2.僕/星屑コーリング

~甘い甘い生活 続編~

 

あーちゃんがいなくなった。

 

ある日曜の朝、友達と遊びにいくと出かけて行ったきり、夕方の5時になっても帰宅しない。

 

​母親のミカさんは真っ青になって、警察に連絡すると取り乱した。

 

心当たりがあった僕は、ミカさんをなだめて、あーちゃんを探しに行くことにしたのだ。

 

あーちゃんは、気難しい。

 

事を大げさにするとヘソを曲げて、また家出をするかもしれない。

 

 

​目指すは、電車で2駅先にある図書館だ。

 

あーちゃんは、まだ9歳のくせに小難しい本をいつも読んでいた。

 

読書家で小難しい言葉を使う、ちょっと(いやかなり)小生意気な少女だ。

 

 


 

 

1階の貸し出しカウンターの前を横切り、絵本コーナーの横の階段を昇る。

 

雑誌や新刊本、実用本が集められた2階も通り過ぎて、2段飛ばしで駆け上がる。

 

あーちゃんは、3階にいるはず。

 

日焼けを防ぐため、ブラインドが下ろされた3階は、薄暗くひなびた匂いが漂う。

 

​並ぶ本棚を順番に見ていくと、やっぱり居た。

 

​床に足を伸ばして座り込み、分厚い本に熱中していた。

 

​「あーちゃん!」

 

小声で、彼女に呼びかける。

 

​「な~んだ、チャンミンか」

 

あーちゃんは生意気な子だから、僕を呼び捨てで呼ぶ。

 

キッと僕を睨みつけると、立ち上がった。

 

紺地に白い水玉のスカートのお尻を払うと、読んでいた本を僕に押し付けた。

 

「来るのが遅いよ。

クリームソーダが飲みたい」

 

​​「一緒に帰ろうか」

 

​​やれやれと僕はため息をつき、あーちゃんが借りたやたら重い本を抱えて外へ出た。

 

 


 

近くのカフェに入って、クリームソーダとコーヒーを注文すると、窓際の席に座った。

 

​その間、あーちゃんはずっとだんまりだ。

 

あーちゃんが家出をするのは、今回が初めてではない。

 

​​何か面白くないことが起きると、プチ家出をする。

 

​それを迎えに行くのは、いつの間にか僕の役割になっていた。

 

​母親に言えないことを、他人の僕になら話せることもあるのだろう。

 

注文したものが揃ったので、カウンターへ受け取りに行き、席に戻る。

 

「...何か、あったの?」

 

​バニラアイスをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜるあーちゃんに、問いかける。

 

​​「別に...」

 

​「僕に話すだけでも、気持ちが楽になるんじゃないかな?」

 

​あーちゃんは、大きな瞳で僕をじっと見つめる。

 

​「チャンミン」

 

​​「うん?」

 

「チャンミンは、ママとセックスした?」

 

 

「ぶっは!」

 

​僕は派手に、吹き出してしまった。

 

​「な、何を、突然!」

 

​「ママとセックスしたか、って聞いてんの!」

 

​かーっと全身熱くなる

 

「しー!

あーちゃん、声が大きい!」

 

僕はあーちゃんの口をふさぐと、周囲をキョロキョロ見回す。

 

 

「...『まだ」なんだ...ふうん」

 

「あーちゃん、そういう言葉は使っちゃいけないよ」

 

「どういう言葉なら使っていいの?

クラスの男子なんて、バンバンに使ってるよ」

 

​「うーん...」

 

​僕は9歳の子供にからかわれてる。

 

​「チャンミン。

ママ、引っ越しの準備してるよ」

 

「そう、みたいだね」

 

 

「次のおうちは、寝る部屋でしょー、居間でしょー。

あたしは、居間で勉強するの。

それから、台所とお風呂とトイレでしょー。

いいの、チャンミン?」

 

「......」

 

「チャンミンがお泊りしたくても、できないよ。

あたし、おじさんと同じベッドで寝るなんてヤダからね!」

 

「あーちゃん...」

 

僕とミカさんは交際している。

 

ミカさんは離婚したばかりで、一人娘のあーちゃんと二人暮らしだ。

 

輸入食料品店に併設したカフェで開催されていた『おいしいコーヒーの淹れ方』ミニ講座にて、僕とミカさんは出会った。

 

コーヒーの淹れ方を教えてくれたのがミカさんで、

 

気恥ずかしくて気がすすまなかったけど、あまりに熱心にすすめられて「それなら、ちょっとだけ」と参加することにしたのだ。

 

ペーパーフィルターの折り方を間違え、コーヒー粉の分量を間違え、お湯を注ぐ手がぶるぶる震えていたのは、僕が不器用なせいなだけじゃない。

 

手を添えて根気よく指導してくれる彼女との距離が近くて、ひどく緊張していたせいだ。

 

 

そう。

 

一目惚れに年齢は関係ないんだなと、心底驚いた。

 

