8.青春の瞬き

 

実力テストの結果発表が、職員室前の掲示板に張り出された。

 

興味のないふりをして、僕は自分の名前を見つけ、軽くため息をつく。

 

2番だ、今回も。

 

1番は、Hクラスの「リョウ」とある。

 

僕はわりと成績のよい方だったし、日々の勉強も苦にならないたちだったけど、どうしてもあと一歩、リョウには負ける。

 

僕のクラスはAクラスで、リョウのいるHクラスは隣の校舎だったから、リョウがどんな奴なのか、まだ知らなかった。

 

難関校を目指すFからIクラスの生徒は、勉強はできるが、あか抜けない生徒の集まりだ。

 

きっとリョウも、青白い顔色して、シャツの一番上までボタンをかけたような奴なんだろう。

 

外履きを脱いで、自分に割り振られた下駄箱の扉を開けると、上履きの上に白い封筒が置かれていた。

 

あまりに古典的過ぎて愉快な気分になった僕は、中身の指示に従って放課後に自転車置き場に向かった。

 

その子はすでに来ていた。

 

周りを見回してみたけど、彼女の友達が陰から見守っている気配はない。

 

珍しい、一人なんだ。

 

僕が来たことに気付いて、その子はパッと顔を上げた

 

つるんとした頬をした可愛い子だったけど、僕は丁重にお断りした。

 

「ごめん」

 

泣き出しそうなその子の表情を見て、自分が彼女を傷つけていることを実感する。

 

でも、好き好んで断っているわけじゃない。

 

付き合うとか付き合わないとか、僕にはそんな余裕がないんだ。

 

その子は、ぺこりと僕におじぎをすると、くるりと背を向けた。

 

ひとつに結んだ長い髪を揺らして小走りで駆けていった。

 

僕は深く息を吸い込み、吐いた。

 

(それどころじゃないんだよ)

 

僕は、高校三年生。

 

将来を左右する大きな試験を控えているんだ。

 

 


 

 

僕ら三年生にとって、息抜きとなるべく最後の行事は、球技大会だ。

 

ソフトボール、バスケットボール、バレーボールの3球技分、1クラス内でチーム分けする。

 

僕はくじ引きで、ソフトボールだった。

 

気合の入っているクラスはチームTシャツまで作っている。

 

よく晴れた日だった。

 

ソフトボールはグラウンドだから、日に焼けて、さぞかし暑くなるだろうと想像してゲンナリしていた。

 

青いジャージ姿の生徒たちが1,200人。

 

3タイプの生徒に分けられる。

 

最高の思い出を作ろうと、底抜けに楽しめる奴。

 

大人数で集まって、それも苦手なスポーツをすることが、ただ苦手な奴。

 

貴重な勉強時間を削られることに苛立ちながら、嫌々参加する奴。

 

第一試合が始まり、笛の音を合図にグラウンドから歓声が沸く。

 

「おーい、チャンミンそろそろだぞー」

 

チームTシャツを着て、鉢巻きをした級友に呼ばれた。

 

「腹の具合が悪いんだ。

先に行ってて」

 

「なんだそりゃあ」

 

集合場所へ向かう彼らに背を向けると、僕は校舎の裏手にまわった。

 

 

喧噪が遠のき、裏山の木々が影を作っていて涼しい、

 

僕は球技大会なんて、最初から参加するつもりはなかった。

 

メンバー数が多いソフトボールに決まって助かった。

 

裏山のブロック塀と自転車置き場に挟まれた場所を目指す。

 

校舎内にいたら、サボる生徒はいないか巡回している教師たちに見つかってしまう。

 

僕は、来週行われる中間試験に備えたかった。

 

ボール遊びに興ずる同級生たちをよそに、試験勉強だなんて抜け駆けしているみたいで、僕は卑怯だ。

 

でも、気にしない。

 

それくらい、試験とは僕にとって大切なものなんだ。

 

 

先客がいた。

 

「チャンミン君?」

 

よりによって、あの子だった。

 

