【40】NO?-僕んちに帰っておいで-

 

~チャンミン~

 

 

民ちゃんの顔が、メイクの上からでも分かるくらい赤くなっていたのが気に入らなかった。

 

僕はユンの前に回り込み、民ちゃんの二の腕をつかんだ。

 

「民ちゃん!」

 

急に腕をつかまれて「わっ!」と驚いた後、僕だと分かった民ちゃんの顔がぱあっと輝いた。

 

「わぁ!

チャンミンさん!」

 

僕の登場を嬉しがる民ちゃんの様子に、今の僕は喜ぶ余裕がない。

 

会話の途中に乱入する真似は非常識だったかもしれないが、止められなかったんだ。

 

「チャンミンさん、来てくださったんですね!

あれ?

お仕事は?」

 

目を丸くしつつも、呑気そうな民ちゃんに腹がたった。

 

「どうも」

 

僕はユンに形ばかりの会釈をした。

 

「どうも」

 

ユンの方も、意味ありげに笑って会釈をした。

 

「あ...れ?

お知り合いだったんですか?」

 

民ちゃんが僕に尋ねるのではなく、ユンの方を見たのが気に入らなかった。

 

不当に扱われていると感じた。

 

「仕事上で付き合いがあるんだ。

チャンミンさん?」

 

「はぁ」

 

僕は苦々し気に頷く。

 

「あらら、そうだったんですか...。

世間は狭いですねぇ」

 

僕とユンを頷きながら交互に見る民ちゃん。

 

今さらながら、間近で見る民ちゃんが綺麗で、僕の知っている民ちゃんじゃなくて、苛立ちと寂しさが入り混じった気持ちで胸が苦しい。

 

「で?」

 

ユンの方へ視線を向けた後、問うように民ちゃんを見た。

 

自分でも驚くほど、鋭く固い口調だったと思う。

 

「おー!

そうでした」

 

民ちゃんは胸の辺りでパチンと手を叩くと、

 

「ユンさんは、私がお勤めしている会社の社長さんなんです」

 

 

 

 

「え...?」

 

僕の思考が凍り付いてしまった。

 

ユンの会社に勤めているって!?

 

民ちゃんが言ってた「アシスタントの仕事」って、このことか!?

 

ユンが話していた「新しいアシスタントが『使える子』」とは、民ちゃんのことだったのか!?

 

ちょっと待ってくれよ!?

 

「チャンミン...さん?」

 

僕が黙りこくってしまったから、不安そうな民ちゃんが僕のシャツの端をひっぱっている。

 

「おやおや」と余裕の表情のユンに構わず、民ちゃんを睨みつけた。

 

僕は民ちゃんの手首をつかんだ。

 

「民ちゃん、行こう!」

 

「えっ?えっ?」

 

訳がわからず目を白黒させる民ちゃんを無視して、跡がつくくらいぎゅっと手首を握った。

 

「行きたいんだろう?

僕が見張っててあげるから」

 

「行くって?」

 

僕は民ちゃんの耳元で「トイレ!」と囁いた。

 

「えっと...別に今はそれほど...」

 

「僕がいるうちに、行こう!」

 

「え...でも...」

 

民ちゃんがちらちらとユンをうかがっているのに苛立った。

 

「民ちゃん!!」

 

「う、うん...」

 

「ごゆっくり」

 

口の端をゆがめて笑うユンの、美しく精悍な顔が気に入らなかった。

 

僕はユンに会釈をすると、民ちゃんを引きずるようにずんずんと引っ張って行った。

 

全てが気に入らなくて、苛立って、民ちゃんのお尻を叩いて説教したくて...。

 

とにかく、ユンの近くから民ちゃんを引き離したかった。

 

後で振り返ると、つくづく子供じみた恥ずかしい行為だったけれど、その時の僕はパニック状態だったんだ。

 

民ちゃんがユンの側で働いているなんて...聞いてないよ。

 

 


 

 

~民~

 

 

仕事の合間をみて、ここまで来てくれたんだ。

 

素直に嬉しかった。

 

嬉しかったけど、私の手首を痛いくらいにつかんで引っ張って行くチャンミンさんの行動にはクエスチョンマークでいっぱいだった。

 

チャンミンさんが怒っている。

 

「チャンミンさん!