30過ぎのお疲れ気味サラリーマンの僕以上に、ミカさんも疲労の影が漂っていた。

 

かさついた肌や充血気味の目をしていたけれど、不良生徒の僕にイラつくこともなく丁寧に教えてくれた穏やかな声音や、「分かりましたか?」って僕を見上げた時の問いかけるような笑顔にぐらっときた。

 

僕が平均以上に背が高すぎるせいもあったけど、真横に立った彼女があまりに小柄で、抱きしめたらどんな風なんだろうって、淹れたてのコーヒーを飲みながら思った。

 

独り暮らしなのに、1日何杯飲むつもりなんだ?レベルのコーヒーを買って帰った。

 

 

それ以来、『コーヒーの美味しさにはまったんだけれど、淹れ方が分からず、それでもコーヒー道を極めたいサラリーマン』を装って、彼女の勤めるお店に足しげく通った成果が、これだ。

 

さりげない好意の示し方じゃ伝わんない相手だな、って察した僕は、あからさまにアピールした。

 

お店のスタッフさんたちは、僕が訪れる度に「また来たよ、このお客は」って顔をしてたけど、ミカさんは赤くなりながらも嬉しそうだったから、脈ありかなって自信が湧いてきた。

 

かなり早い段階で、僕は彼女に告白をしていた。

 

久しぶりの恋だった。

 

 


 

 

「チャンミンは、あたしたちと一緒に住まないの?」

 

あーちゃんは僕に問う。

 

「住みたいよ」

 

僕はすかさず答える。

 

「じゃあ、なんで?」

 

「一緒に住む前にきちんとしなくちゃいけないことが沢山あるんだよ」

 

僕と交際することだけでも躊躇していたミカさんだ。

 

別れてわずか3か月もしないうちに、新しい男を作った女性に対して、第三者が抱くイメージの想像は容易につく。

 

僕は当事者だから、そんな輩の視線なんか全く気にしないし、彼女に対してそんなこと露ほども思わない。

 

僕も頭が固い方だから、彼女が気にしているものが何なのかよく分かる。

 

彼女には小学生の女の子がいた。

 

恋に浮かれる姿を、多感な子供の前にさらすことに躊躇するのも分かる。

 

彼女たちの暮らす部屋に突如出入りするようになった男の登場に、同じマンションの住人たちはどう見ていたのか、想像がつく。

 

 

これらのこと全部、よく分かっていたから、僕は彼女たちを驚かさないよう、少しずつ少しずつ距離を縮めていくことに尽力した。

 

1歩1歩手順を踏んで、性急にことを進めないようにって。

 

彼女の家に泊まったことはないし、外泊もしたことはない。

 

大人の恋愛において、今どき珍しいほどの『清き関係』だ。

 

おマセなあーちゃんが指摘していたのが、この関係性のことだ。

 

ミカさんは結婚という関係性を終わらせたばかりで、疲労困憊なのだ。

 

男を信じられなくて、当分はこりごりだったんだろう。

 

新たな人間関係を結ぶには時期早々だと考えていたのに、「付き合って欲しい」という僕の告白に頷いてくれた。

 

あーちゃんが僕に懐いてくれたことが、ミカさんの背中を押したんだろうと分析している。

 

 


 

 

「チャンミン、弱すぎ。

もっとママを押して押して、押しまくらないと!」

 

「そうは言ってもね、ミカさんは真面目な人だから」

 

あーちゃんはずずずっと音をたてて、クリームソーダーをストローで吸い込んだ。

 

「今のままじゃチャンミン、断られるよ」

 

 


 

 

先週、僕はプロポーズをした。

 

承諾してもらえる確率は50%だろうと見込んでいたくらい、確信が持てない博打のようなプロポーズだった。

 

「僕はこれくらい真剣なんですよ」って、僕の覚悟を見せたかった。

 

単なる独身者同士の恋とは違う。

 

彼女の笑顔の側にいるには、彼女の過去もあーちゃんも全部ひっくるめて受け止めなくちゃいけないのだ。

 

もちろん僕にだって、この年まで生きていれば当然、きれいじゃない過去がある。

 

僕が彼女たちの暮らしに転がり込んでくるような、そんな同居にはしたくなかった。

 

正々堂々とした同居にしたかった。

 

「考えさせてください」

 

これがミカさんの答えだった。

 

予想が半分当たった。

 

イエスと答えるのを邪魔しているもの...それは、ミカさんが勝手に抱いている「負い目」だってことは、僕は全部わかっているんだよ。

 

僕は、ミカさんもあーちゃんも全部ひっくるめて大事にしたいんだよ。

 

僕を信じて、寄りかかってよ。

 

 


 

 

「このままじゃ、ホントに断られるよ。

あたしたち、引っ越しちゃうよ」

 

あーちゃんの言う通りだ。

 

プロポーズにノーと言われそうだった。

 

僕もカップの中身を飲み干した。

 

