13.次はどこ行く?

 

こんな一週間だった。

 

大きな出来事もなく、激しい感情のぶつかり合いもなく、気怠く、淡々とした一週間だった。

 


 

 

その地に降り立った時、小腹が空いていたチャンミンと機内食でお腹が膨れていた私との間で、小さないさかいをした。

 

乗り換えを含めると、半日近く飛行機の狭いシートに押し込められていたことになる。

 

脚はむくむし、腰も痛い、旅行は始まったばかりというのに、2人とも疲労でピリピリしていた。

 

「チャンミンだけ一人で食べておいでよ。

私はコーヒーでも飲んで待ってるから」

 

「なんですか。

僕一人でご飯なんて、嫌ですよ」

 

「でも、お腹が空いているんでしょ?」

 

「せっかく2人でいるんですよ。

いきなり別行動ですか?」

 

『2人で』することに、やたらこだわるチャンミン。

 

無理もない。

 

私たちは普段、滅多に会えない。

 

だから今回の旅行は、2人べったり一緒にいられる貴重な時間。

 

それなのに今は、戯れのひとつみたいに、私たちは敢えて不機嫌さを隠さない。

 

普段は、喧嘩をする隙さえないくらい、私たちは会えないから。

 

「ちょっと!チャンミン!」

 

機嫌が悪い私に対して機嫌を悪くしたチャンミンは、私を置いてずんずんと先へ歩いて行ってしまおうとする。

 

追いかけても、チャンミンは振り向きもせず大きな歩幅でずんずん行ってしまう。

 

彼の後ろ姿が怒っていた。

 

今回の旅行にそなえて、チャンミンは髪を短く切ったのだという。

 

暑い国にいくから、って。

 

短く刈り上げた襟足からすっと伸びる首が、怒っている。

 

チャンミンの後ろ姿が、どんどん遠くなる。

 

彼は振り返らない。

 

チャンミンが雑踏の中に隠れてしまう。

 

私に別れを告げたチャンミンが、立ち去るシーンを想像してみた。

 

こんなに悲しいシーンを想像しちゃっても、大丈夫なの。

 

私たちは交際中で、今の私は幸せだから。

 

私は柱の陰に隠れる。

 

もうすぐ、チャンミンは振り返る。

 

私がついてきていないことに気付く。

 

キョロキョロと周りを見渡して、私を探す。

 

きっと。

 

目の前をチャンミンが走り過ぎた。

 

慌ててる。

 

真剣な横顔だった。

 

チャンミンが引き返してきた。

 

笑いをこらえる私を見つけたチャンミンは、驚きで目を丸くし、心からホッとした安堵の表情を見せた後、眉をひそめてぎりっと私を睨んだ。

 

「子供じみた行動をとらないで下さいよ。

誰かに連れ去られたかと思ったじゃないですか!

ったく!」

 

舌打ちをしたチャンミンは、再び私を置いて行ってしまおうとした。

 

10メートルくらい先へ進んだチャンミンは、くるりと回れ右をした。

 

つかつかと引き返してくると、私の手首をぎゅっと握った。

 

「ほら、行きますよ。

僕は今、お腹が空いてて機嫌が悪いんです。

ほらほら!」

 

チャンミンの握る手が、痛いくらい力強い。

 

チャンミンにひきずられながら、私は幸せだ、と思った。

 

引きずられるように歩く私に気付いたチャンミンは、歩をゆるめて振り返った。

 

隠れたのは、貴方の気持ちを確かめるつもりじゃないんだよ。

 

普段できないプチ・喧嘩を、ここぞとばかりに2人で楽しんでいるんだよね。

 

苦笑した貴方の顔が、「その通りです」って言っている。

 

 

貴重で、待ちに待った、2人だけの旅が始まった。

 

 

 

全てがくすぐったく、笑顔ではじけていて、夢見心地で、けだるげだった。

 

観光はしなかった。

 

ずっとホテルで過ごした。

 

食事どきだけ、地元のマーケットをぶらついた。

 

