【短編】僕は猫

 

僕はアヤさんのことが大好きだ。

僕の頭や背中を撫でる手のひらも、腕に抱かれて柔らかなアヤさんの胸に顔をうずめることも大好きだ。

僕を呼ぶ優しい声音も、アヤさんの足首にまとわりつくことも、全部全部、大好きだ。

僕はアヤさんのベッドで目を覚まし、昼間はアヤさんの帰宅を待ち、夜は再び、アヤさんのベッドで眠る。

アヤさんのことが大好きだから、アヤさんの部屋を訪ねてくる男の人が大嫌いだ。

彼がやってきた時は、僕はケージに閉じ込められる。

どんなに鳴いても、アヤさんの部屋のドアは閉まったままなんだ。

頭にきたから、この前、僕を抱っこしようとした時、僕は彼の腕を思い切りひっかいてやった。

「こら!チャンミン駄目よ」

と、アヤさんに怒られたけどね。

いいんだ、僕のアヤさんをとっちゃう奴なんか大嫌いだ。

 

だけど、僕には心配ごとがある。

アヤさんの様子がおかしいんだ。

お酒をたくさん飲むようになったし、

スマホの画面を見つめては何度もため息をついたり、

僕へのご飯を忘れたり、

ベッドの中で、シクシクと泣いているんだ。

アヤさんのまぶたから、次々と流れ落ちる涙を、僕は舐めてあげた。

「チャンミン、ありがとう」と僕をなでながらも、アヤさんの涙は止まらない。

「彼がね、仕事が忙しいからって、当分会えないって」

アヤさんはすごく、悲しんでいる。

アヤさんを泣かせる奴は許さない。

でも、アヤさんの頬を舐めるのが、僕にできる唯一のこと。

アヤさんの腕に抱かれるばかりじゃなく、僕はアヤさんを胸に抱いて慰めてあげたい。

僕だったら、アヤさんに寂しい思いはさせない。

どうか神様、1日だけでもいいから、僕にアヤさんを守る力を下さい。

​最近、そう強く願っているんだ。


窓から注ぐ朝日の光で、部屋の中は真っ白にまぶしい。

僕は毎朝、アヤさんより早く起きるようにしている。

うっすらとまぶたを開けると、ウェーブがかったアヤさんの頭が見える。

あれ?と思った。

いつもなら目を覚ますと、最初に目に飛び込んでくるのは、アヤさんの胸元のはずなのに。

前脚を持ち上げてみたら、毛むくじゃらじゃない、すべすべの腕。

​顔を触ると、やっぱりすべすべ、髭もない。

がばりと飛び起きて、僕は身体のすみずみまで点検する。

洗面所まで走って行って(2足歩行ができる!)、鏡で顔を映してみた。

やった!

人間だ!

​願いが叶った!