ミカさんが淹れてくれたコーヒーの方がずっと美味しい、と思った。

 

 

「魔法をかけてあげるから、行こう!」

 

そう言ってあーちゃんは席を立って、ぽかんと口を開けたままの僕を置いてカフェを出て行ってしまう。

 

「あーちゃん、どこ行くの!」

 

僕は慌ててあーちゃんの後を追い、

 

「ミカさんが心配するから早く帰ろう」という僕の言葉を無視して、あーちゃんが導いたのは団地の裏手にある小さな公園だった。

 

 

「ママに電話して。

あたしたちはご飯食べてから帰るって」

 

「えっ?えっ?」

 

「早くして!」

 

あーちゃんの言う通りにした僕は、芝生の上にあぐらをかいたあーちゃんの隣に座った。

 

3月の夜の訪れは、まだ早い。

 

辺りは真っ暗で、団地の窓から何百もの光が灯る。

 

「これはね、ママがドクシンだったときに履いてたスカートをお直ししたものなの」

 

あーちゃんは、水玉模様のフレアスカートをひらひらさせた。

 

「よく似合ってるよ」

 

「いっぱい本を読んで調べたの」

 

あーちゃんは図書館で借りた分厚い本を膝に広げ、僕はスマホの灯りでページを照らした。

 

「欲しい女がいたら、ズルいことしてもオーケーなの」

 

「ズルいことって?」

 

あーちゃんが何をたくらんでいるのか全然分からない。

 

 

「チャンミン!

あたしはママが大好きなの。

ママはチャンミンのことが大好きなの。

ママったら、チャンミンのことばかり話してるんだよ」

 

 

「あーちゃん...」

 

 

あーちゃんは、ゴシゴシと目をこすった。

 

 

「ママは頑張りすぎる人なの。

チャンミンがママを守ってくれなくちゃ。

あたしは子供だから、

ママのことをセットクできないの。

 

チャンミン、お願い。

チャンミンに頑張ってもらいたいの」

 

 

「うん、頑張ってるよ。

今までも、これからも」

 

僕はあーちゃんの頭を撫ぜた。

 

「もっと頑張らなくちゃダメなんだってば」

 

あーちゃんはしゃがんだ僕の背後に立った。

 

空を見上げると、濃紺の空に無数の星屑が散らばって、そのいくつかが頼りなげに瞬いていた。

 

空気が冷たい。

 

「チャンミンに魔法をかけるから」

 

「魔法?」

 

子供らしい言葉に吹きだすと、あーちゃんは僕の頭をパシッと叩いた。

 

 

「あたしは大マジメなの!

コソクなシュダンを使うんだから。

キケンな魔法だよ」

 

「わかったよ」

 

「ママのシンソーシンリにハタラキかけるんだよ」

 

(深層心理?)

 

「難しい言葉をよく知ってるんだね」と茶化したら、また頭を叩かれた。

 

「絶対に、自分のショータイをバラしたら駄目だからね」

 

「うんうん」

 

あーちゃんはごにょごよと呪文を唱えだした。

 

紺色のスカートに散った白い水玉が、夜空の星みたいだと思った瞬間、

 

「あっちでもママを助けてあげてね」

 

あーちゃんの凍えた小さな手が、僕の両眼を覆った。

 

 


 

 

出会って日が浅い僕の力だけじゃ、閉じたミカさんの心を動かせなかった。

 

固い大人の心を説得するには、幼い子供の拙い言葉だけじゃ力不足だった。

 

9歳の女の子がかけた魔法に、僕は見事にかかった。

 

 

 

目を開けた時、僕は1DKの小さな部屋にいた。

 

整頓されてはいたが、どこか荒んだ空気をはらんだ部屋だった。

 

 

すぐに分かった。

 

 

ここはミカさんの部屋だ。

 

 

ガチャっと鍵が開く音がして、現れたのは亡霊のような疲れ切ったミカさんだった。

 

 

僕と出会う前のミカさんに会った。

 

 

20代のミカさんの目の前に立つのは、20代の僕の姿。

 

 

あーちゃんが生まれる、ずーっと前のミカさんが目の前にいる。

 

 

「おかえりなさい」

 

僕はミカさんの手から、バッグを取り上げ、彼女のジャケットを脱がせた。

 

突如現れた僕の存在に、驚かないほど彼女は疲れ切っているらしい。

 

「くたくたでしょう」

 

紺色のスカートをふわりとさせて、倒れこむようにミカさんは座り込んだ。

 

顔色が悪くても、ぱさついた髪をしていても、ミカさんは綺麗だった。

 

 

あーちゃん、僕に任せて。

 

あーちゃんが言う通り、ミカさんのシンソーシンリにハタラキかけるから。

 

まずは、弱ったミカさんの心身を癒やしてあげないと。

 

お風呂の湯加減を確かめながら、僕はよし、と大きく頷いた。

 

 

(おしまい)

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