チープでくだらないものを、半分ジョークで買ったりした。

 

木彫りの花がペンダントトップのネックレスに心惹かれたが、種類が多すぎて迷ってしまって買うのをやめた。

 

不気味なお面を買おうとしたら、チャンミンに全力で止められた。

 

グリーンカレー好きな私が大量に買ったグリーンカレーペーストの瓶は、チャンミンのリュックサックの中に入っている。

 

一生記憶に残るくらい美味しいもあったし、お互い目を見合わせるくらい不味いものもあった。

 

プールで泳いで、冷たい飲み物をオーダーしてそれぞれ持参した本を開く。

 

「もう手遅れですよ。

真っ黒な顔をしてます」

 

日焼け止めを塗りなおしてばかりいる私を、チャンミンは笑う。

 

「チャンミンこそ、サングラスの痕がついてるよ」

 

「えぇっ!」

 

慌ててサングラスを外したチャンミンは、眩しすぎる日光に目を細めた。

 

「日焼け止め、塗ってください!」

 

目を閉じて顔を突き出して、大人しく私にクリームを塗られるがままのチャンミン。

 

頬と鼻先は赤く火照っていて、唇は日焼けしてひびわれていた。

 

 

ぬるま湯のシャワーを「沁みる!」「痛い」と大騒ぎしながら浴びた後、お互いの背中に化粧水を塗り合った。

 

化粧水をたっぷり含ませたコットンを、ベッドにうつ伏せになったチャンミンの熱い背中にパッティングしてあげた。

 

「日焼け直後は、保湿が大切なんだよ」って。

 

チャンミンの履いたハーフパンツを下にずらしてみたら、白い肌があらわれて、しっかり日焼けをしたのがよく分かる。

 

ふざけてもっと下に引き下ろしたら、

「こらっ!」

と、バネのように飛び起きたチャンミンに怒られた。

 

 

天井のファンが回る涼しい部屋のベッドの上で、現地のTV番組を見ながらビールを飲んだ。

 

エアコンで冷えすぎた身体を温めようと、バルコニーに出る。

 

湿った生温かい空気に、プランターから漂う南国の花の香りにむせかえりそうだった。

 

手すりから身を乗り出すと、ライトアップされたプールが眼下に見える。

 

「泳いだら、怒られるかな?」

 

「泳いできたら?

ピーって笛を鳴らされて、ホテルの人に見つかったら僕だけ逃げるから」

 

ニヤニヤ笑うチャンミンの顔が、日焼けのせいで頬が光っている。

 

 

旅はまだ中盤。

 

こんなに幸せでバチが当たりそう。

 

 

目覚めたら、すぐ目の前にチャンミンの寝顔がある。

 

まつ毛が長くてびっくりした。

 

おでこから鼻先まで、鼻筋を人差し指でなぞったら、パチッと目が開いて、その目がにっこりと笑った形になった。

 

「おはよ」のひとことが照れ臭かった。

 

突然、チャンミンが飛びついてきて寝起きの髭をずりずりってこすりつけてきた。

 

日焼けあとが痒いのか、ぼりぼりと背中をかきながらバスルームへ向かうチャンミンの後ろ姿。

 

あんなに短い髪なのに、あっちこっちに寝ぐせができていて、私はくすりと笑ったのだった。

 

朝食ビュッフェ会場へ、スリッパを履いたまま行っちゃうから、脇を肘でつついて教えてあげた。

 

泊数と着替えの数を見誤ったチャンミンは、着られる服がなくなって、マーケットで調達することにした。

 

配色センスが独特で、変な柄のシャツを、堂々と着ているから可笑しいの。

 

後頭部の髪がはねたままだったけど、可愛くて、面白かったから指摘しなかった。

 

どうせこの後、プールで泳いで濡れるだろうからね。

 

起床してご飯を食べて、泳いだりプールサイドで読書して、午後は部屋で昼寝して、涼しくなったらマーケットをひやかし歩く。

 