痛いです!

ストップ!

ストップです!」

 

ロビーを抜けてスタンド席の階まで上がったところで、チャンミンさんは歩を止めた。

 

2階ロビーは人気がなく、がらんと静かだった。

 

「チャンミンさんったら、どうしちゃったんですか?」

 

私は赤く指の跡がついた手首をさする。

 

チャンミンさんは私に背を向けたまま「ごめん」とつぶやいた。

 

白いワイシャツを着たチャンミンさんの背中が怒っていて、「怒らせるようなことを何かしたっけ?」と考えを巡らしてはたと気付く。

 

「どうして僕に黙っていたの?」

 

振り向いたチャンミンさんの顔が怖かった。

 

「それは...」

 

言えるわけない。

 

ユンさんに会いたくて、ユンさんの元で働きたくて都会まで出て来た、だなんて。

 

浅はかな奴だって、チャンミンさんに軽蔑されそうで。

 

私を疑わしそうな眼で見ていた。

 

「求人が出ていたんです。

私は何も資格を持っていないし、出来ることも限られているし...雑用なら出来ると思って...」

 

嘘をついてしまった。

 

「ホントにそれだけ?

ユン、じゃなくて...ユンさんに声をかけられたとか、そういうんじゃないよね?」

 

「違います」

 

また嘘をついてしまった。

 

どこまで本気だったのかは分からないけれど、「俺の元で働かないか?」と誘われたのは事実だ。

 

私はその誘いを鵜呑みにした。

 

チャンミンさんは私の次の言葉を待っている。

 

「面接の時、ユンさんは信用できて、いい人そうでしたし...。

お義姉さんのことや、コンテストのことも配慮してくださって...。

失敗することもありますけど、ユンさんは根気よく教えて下さって...」

 

言い訳めいていて、まるで悪いことをしていたみたいな心境だった。

 

大きく息を吐くとチャンミンさんは、

 

「アシスタントって...そういうことだったんだ...」

 

「はい...」

 

「民ちゃんはそれでいいわけ?

雑用係でいいわけ?」

 

チャンミンさんの言葉に悲しくなってきた。

 

チャンミンさんは何に怒っているんだろう。

 

勤め先を詳しく教えていなかったことに?

 

勤め先の社長がユンさんだということに?

 

それとも、雑用係で満足している私を?

 

 

「私はコンビニとか、電化製品店とか、スーパーとか、居酒屋とか...店員さんしかしたことがないんです。

次は違う仕事を経験してみたかったんです。

お客さんがきたらコーヒーをお出ししたり、電話に出たり、コピーをとったり...。

そういう仕事をやってみたかったんです。

...雑用係は駄目ですか?」

 

この言葉は本当だ。

 

鼻の奥がつんと痛くなってきた。

 

つくづく人に誇れる特技がなくて、これだと打ち込める何かもない自分が情けなかった。

 

私のどこを見込まれたのかは、皆目わからない。

 

「君に来て欲しい」とユンさんから誘われて、私は心底嬉しかったのだ。

 

チャンスをくれたユンさんに感謝の気持ちでいっぱいだったのだ。

 

「民ちゃん...」

 

こぼれ落ちそうな涙を、チャンミンさんの親指でぬぐわれた。

 

「雑用係が悪いって言っているんじゃないんだよ。

何も知らされていなくて...びっくりしたんだ」

 

「内緒にしてるつもりはなかったんです。

チャンミンさんがまさかユンさんと知り合いだったなんて、知らなくて...。

ユンさんのところで働くのはそんなにいけないことですか?」

 

「いけなくはないけど...」

 

ユンさんとは仕事上の付き合いだと言っていたけど、何かトラブルでもあったのだろうか?