先日、僕に「好きだ」と告白してきた女子生徒だった。

 

(マジかよ)

 

「嫌な顔しないで」

 

一瞬嫌な顔をしたのを、見られてしまったようだ。

 

「サボり?」

 

「うん。

運動は苦手なの。

特に「球」とつくスポーツが大嫌い」

 

ここは諦めて、別の場所を探そうと踵を返そうとしたら、

 

「邪魔はしないから」

 

「う、うん」

 

彼女から2メートル離れて、僕も腰を下ろした。

 

彼女のTシャツの胸の刺繍が目がとまった。

 

「H組?」

 

「うん」

 

「ナカさんは、どこ目指してるの?」

 

彼女の名前は、手紙に書かれていた。

 

進学校だということもあって、「志望校はとこ?」は合言葉のようなものだ。

 

志望校の難易度によって、各々の学力も自然にはかられてしまう。

 

「“どこ”、というより、なりたい職業があって、

それになるには、どうしても学べる大学が絞られてきてしまうの」

 

「そうなんだ」

 

「チャンミン君は?」

 

志望校を言うと、彼女は両手で口を覆って、目を見開いて「凄い」とつぶやいた。

 

この日の彼女は、三つ編みヘアだった。

 

リュックサックから、問題集とノートを膝の上に広げた。

 

彼女は、読書を始めた。

 

「なんの本読んでいるの?」

 

ページを覗き込んだら、裏返しにしたカバーの表を見せてくれた。

 

「ばりばりの恋愛小説なの」

 

「ふうん」

 

呑気なものだと思った。

 

僕は、試験問題を1つ1つこなしてゆく。

 

彼女も読書に集中して、僕の邪魔をしない。

 

トートバッグから、お菓子を出して僕にすすめてくれた。

 

 

蝉の鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。

 

ポイントが入ったらしく、校舎の向こうから歓声が沸く

 

どうしても解けない問題があった。

 

バッグから参考書を出して、ページを繰ってみたが答えを導いてくれそうなヒントを見つけられない。

 

イライラして何度も髪をかき上げていると、彼女が僕の隣に腰を下ろした。

 

僕の手元に顔をよせて、じっと問題集とノートを交互に見つめていた。

 

彼女の頬に、伏せたまつ毛が影をつくった。

 

僕の手からすっとシャープペンシルを抜き取って、僕のノートの隅にさらさらと公式を記した。

 

「え!?」

 

この問題は、志望校で実際に出題された試験問題だった。

 

正解率が10%未満の難問のはずだった。

 

「そっか、ナカさんは理系だったね。

 

えっと、H組はやっぱり頭がいいやつばっかりなんだろ?」

 

「そうだなぁ。

医者になりたい、とか薬剤師になりたい、とか明確な子の集まりかもね。

でも、普通の子もいっぱいいるよ。

たまたま数学や物理が得意で、Hクラスになっちゃった子たちとか」

 

「へえ」

 

彼女が笑った。

 

「えっと...」

 

僕は、気になって仕方なかった疑問を口にした。

 

ナカさんのクラスに、学年トップの奴がいると思うんだけど?」

 

「リョウ?」

 

「うん。

どんな感じ?

ガリ勉タイプ?」

 

彼女は、ほぅっと息を吐いた。

 

「私」

 

「え?」

 

「ナカ・リョウは、私」

 

「えっ...!」

 

“リョウ”という名前から、男子生徒だと思い込んでいたこと。

 

Hクラスにはナカ姓が3人いたこと。

 

目の前の彼女がナカだと名乗った時も、「ナカ・リョウ」だとは結びつけなかったこと。

 

「チャンミン君、成績いいよね」

 

「君の次にね。

余裕があるんだね」

 

リョウの手の中の本をあごでしゃくった。

 

球技大会をサボって、試験勉強をするわけでもなく、恋愛小説を読んでるなんて、余裕たっぷりじゃないか。

 

彼女にジェラシーを覚えた。

 

陰でこそこそ勉強している自分が、恥ずかしく思えた。

 