1着だけ持ってきたワンピースは、2日目の夜、ホテルのレストランで食事をとった時に1度着ただけ。

 

あとは、水着でいるか、Tシャツ短パンで過ごした。

 

チャンミンも同様で、くつろいでリラックスした姿をお互いにさらしていた。

 

 


 

 

帰国前夜。

 

荷造り作業がおっくうで、寂しくて仕方がない。

 

「帰りたくないなー」

 

「帰るのやめましょうか?」

 

「明後日から仕事だから、無理―」

 

「辞めちゃえば?」

 

「それは...無理―。」

 

「ふふふ。

そうでしょうね」

 

とっくに荷造りを終えたチャンミンはベッドに腰掛けて、私の荷造り具合を面白そうに眺めている。

 

「チャンミンとまた旅行に行きたいもの。

稼がなくっちゃ」

 

「旅行代くらい僕が出しますよ」

 

「自分の分は自分で出したいの」

 

「ふふふ。

あなたはそういう人ですよね。

お土産を好きなだけ買ってあげますよ」

 

「ホントに!?

じゃあ、ドライフルーツがいい。

マンゴスチン、買って」

 

「マンゴスチン?

なんですか、それ?

オレンジ色のですか?」

 

「それは、マンゴー。

マンゴスチンは、白くてプルっとしてる果物。

チャンミン、ビュッフェで山盛りにしてたじゃない?

あれがマンゴスチン」

 

「ふうん。

いくらでも買ってあげますよ。

好きなだけ」

 

「いいの?」

 

「はい。

スーツケースに入りきらなかったら、もうひとつスーツケースを買ってマンゴスチンをぎっしり詰めて帰りましょう」

 

その光景を思い浮かべたのか、チャンミンは鼻にしわをよせて、くくくっと笑った。

 

 

私たちの旅が、もうすぐ終わる。

 

1週間前の空港での出来事が、うんと遠い。

 

小さなスーツケースに、ドライフルーツが詰まっている。

 

マンゴスチンが大嫌いになるくらい、沢山食べてやるから。

 

 


 

 

「荷ほどきは終わりましたか?」

 

受話器から聞こえるチャンミンの声。

 

数時間前に別れたばかりなのに、私は寂しさのあまり泣きそうになる。

 

「だいたい」

 

洗濯機の中で、南国の香りが染みついた夏服が洗われている。

 

明日から現実世界に引き戻される。

 

今日が終わるまでは、旅気分でいさせてね。

 

 

「楽しかったね」

 

「うん。

これまで生きてきたうちで、一番楽しかった」

 

「大袈裟ですねぇ」

 

チャンミンがふふんと、笑った。

 

 


 

 

いい加減、マンゴスチンに飽きてきた。

 

嫌いになりそうだった。

 

誰かに分けてあげればいいのに、欲張りな私は一人で食べるつもりだった。

 

人にあげたら、チャンミンとの思い出が減ってしまうから。

 

思い出が逃げないよう、スーツケースも腕が入る分だけしか開けなかった。

 

残りわずかとなった時、取り出しにくくなって初めてスーツケースのファスナーを全開させた。

 

「?」

 

ビニール袋に気付いた。

 

味もそっけもない白い袋に、細長い紙箱が入っている。

 

紙箱を開けてびっくり。

 

旅先のマーケットで、私が迷いに迷って買わずじまいだったネックレスだった。

 

チープなチェーンに、木彫りのお花のペンダントトップが揺れている。

 

 

あの時の空気、音、匂い。

 

汗ばんでベタベタなのに、ずっと手を繋いでいた。

 

ありありと思い出せる。

 

 

折りたたまれた紙切れはホテルの便せんで、チャンミンの几帳面な文字が並んでいる。

 

飛び上がるほど嬉しい言葉が綴られていた。

 

 

涙が出そう。

 

もう泣いちゃってるけどね。

 

 

チャンミンに電話をかけなくっちゃ。

 

私もチャンミンが大好きだよ、って。

 

(おしまい)

 

 

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