「シヅクは、チョコレートは好き?」
「はあ?」
マグカップから唇を離して、シヅクは信じられないといった表情になる。
「今、私はココアを飲んでんだよ?すっとぼけてんじゃないよ、チャンミン」
「いや...一応、確認しようとしただけ」
湯気立つマグカップの中身を、美味しそうに飲むシヅク。
その姿を優しいまなざしで、見つめるチャンミンであった。
・・・・・・
「何だよ、これ?」
「いいから、シヅクはこれを付けて」
二人がいるのは、チャンミンの部屋の玄関先。
シヅクはチャンミンに誘われて、彼の部屋を訪ねていた。
「あんた...正気?」
シヅクは、チャンミンに手渡されたものを凝視した。
手の中のものは、黒いアイマスク。
「チャンミン...」
(チャンミンのやつ...目隠しプレイでもする気か⁉)
「早く付けてよ、シヅク!」
(これから私は裸にされるんかな?
チャンミンの知られざる性癖を垣間見たような気がする...)
「あ!こら!強引だな!」
待ちきれないチャンミンは、シヅクの目をアイマスクで覆う。
(わかったよ、チャンミン、お手並み拝見だ)
チャンミンは、ぶつぶつ文句を言うシヅクの手を引いて、リビングへ連れて行く。
「椅子はここ、座ってシヅク」
シヅクは、チャンミンに肩を押されて椅子に座り、
彼が立ち働く物音や、テーブルの上でカチャカチャいう食器を音を、視界を遮られた状態で聞いていた。
(チャンミンの奴...何か計画があるらしいな)
少しづつ、シヅクの心も期待感が満ちてきた。
「お待たせ、です」
するりとアイマスクを外され、まぶしさでまばたきを繰り返していたシヅクも、次第に目が慣れてきた。
「わぁぁぁ!」
テーブルはキャンドルの黄色い灯り、ワインレッドのテーブルクロスに、ダークブルーのナプキン。
正面に置かれているのは、繊細なカットがきらめくガラスのお皿にのせられた、チョコレート・ムース・ケーキ。
「チャンミン...これ、あんたが作ったの?」
「そうだよ。
ほら、今日は、バレンタインでしょう?」
「男のあんたが、ケーキ焼いてどうすんだよ、逆だぞ、普通?」
「恋人への贈り物なんだから、関係ないだろう?」
「確かにな...美味しそう!ほんと、あんたって器用だね」
「僕は、何でもできるようになる男だから」
「ちょっとは謙遜しろよ、こら」
「このケーキには、シャンパンが合うから」
「お!奮発したねぇ」
「どうぞ、召し上がれ」
チリンとグラスを合わせ、シヅクはスプーンをとった。
ふわっと柔らかい生地に、濃厚なチョコレート、ブランデーの香り。
「うまいなー、いいよチャンミン、最高だ!」
シヅクのスプーンの手は止まらない。
「うまい」を連呼しながら食べるシヅクを、チャンミンは頬杖をついてニコニコと眺めていた。
「チャンミンは?食べないの?」
「食べるよー、シヅクが食べ終わったら」
「ふうん」
シヅクのケーキは、早くも半分。
チャンミンの表情が真顔になってきた。
「あ、シヅク?」
「うぐっ」
「わっ!」
のどを詰まらせて、シヅクは胸を叩いた。
「シヅク!もっとゆっくり!味わって!」
「わかったわかった」
「お願いですから、ゆっくり食べてよ」
シヅクは、チャンミンにグラスの水を手渡され、飲み干した。
「あんた、早く食べなよ。せっかくなんだから、一緒にさ?」
「う、うん」
「変な奴」
「どう?」
「美味しいよ」
スプーンを手に取ったが、チャンミンはシヅクの様子を見つめるばかり。
「見られてると、食べにくいなぁ」
「......」
チャンミンの顔が固い表情に変わってきた。
「シヅク...!」
「ごちそうさま」
シヅクのスプーンが、チリンとガラス皿に置かれた時、
チャンミンの顔は、信じられないといった表情になっていた。
「シヅク...」
「チャンミン、美味しかったよ、ありがとな...?」
「シヅク...」
シヅクが最後まで言う前に、チャンミンがシヅクに飛びついてきた。
「おいっ、チャン...」
(いきなり、押し倒すんか⁉)
チャンミンは、シヅクを抱きしめた。
「チャンミン...興奮すんな...!」
「シヅク!」
チャンミンはシヅクを抱いていた腕を伸ばして、シヅクの顔を覗き込んだ。
「なんだよ!びっくりするじゃんか!」
「大変だ!シヅク!」
チャンミンはシヅクの肩を揺さぶった。
「大変だ!」
「こらこら、チャンミン!」
「シヅク!病院へ行こう!」