「これはね、息抜きなの。

私、大げさじゃなく一日6時間以上は勉強してるのよ。

休みの日は、一日中。

私は秀才じゃない。

人一倍勉強しているから、テストの結果がいいだけのこと。

チャンミン君は、もともと頭がよさそうね」

 

「そんなことないよ」

 

「チャンミン君にフラれちゃったから、恋愛小説でも読もうかなって思って」

 

「ごめん」

 

「大嫌いなバレーボールやってストレス溜めたら、試験勉強に影響が出ちゃうでしょ。

だから、本を読むことにしたの。

結局、活字から逃れられないのは変わらないんだけど」

 

そう言ってリョウは、哀しげな微笑を浮かべた。

 

・・・

「どっちがいい?」

 

自販機で買ってきたジュースを、リョウに差し出した。

 

「お茶は売切れていた。

オレンジジュースとリンゴジュース、好きな方選んで」

 

「チャンミン君が先に選んでよ。

私、どちらも好きだから」

 

“どちらでもいい“じゃなくて、両方好きと言ったのが新鮮だった。

 

「チャンミン君、お弁当は?」

 

「売店で適当に買ってくるつもりなんだけど?」

 

「売店なんか行ったら、友達に見つかっちゃうよ。

午後からの試合に引っ張り出されるよ」

 

「それは嫌だなぁ」

 

「私のお弁当分けてあげるよ」

 

「悪いよ」

 

「お菓子もいっぱいあるから、大丈夫」

 

「ありがとう」

 

リョウの弁当箱は小さくて、遠慮なく手を伸ばしにくかった。

 

リョウは僕の手の平にサンドイッチの最後の一つをのせてくれた。

 

「あとでタコヤキ食べに行こうよ」

 

「駅前の?」

 

「行こ行こ」

 

僕らは顔を見合わせた。

 

「うん」

 

リョウの前で、僕は初めて笑顔を見せた。

 

・・・

 

参考書もノートも、バッグの中だ。

 

僕は、勉強なんてどうでもよくなっていた。

 

今日はやらない。

 

 

「どうして、僕のことが...いいって思ったの?」

 

「好きになったポイントはね、

 

チャンミン君の、頭のほら、後ろのところ」

 

リョウが指で僕のうなじに触れた。

 

ぞわっと電流が背筋を流れた。

 

「ここが、くるん、ってなってるでしょ?」

 

僕の髪はくせ毛で、耳の後ろの髪が内巻きにカールしている。

 

「そこがいいなって思ったの」

 

「そこ?」

 

「補足すると、

チャンミン君って背も高いし、勉強もできるし、かっこいいでしょ?

それなのに、

髪の毛がくるん、ってしてて」

 

リョウは、両手で口を押えて笑った。

 

笑顔がめちゃくちゃ可愛かった。

 

「そこが、いいなって思ったの」

 

「そこ?」

 

僕も吹き出した。

 

「渡り廊下ですれ違った時、

チャンミン君、手すりにもたれてぼーっとしていた。

その時に見たの、くるんを」

 

「喜んでいいのか、悪いのか...」

 

「テスト結果の表に、私の左側に並んでるチャンミン君には、注目してたんだ」

 


 

制服に着替えて、表彰式が行われているグラウンド脇を避けて、裏門から外へ出た。

 

リョウのバックを、僕の自転車のカゴに入れてやった。

 

トートバッグの重さに、彼女も必死に勉強をしている身なんだと実感した。

 

駅までの道のり、僕は自転車をひいて、リョウはその隣を歩いた。

 

いろんな話をした。

 

それぞれが通っている予備校の、ユニークな講師のこと。

 

解答欄を1段ずらしてしまった夢をみたこと。

 

誤植のせいで永遠に解けない問題のこと。

 

駅前で、やけどしそうに熱いタコヤキを二人で分け合った。

 

ソースが唇の端についたリョウを見て笑って、シャツの胸元をソースで汚した僕を笑った。

 