あまりの嬉しさに小躍りしていると、「チャンミーン」と寝室から僕を呼ぶ声が。

​「アヤさん!」

アヤさんの元へ駆け戻ると、

「チャンミンったら、裸じゃないの、風邪ひくわよ」

と、アヤさんはクスクス笑った。


「今日は、何しよっか?」

アヤさんは、ニコニコと楽しそうに僕にたずねた。

僕は牛乳をひと口飲んでから、

「散歩して、買い物して、一緒にご飯を作りたい」

と答えた。

「いいわね!そんな普通な過ごし方って、今までしたことなかったから」

キラキラ光るアヤさんの目。

「今すぐ出かけましょう!」

僕が人間でいられるのは、たった1日だけ。

​1分でも無駄にできない。

「化粧なんかしなくても、アヤさんは綺麗なんだから!」

着替えに手間取るアヤさんを急かして、僕は、アヤさんの彼のものだという洋服を着て、外出までこぎつけた。

僕はずっとアヤさんと手をつないでいた。

アヤさんの手の小ささに、僕は愛おしい気持ちでいっぱいだった。

「アヤさんのことが、大好きです」

​「僕はアヤさんのことが、大切です」

​「アヤさんとこうして、一緒にいられて幸せです」

アヤさんが照れても、僕は構わず、何度も気持ちを伝えた。

愛情を言葉で伝えられるって、なんて幸せなことなんだろう。

アヤさんの隣を歩いて、スーパーで一緒に買い物をして、同じ部屋に帰って、1つのテーブルで食事をする。

​すべてが貴重で、今日だけの思い出だ。

アヤさんは、一日中、笑っていた。

アヤさんの笑顔がまぶしくて、僕は彼女をギュッと抱きしめてしまう。

​何度も何度もアヤさんを抱きしめた。

「僕はアヤさんの味方です、どんなときも」

「僕は何があっても、アヤさんを守るから」

アヤさんは、「チャンミンったら​」と照れてばかりだったけど、しまいには泣いてしまった。

​僕は「ごめんね」と謝って、アヤさんを抱く腕の力をさら強めた。

僕の腕の中にすっぽりとおさまってしまうアヤさんが愛おしい。

でも、

楽しい時間は、過ぎるのがあっという間だ。

僕は、アヤさんと交わした言葉のひとつひとつを、アヤさんと一緒に見た景色を、絶対に忘れないように、心に刻んだ。

明日からは、彼女と会話を交わすことは出来ない。

アヤさんを抱きしめてあげることもできない。

​ただの猫に戻って、彼女に可愛がってもらうだけの存在になってしまうから。

アヤさんとひとつベッドで横になった時も、僕は彼女の手を握っていた。

「私はどこにもいかないわよ」

アヤさんはくるりと寝返りをうって、僕の方を見た。

「ずっとチャンミンの側にいるから」

でもね、アヤさん、人間のチャンミンは今日でどこかへいってしまうんだよ。

アヤさんの潤んだ瞳を見つめているうち、僕の目から涙がこぼれ落ちた。

僕はこのまま、人間の男でいたいよ。

「やだ、泣いてるの?」

アヤさんは、親指でそっと僕の涙を拭いてくれる。

ますます切なくなってしまって、僕はアヤさんの胸にしがみついて、もっと泣いてしまった。

「おかしなチャンミン」

​アヤさんは僕の背中をとんとんと、なだめるように叩いてくれた。

​これじゃあ、いつもと同じじゃないか、アヤさんに抱かれるなんて!

僕は思いきって、アヤさんの小さな顔を両手で包んで、彼女の唇にやさしくキスをした。

「チャンミン、嬉しい」

アヤさんも、やさしく僕にキスをしてくれた。

僕の心は、幸福でいっぱいになった。

アヤさんをギュッと抱きしめた。

アヤさんも、僕の背中に手をまわして、僕を抱きしめてくれた。

​このまま夜が明けなければいいのに。

神様は、2つもお願いはきいてくれないだろうな。

​僕は猫。

アヤさんに飼われている、ちっぽけな猫。

人間の男になって、アヤさんと一緒に過ごせた今日一日のことを、僕は死ぬまで忘れないだろう。

 


今日もいい天気。

私の肩の重みは、彼の腕。

​横向きに、軽く口を開けて眠っている彼の、寝ぐせだらけの髪をなでる。

パチッと彼の目が開いた。

​「もっとなでて、気持ちいいから」

「いいわよ、いくらでも」

​彼は、猫みたいに私の胸に頬をすり寄せてきた。

「チャンミンみたい」

「僕も猫になりたい。ずっとアヤさんの側にいたい」

「本気?さあ、チャンミンを出してあげないと」

彼をベッドに残したまま、リビングに置かれたケージからチャンミンを出してやる。

​チャンミンを抱き上げ寝室に戻ると、彼は起き上がってTシャツの袖に腕を通しているところだった。

彼の腕に走る痛々しい傷。

「跡が残るかもしれないわね、ごめんなさい、うちのチャンミンが」

​「いいんだよ。彼が怒るのも当然だ。僕はいつも君を一人にしていたから」

彼は腰かけたベッドを叩いたので、その隣に私は座る。

「ねぇ、アヤさん」

彼は、チャンミンを抱いたままの私の肩に腕をまわした。

​「僕は昨夜、不思議な夢をみたんだ」

「どんな?」

「僕は...猫になっていた、君のチャンミンに。

毎晩、君がどんなに寂しい思いをしているかを思い知ったんだ。

​それから、君と過ごす時間がどれだけ大切なものかも」

「あなたが猫に?」

「チャンミンがアヤさんのことが好きでたまらないことも、よく分かったんだ」

「チャンミンは私にべったりだからね」

彼は微笑んだ。

​「...なんだか妙な気持ちになるよ。

君のチャンミンと、僕が同じ名前だなんて」

私は、チャンミンの肩に寄りかかった。

​「だって、あなたがプレゼントしてくれた猫だから。

あなたの名前を呼んでいたいの」

チャンミンはクスクス笑って、私の頭を引き寄せた。

​「ねえ、アヤさん」

チャンミンは私の顔を覗き込んだ。

「僕は忙しいから、なかなか君に会える時間がとれない。

でも、君と少しでも、一緒にいたい気持ちは強いんだ。

​だから、解決法を考えたんだ」

チャンミンは言葉を切ると、ふっと真面目な表情になる。

「僕と一緒に住みませんか?」

「えっ?」

「僕と住みましょう」

「チャン...ミン?」

「僕がどんなに忙しくても、帰るところはアヤさんの元です。

もちろん、アヤさんが忙しくても、帰るところは僕と一緒の場所です」

私の目にみるみる涙が膨れ上がるのが分かる。

チャンミンはぎゅうっと私の手を握った。

​フーフーいう猫のチャンミンの頭を、彼はなでた。

「実は、数軒ほど目星をつけてるんです」

ひっかこうとする猫のチャンミンのパンチを、避けながら彼は私の手を引いて立ち上がらせた。

「心配しないで、アヤさん。ペットが飼えるところをセレクトしてあります」

涙をこらえる私の頬を、チャンミンは両手で包んだ。

「早くでかけましょう、今すぐ!」

「えー、でも、メイクも洋服も未だ...」

「アヤさんは、化粧をしなくても、十分綺麗ですよ」

​チャンミンは、チュッと音をたてて、私にキスをした。

 

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