民ちゃんは、身体ごと僕に背を向けてしまった。

 

恋愛に関して、民ちゃんは“あそび”がほとんどない堅物で未熟者だ。

 

窓枠に頭をもたせかけた民ちゃんのうなじを、僕はぼんやりと見つめるばかりだった。

 

あの夜のホテルでの時のように、冗談で済ませられない雰囲気になってしまった。

 

このままだと、民ちゃんが僕から離れて行ってしまう。

 

「民ちゃん」

 

僕はもう一度手を伸ばし、リュックサックの上に置かれた民ちゃんの手をとった。

 

一瞬強張った民ちゃんの手だったが、すぐにやわらかく力が抜けた。

 

民ちゃんは抵抗できない子なんだった。

 

異性から不意打ちに距離を縮めてこられた時、じっとして受け入れてしまうんだろうな。

 

初めて民ちゃんと会った日のうちから、僕は彼女の髪に触れていた。

 

僕からの接触に抵抗しない理由は、僕らは分身のように同じ姿形をしているからなんだと判断していた。

 

僕は一目見た時から民ちゃんに惹かれていて、そのために吸い寄せられるように彼女に触れてしまっていたんだ。

 

一方の民ちゃんは、無防備に心も身体も晒している子だから、不意打ちの接触に対してどう反応したらよいか分からずに、じっと無抵抗でいただけなんだ。

 

相手が僕だったからこそ、民ちゃんは懐いてくれて、僕に触れられてもくすぐったそうにしてくれていたんだと思い込んでいた。

 

民ちゃんは危なっかしい。

 

放っておけない。

 

「民ちゃん...ごめん」

 

さっきまで汗ばんでいた民ちゃんの手の平が、今はさらりと乾いていて、僕の手の中におさまったままだ。

 

気安く手を握られていたら駄目だよ。

 

「僕は軽々しく、誰彼構わず手を繋いだり、キスしたりしないよ」

 

「ホントですか?」

 

暗がりの中で、民ちゃんの三白眼が僕を軽く睨んでいた。

 

口角が上がっているから、本気で睨んでいるわけじゃない。

 

よかった。

 

「私、怒っていませんからね」

 

民ちゃんは、背けていた身体を僕の方に向けて座りなおした。

 

「チャンミンさんったら、勘違いするんですもの。

びっくりしましたぁ」

 

首をこすりながら、民ちゃんが笑って言った。

 

僕は本気だったんだよ。

 

民ちゃんだったら、いくらでもできる。

 

繋いだ手を引き寄せた民ちゃんは、ちゅっと音をたてて僕の手の甲に口づけた。

 

今度は僕の方が、びくっとした。

 

「仕返しに私もキスしてみました」

 

と言って、民ちゃんはふふふっと笑った。

 

僕の手の甲に、ほんの1秒だけ押し当てられた唇の柔らかさにぞくりとして、下腹がうずいた。

 

「チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「チャンミンさんのキス、全然嫌じゃなかったです」

 

「え...?」

 

そんな言葉をきかされたら、勘違いしてしまうよ。

 

「私は単純だから...勘違いしてしまうかもしれませんよ?」

 

「民ちゃん?」

 

 

「お客さん」

 

「!」

 

「着きましたよ」

 

僕らの会話が宙に浮いてしまった。

 

いつの間にかタクシーは病院裏に横づけされ、ハザードランプの点滅が夜間出入り口のドアをパカパカと照らしている。

 

「降ります!」

 

ドアが開き、僕の手を離した民ちゃんはリュックサックを抱えてタクシーから降りてしまった。

 

僕の手の中が再び空になる。

 

「送ってくださってありがとうございます」

 

財布を出そうとする民ちゃんをおしとどめた。

 

僕も車を降りようとしたが、民ちゃんに止められた。

 

「チャンミンさんはお仕事があるでしょう?

お家に帰って寝てください...2、3時間しか寝られませんね。

ごめんなさい」

 

「じゃあ、変わったことがあったら連絡するんだよ」

 

ぺこりとおじぎをする民ちゃんの頭をひと撫ぜした僕はタクシーに乗り込み、もと来た道を戻るように指示をした。

 

いつもいつも、肝心なところで邪魔が入る。

 

僕こそ、民ちゃんに聞きたいことが沢山ある。

 

さっきの言葉は、都合よく捉えてしまっていいのかい?

 

 

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