リョウが差し出した水色のハンカチで拭いたら、ますます汚れが広がってしまって、可笑しくて二人で笑いこけた。

 

頭の中の公式と単語がこぼれ落ちないよう、常に補充し続けていた僕ら。

 

眉間にしわをよせ、全身が緊張状態だった僕らの、つかの間の小休止だった。

 

駅についても離れがたくて、学校まで引き返す道中もずっと話をした。

 

「今日は予備校を休む」

 

ちろりと舌を覗かせて、リョウは笑った。

 

僕の方も忘れていた。

 

「明日から頑張るから、大丈夫」

 

日が暮れて、お互いそろそろ帰宅しなければならない時間が迫っていた。

 

「じゃあ、ね」

 

「今日は楽しかったー。

それじゃあ、お互い頑張ろうね」

 

改札口へ向かうリョウの手首を、僕は捉えた。

 

顔を近づけた時、日焼け止めクリームの香りがした。

 


 

リョウと会話を交わしたのは、あの日限りだった。

 

理数系校舎に繋がる渡り廊下をうろついて、彼女の姿を探した。

 

休み時間、行きかう生徒たちの中に、彼女に似たシルエットを見つけると、思わず顔を伏せてしまった。

 

恥ずかしかった。

 

ガリ勉なのに、そうは見えないリョウの姿をずっと探していた。

 

翌週行われた期末試験結果が張り出されたとき、僕の名前は一番右端にあった。

 

あり得ないと思って、連なる名前を順に追って探した。

 

リョウの名前がなくなっていた。

 

その後、猛烈な受験勉強にも関わらず、僕は第一志望を落とし、第二志望校へ進学した。

 

浪人生ができるほど、僕の家は経済的余裕がなかった。

 

得たものがあったのか、なかったのかよく分からない高校生活だった。

 

ひたすら机に向かっていた3年間だった。

 

何かを始めるための、準備期間だった。

 

進学できた暁に、その何かを始められたのだろうか。

 

意識しないうちに、始まっていたんだろうか。

 

延々と続くかのように思われた、重苦しく黒い道程で、

 

リョウと過ごしたたった数時間が、ポツンと瞬く光だった。

 

そう振り返られたのは、ずっとずっと後のこと。

 

渡り廊下の灰色の床と、白い靴下と白い上履き、制服のズボンの裾。

 

この映像が僕の記憶に焼き付いている。

 

 


 

 

得意先に無事サンプル品を届け終え、普段利用しない駅に向かっていた。

 

初夏を迎え、ネクタイに締め付けられた衿が暑苦しかった。

 

信号が変わり、横断歩道を渡る。

 

ぎらぎらと照り付ける日光が、シャツの背中を濡らしていく。

 

彼女だと、ひと目でわかった。

 

ベージュのブラウスに、ネイビーのタイトスカートを履いていた。

 

当時、後ろで一つに束ねていた髪が、肩までの長さになっていた。

 

雑踏の音が消え、僕は彼女の姿に吸い寄せられた。

 

涙が出そうなくらい、綺麗だった。

 

僕と目が合ったとき、彼女の目が見開いた瞬間を見逃さなかった。

 

僕は渡りかけた横断歩道を戻って、こちらへ渡ってきたリョウと合流した。

 

彼女の左薬指を、とっさに確認した。

 

つるんとした頬はそのままだった。

 

 

「ナカさん」

 

 

「チャンミン君...?」

 

 

リョウは差していた日傘を、僕に差しかけた。

 

パンプスの足がつま先立ちになっているのに気が付いた。

 

「いいよ、僕は平気だから」

 

僕の額から汗が噴き出していた。

 

暑さだけが原因じゃない。

 

「暑いわね」

 

リョウが差し出した水色のハンカチを受け取った。

 

まぶしいのは、ぎらつく太陽の光だけじゃない。

 

始まるか、始まらないかなんてわからないだろう?

 

声をかけなければ、何も始まらないだろう?

 

 

「急いでる?」

 

「30分だったら」

 

 

 

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