「はぁ?」
「病院へ行かないと!」
「なんでだよ!」
「早く!」
チャンミンは、てきぱきとコートを羽織り、バッグを取ると、椅子に座ったままのシヅクの手を引っ張った。
「ほら、立って!」
チャンミンは、ぽかんとするシヅクにもコートを羽織らせ、マフラーを巻いてやり、シヅクのバッグを抱えた。
「行きますよ!」
チャンミンはひどく慌てて、玄関に向かいながら、
「シヅクったら、あなたって人は!」
「だから何だよ!」
「全く、あなたって人は!」
半ば泣きそうな顔でチャンミンは振り向いた。
「シヅクは食いしん坊なんだよ!」
「そうだよ、悪いか?」
「あれほどゆっくり食べて、って言ったじゃないか!」
「美味しかったから、ペロリと」
唇の端にチョコレートがついたままのシヅクを、じっと見ていたチャンミンの顔色がみるみる蒼くなってきた。
シヅクを玄関に置いたまま、チャンミンはリビングに戻った。
「おーい、チャンミンったら!」
チャンミンはテーブルにつくと、やおら自分のケーキを食べ始めた。
(おいおいおいおい)
チョコレートケーキが、チャンミンの大きな口にどんどんと消えていく。
(チャンミンこそ、病院へ行ったほうがいいんじゃないか?)
「!」
残り半分、となったとき、チャンミンは突然、口を押えた。
「大丈夫⁉」
今度はシヅクが青くなって、チャンミンに駆け寄った。
「チャンミン!毒か?毒が入ってたか?」
チャンミンはまだ、口を覆っている。
「......」
「まてまて、洗面器持ってくるから、我慢してろよ」
チャンミンは、口元から手を外すと、その手を握り締めた。
「シヅク!」
呼び止められてシヅクは、チャンミンを振り向いた。
肩を震わせ、うつむいていたチャンミンは、きっと顔を上げた。
「僕は、馬鹿だ」
「チャンミン?」
「僕は大馬鹿だ!」
チャンミンは立ち上がって、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしった。
(チャンミンがおかしくなっちゃった!)
涙目になったチャンミンは、シヅクの手を握った。
「チャンミン?」
シヅクは、自分の手指を広げた。
「?」
手のひらには、小さな指輪。
シヅクはそれをつまんで、目の上にかざした。
チョコレートにまみれていたが、チカリと小さな石が光る、華奢で繊細なアクセサリーだ。
「チャンミン...あんた...?」
「そうだよ!」
ボサボサ頭になったチャンミンは、真っ赤な目をして叫んだ。
「ケーキを間違えた。
計画では、シヅクのケーキの中にあるはずだったんだ。
いつまでたっても、出てこないから、
シヅクは、バクバク食べてたから、
僕は、てっきり...
シヅクがそれを飲み込んじゃったんかと思って...」
「チャンミン...」
「あなたはいつも、犬みたいに食べるから」
「おい!」
「丸呑みしたんだと思ったんだ。
でも、僕のケーキの中にあって...って、うわっ!」
シヅクはチャンミンに抱きついていた。
「チャンミーン...可愛いやっちゃな!」
シヅクは、チャンミンの頭をくしゃくしゃにする。
「あんた、私を驚かそうとしてたんやな?」
チャンミンの髪はシヅクによって、ますます乱された。
「シヅク!...僕は犬じゃない!」
シヅクは満面の笑顔だった。
「あんた、私にプレゼントしようとしたんやな?」
「そ、そうだよ」
「嬉しい!」
「つけてみせてよ、シヅク」
「すっとぼけたこと言ってるんじゃないよ、男のあんたがはめるんだよ!」
チャンミンはシヅクの手を取り、シヅクの右手薬指にそれをはめようとした。
「...あれ?」
「シヅク...指太いんだね」
「チャンミン、あんた、天然か?本気か?」
「こんな時にふざけるわけないだろ!」
シヅクは、うろたえるチャンミンの頬をするりとなでた。
「これはな、ピンキーリングなんだよ」
「ピンキー?」
「小指につける指輪のこと」
「ええー!」
シヅクはチャンミンが握り締めるリングを取ると、自分の小指にはめた。
「ありがとうな、チャンミン」
シヅクは、チャンミンの背中から腕をまわした。
「ケーキも何もかも...最高のバレンタインだよ」
シヅクの手に、チャンミンは自分の手を重ねた。
「僕は、シヅクが大好きなんですよ」
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