 

私とユンさんが立ち話をしていた時、急に現れたチャンミンさんは険しい表情をしていた。

 

それに「ユンさん」の名前を聞くと、チャンミンさんは苦々しい顔をしているから。

 

だから、仕事内容にモデルになってポーズをとることが含まれているなんて、チャンミンさんには言えない。

 

チャンミンさんに対して嘘をついている自分が嫌だった。

 

「泣かないで。

メイクが落ちるよ」

 

「はい」

 

「僕の知り合いのところに勤めていると知って、びっくりしただけだ。

もう怒ってないよ」

 

「よかった、です」

 

「座ろうか?」

 

チャンミンさんに腕を引かれて、2人で階段に腰掛けた。

 

「ねぇ」

 

チャンミンさんの声音が優しくなった。

 

「民ちゃん...とても綺麗だったよ」

 

「ホントですか?」

 

「ああ。

鳥肌がたった」

 

チャンミンさんはそう言って腕をさすって見せた。

 

「ランウェイを歩くことになるなんて...ひょこひょこしててカッコ悪かったでしょう?」

 

「全然。

姿勢もよいし、堂々としていて...いつもの民ちゃんだった」

 

「嬉しい、です」

 

チャンミンさんに褒められて、体温が1℃上がったみたいに身体が熱くなった。

 

きっと私の耳は真っ赤になっている。

 

「お仕事中なんでしょ?

こんなところにいて、大丈夫ですか?」

 

「昼休み中だから、大丈夫。

どうしてもひと目見たかったんだ」

 

チャンミンさんのうっとりと細めた目元が優しくて、私の胸は温かいもので満たされる。

 

窓から降り注ぐ日光に照らされたチャンミンさんの顔が、彫刻像みたいに整っていて見惚れてしまった。

 

見慣れてるはずのワイシャツ姿も、カッコいいと思った。

 

「民ちゃんはいつ帰って来るの?」

 

「ああ!

明日には帰って来られます」

 

「今日じゃ駄目なの?」

 

「へ?」

 

「今夜、帰っておいで」

 

「でも...荷物はお兄ちゃんのところに置いたままだし...」

 

「明日取りに戻ればいいよ。

民ちゃんならパンツ1枚あれば大丈夫でしょ?」

 

「ひどいですー」

 

「ははは!

今日は何時に終わるの?」

 

「え...っと、大会は15時には終わります。

その後、サロンに戻って髪を染め直してもらいます。

そうだ!

ねえ、チャンミンさん。

何色がいいと思います?」

 

チャンミンさんは顎に手を添えてうーんと唸りながら、私の顔と髪を交互に見る。

 

「明るい茶色か、赤っぽい色、かな?

そっちの方が民ちゃんに似合ってると思う。

今みたいに青いのもいいけれど...近寄りがたいというか、顔色が悪くみえるというか」

 

「赤みがかかった色の方が似合うって、カイさんも言ってました、そういえば」

 

何もかもが嬉しくてくすぐったい。

 

「今夜、帰っておいで」

 

念を押すようにチャンミンさんが私を覗き込んだ。

 

チャンミンさんは香水をつけない人だ。

 

チャンミンさんの汗の匂いがふわっと香ってきた。

 

チャンミンさんは気にしているけれど、私にとってほっとする香りだ。

 

(おじさんみたいな匂いがするって、からかってしまうけれど)

 

「ご迷惑じゃありません?」

 

「リアさんが...」と言いそうになるのを飲み込んだ。

 

「迷惑なものか。

今日は僕も早く帰るから...そうだ!

どこか飲みに行く?」

 

「うーん...。

おうちでのんびりしたいです」

 

チャンミンさんのおうちでデリバリーしたピザを食べながら、ごろごろのんびりしたかった。

 

「この階なら空いてると思う。

僕が見張っていてあげるから、トイレに行った方がいいよ」

 

チャンミンさんは立ち上がると、私の方へ手を差し出した。

 

チャンミンさんの手を握って、腰を上げかけた途端。

 

「あれ...あれれ...?」

 

「民ちゃん!」

 

膝ががくがくして力が入らず、立ち上がれない。

 

「腰が抜けたみたい、です」

 

苦笑いをした私はチャンミンさんを見上げた。

 

心配そうな、困ったような、優しい顔。

 

今頃になって、ピリピリに張り詰めた緊張が解けたのはきっと、差し出されたチャンミンさんの手がとても頼もしくて、安らかな気持ちになったからだ。

 

 

 

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