【36】NO?

 

~僕の胸、君の胸~

 

~民~

 

 

翌朝、キッチンに立って卵料理を作り、テーブルに3人分のお皿を並べた。

 

チャンミンさんもリアさんも起きてこない。

 

コーヒーを淹れるのはチャンミンさんの役割だけど、寝室からはことりとも音がしないから、おっかなびっくり私が淹れることにした。

 

時計を見るともうすぐ7時で、チャンミンさんの出勤時間まであと30分しかない。

 

昨夜、リアさんの介抱をしたまま寝てしまったのかな。

 

もう起きないと、遅刻しちゃうよ。

 

寝室のドアをノックしようとしたけれど、2人のプライベートな空間を覗くのに気が引けて、携帯電話を鳴らすことにした。

 

3コール目でチャンミンさんは、「寝過ごすところだった、ありがとう」ってくぐもった声で、電話に出た。

 

盛大に髪がはねている自分が、洗面所の鏡に映った。

 

いつもだったら、チャンミンさんに「髪の毛、はねてるよ」って教えてもらうのに。

 

ブリーチしてパサついたせいで、いつも以上に髪の毛がくしゃくしゃだ。

 

鏡の中の自分をじーっと観察する。

 

プラチナ色の髪のせいか、心なしか顔色が悪いような気がする。

 

チークをさせばいいのだろうけど、自分に似合うメイクが分からない。

 

女装した男の人みたいな顔になる。

 

明日の夜は、ユンさんにご飯をごちそうしてもらうんだった。

 

どうしよう...。

 

1着だけあるワンピースを着ていこう。

 

超ロング丈だから骨っぽい脚は隠れるし、足元は黒革を編んだペタンコサンダルを合わせよう。

 

髪型もメイクは、今夜KさんとAちゃんに会った時に教えてもらおう。

 

今日はお休みだから、一人暮らしをする住まいを探しに行こう。

 

今週末にチャンミンさんに、不動産めぐりと下見に付き合ってもらおうと思ったけれど、頼ってばかりいられない。

 

チャンミンさんは、リアさんのことで大変だろうから。

 

洗面所を出たら、チャンミンさんが立ったままコーヒーを飲んでいて、用意した卵料理のお皿は空っぽだった。

 

「民ちゃん、おはよう」

 

目は半分しか開いていなくて、後頭部の髪がはねていて、髭が伸びている。

 

毎朝目にする姿なのに、なんだかチャンミンさんが遠く感じた。

 

いつもみたいに「泥棒さんみたいです」とか「勃ってますよ」って、からかえない。

 

席について、コーヒーをちびちびと飲みながら、自分の感情を整理することにした。

 

その1.

 

昨夜、リアさんを介抱するチャンミンさんを見て、この2人は恋人同士なんだ、って初めてリアルに実感した。

 

行為そのものを目にしたわけじゃないけれど、交際している男女の生々しさを目撃した、っていうのかな。

 

リアさんの扱いを慣れてる感じが、いろんなことを想像してしまって。

 

私とチャンミンさんは、ものすごく似ていて、他人以上に親近感を抱き合っていると思っている。

 

けれども、一緒に暮らしている恋人には、負ける。

 

その2.

 

その1にも通じること。

 

チャンミンさんとホテルに泊まった時、私に忠告の意味を込めて、チャンミンさんは私を押し倒すフリをした。

 

チャンミンさんに耳の下のあたりをキスされて、くすぐったいのとは違う、初めての感覚に驚いた。

 

ぞわぞわっとしたけれど、嫌な感じじゃないの。

 

「ってな風に襲われるから」ってチャンミンさんはすぐに身体を起こしてしまったけれど、私はもうちょっとキスしてて欲しいなぁ、って思ってしまった。

 

チャンミンさんは、リアさんにいつもこんな風にキスするのかな?って想像してしまった。

 

昨夜、チャンミンさんがリアさんの頭を撫ぜているのを見て、その1とその2の感情が湧いてきたの。

 

「リアさんは?」

 

「まだ寝ている。

今日の民ちゃんは?」

 

「お休みなんです」

 

「そっか...。

悪いんだけど、リアは寝かせておいてくれないか?」

 

「はい」

 

悪くなんか、全然ないのに。

 

ここは、リアさんとチャンミンさんのおうちであって、私は居候。

 

洗面所で「シャワーを浴びる時間はないな、仕方がない」とチャンミンさんはぼやいている。

 

髪の毛がはねていることに気付くといいんだけれど。

 

不思議なことに、今朝の私はチャンミンさんに近寄れなかった。

 

そして、チャンミンさんはリアさんと別れられないんじゃないかな、ってちらっと思った。

 

なんでだろうね。

 

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

昨夜のリアには参った。

 

泣いたり、僕を罵ったり、叩いたり、そして泣いたり。

 

リアに酷い酔わせ方をさせたのは、僕が原因だ。

 

「私を捨てないで」

「別れたくない」

「チャンミンがいないと生きていけない」とまで言われた。

 

プライドの高いリアがそんな台詞を口にするなんてと、ショックを受けた僕の心は、正直少しだけぐらりと揺れた。

 

でも、心を鬼にして首を横に振り続けた。

 

リアの気持ちには添えないけれど、リアの頭を抱きしめてやることが、今の僕ができる精いっぱいだ。

 

以前の僕だったら、「別れたくない」と泣いてすがりつくリアの姿に、「愛されている」と勘違いをして、情にほだされて、別れを撤回していたと思う。

 

今の僕は違う。

 

リアのどこを好きになったんだろう、とじっくりと思い起こしてみた。

 

美しい顔とスタイルに惚れた。

 

何としてでも自分のモノにしたくて、追いかけた。

 

憧れに近い恋だった。

 

現実の生活を共にしてみたら、美しい蝶が舞うのを眺めているだけにはいかなくなる。

 

世話も必要だし、羽を休める休眠所を整えてやらなければならない。

 

その蝶は、極めて気紛れなタイミングで僕を誘ったり、放置したり、野暮ったい僕を哂ったりした。

 

リアの隣を歩くには、それなりのレベルでいることが必要で、リアの指示通りに身なりを整えた。

 

そんな過去の遺産みたいなものを、僕は民ちゃんに貸し与えている。

 

田舎から出てきた飾りっ気のない民ちゃんを、僕の手で整えてやった。

 

民ちゃんは土台がいいから、シャツ1枚で一気に垢抜けてくれて、そんな彼女を前に僕は気分がよかった。

 

僕が民ちゃんにしている行為は、リアが僕に教育していたことと同類じゃないか、と気付いた。

 

いや、違う。

 

民ちゃんは、そのままで十分なんだ。

 

僕はただ、民ちゃんのことを放っとけないんだ。

 

民ちゃんのありとあらゆる表情を見てみたいから、あれこれ理由をつけて彼女と関わろうとしている。

 

僕の言うこと成すことに、素直に反応する。

 

素直過ぎて怖いくらいだ。

 

民ちゃんを綺麗に磨けば磨くほど、僕の心が満たされていくんだ。

 

民ちゃんが、それも瓜二つの姿で僕の前に現れたおかげで、僕自身との差異が顕わになった。

 

民ちゃんと比べると、僕の場合はこういう顔で、性質はこうで、物事にはこう反応する、といった具合に。

 

昨夜、「大事な人です」の言葉に、心が震えた。

 

嬉しかった。

 

「僕にとっても、民ちゃんは大事な人だよ」と言いたかった。

 

でも、民ちゃんには片想いをしている『彼』がいて、彼女の恋がうまくいかなければいい、と本気で望んでしまった。

 

言葉と裏腹な心を抱えていて、「大事だよ」なんて言えないよ。

 

今朝のよそよそしい民ちゃんの態度が気になっていた。

 

 

(つづく)

 

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