2.弱った僕-TIME第1章-

 

深夜2時。

 

ぼそぼそと小声で電話で会話をしているらしい会話が聞こえたような気がして、チャンミンは目を覚ました。

きしむスプリング、ごわごわしたクッション。

コートを着たままだ。

常夜灯の黄色い灯りのみで、部屋は薄暗い。

暖房がきき過ぎていて、汗ばむほどだった。

​(ここは・・・どこだ?)

頭を上げると、ズキンと鋭い痛みがこめかみに走る。

「いてて...」と、思わずこめかみを手のひらで押さえていると、

「チャンミン、起きたの?」

部屋の向こう側から声がして、黒い影が近づいてきて、ようやくシヅクだとわかる。

さっき聞こえた声の主はシヅクだったらしい。

「......」

(思い出した!

僕は、風邪でふらふらで、雨が降っていて、帰るのを諦めて...)

シヅクはソファに座るチャンミンの目線に合わせるようにしゃがむと、チャンミンのひたいにそっと手を当てた。

シヅクの冷たい手が気持ちいい。

「うーん、まだ熱いなぁ」

「どう?

少しは楽になった?」

 

薄暗い中、シヅクの瞳だけが濡れたように光っている。

「......」

現状把握が未だできないチャンミンは、じっとシヅクと目を合わせるばかり。

黙り込んでいるチャンミンをよそに、シヅクは

「起きられる?

歩ける?

家まで送ったげるから、帰ろうか?」

 

と、優しい声で言った。

チャンミンは、やっとで口がきけて、こっくりうなずいた。

 

「うん...」

「電気つけるね」

シヅクが壁のスイッチを入れると、たちまち部屋のすみずみまで明るくなり、チャンミンはまぶしくてちかちかする目をこする。

事務所の白い天井に、ライトの白い光で目がくらむ。

急に現実の世界に引きずり戻されたような感覚におそわれるチャンミン。

「ほら行こう。

ずっとここに居る訳にはいかないからね」

差し伸べられたシヅクの手を握って、チャンミンはよろめきながら立ち上がる。

「ほら、私にもたれていいから」

チャンミンはぐらっとよろめいてしまって、シヅクの背にもたれかかってしまった。

「ごめん」

(お、重い・・・!)

シヅクは足を踏ん張る。

「大丈夫大丈夫!」

立ち上がった途端、

バサバサとチャンミンの身体の上にかけられていたものが床に落ちた。

小さな毛布や、ジャンパー、作業着やコート、マフラーやらいろいろ。

「あぁ、それね、寒かろうと思ってさ」

「もうね、私、必死だったからさ」

「手あたり次第だったわけ」

舌を出してシヅクは苦笑した。

チャンミンも、クスリと笑ってしまう。

「ちょっとは元気が出てきたみたいね。

良かった良かった!」

シヅクは床に落ちたコートを拾い上げると、素早く羽織り、マフラーをチャンミンの首にぐるりと巻いた。

「えっ?これ・・・」

「私の。冷えるといけないから貸したげる」

「うん...」

まだまだ身体がだるく、頭痛も治まっていなかったが、ずいぶん楽になっていた。

「夜中の2時だよぉ。

早く帰ろうか?」

「...うん...」

「私が送ってってやるからね」

「うん・・・」

シヅクは、チャンミンの腕に手を添えて、彼を支える。

シヅクはチャンミンの脇の下に、自分の肩をねじ込んで、腕を首に回して手首をつかむ。

(全く、世話のやける奴だな)

チャンミンは身体が弱っていたのもあって、いつも以上に無言で、元気な同僚に素直に従っていた。

普段も大抵、シヅクがしゃべって、チャンミンは無口で聞き役だ。。

パチンとスイッチを切ると、事務所は真っ暗になった。

廊下に、ふらつく背の高い男と、それを支えて歩く女の影が伸びる。

エントランスのドアを開けると、街頭に照らされ光る濡れたアスファルト。

「雨、あがったみたい...。

良かった良かった」

シヅクはエントランスのドアを施錠する。

よいしょっとチャンミンを抱えなおして、雨に濡れた階段へ足を踏み出した。

シヅクのブーツに遅れて、チャンミンのスニーカー。

チャンミンは、視線を肩下のシヅクにおとす。

表情は真剣で、ふうふう吐く息は白く、一生懸命な同僚。

そんな彼女をどこか新鮮な思いで、まじまじと見つめてしまうチャンミンだった。

はた目には、二人は酔っ払いと、介抱する者に見えるだろう。

だが、時刻は深夜で、通りにはひと一人歩いていない。

二人の足音だけが、周囲に響く。

チャンミンはシヅクに負担がかからないよう、身体を真っすぐに立て直そうとした。

「まあまあ、無理せんと、ここは私に頼りなさい。

さぁ、チャンミン、あんたの家はどこ?」

シヅクはチャンミンの胸元から、見上げて言った。

「いや、悪いよ。

タクシーで帰れるから...」

と言いかけたが、

(あ!お金がないんだった!)

と、思い出す。

「えぇっと...悪いんだけど、

タクシー代を貸してくれないかな?」

チャンミンはよろめく足元をこらえながら、シヅクの肩から、腕を抜く。

シヅクは目を細めて、

「馬鹿者!

病人をほっとけないよ。

よし!

一緒にタクシー乗ろう。

で、あんたをあんたの家で降ろしたげるからさ」

再びシヅクは、チャンミンの腕を首にまわし、リストバンドの画面を操作し、タクシーを呼んだ。

タクシーを待つ間、チャンミンはシヅクに支えられたまま、

シズクは首にまわしたチャンミンの手首をつかんだまま、

二人は無言で立っていた。

冷え冷えとした11月の夜気が、シヅクの頬を赤くさせ、熱にほてるチャンミンは、むしろ心地よいと感じた。

シヅクから借りたマフラーのおかげで、首まわりは暖かい。

「えぇっと...

夜遅くまで...ごめん」

シヅクはびっくりした声で、

「気にしないで。

ほら、困ってる同僚はほっとけないでしょ」

すーっとタクシーが二人の前に止まった。

「ほら、乗った乗った」

 

チャンミンは、後部座席の背もたれに、ぐったりと身体を預ける。

身体が重く、頭痛は相変わらずで、綿がつまったかのようにぼんやりする。

チャンミンに続いて乗り込んだシヅクは、チャンミンの頭をぐいっと自分の肩に乗せる。

(!)

「チャンミン、私にもたれていいよ。

 苦しいのよね?

 可哀そうに」

しばし、身体を硬直させていたチャンミンだったが、ふぅっと、力を抜いて、シヅクに身を預けた。

 「......」

チャンミンのまぶたは半分閉じられて、まなざしはうつろだ。

「ねぇ、チャンミン、あんたの家はどこ?」

「......」

シヅクはチャンミンに尋ねるが、チャンミンは何も言わない。

「えっ、寝ちゃった?」

(よくある小説じゃあ、酔いつぶれた主人公がいて、

それを主人公の片思いの人が、自分の部屋に連れていく。

で、翌朝、主人公は目覚めて、

自分が居る場所に気づいて、

ドキドキっていうのがよくあるパターンだったけ

そんなベタな流れには、今はなりようがないし)

(チャンミンの体調が悪すぎるし)

シヅクはチャンミンの両こめかみに両手を添える。

チャンミンはシヅクの冷たい手が気持ちよくて、なすがままになっていた。

​シヅクの指先は、チャンミンのこめかみの下の血管が、ドクドクと脈打っているのを感じ取っていた。

ポーンと電子音がして、

『目的地を教えて下さい』

前座席の背もたれにあるモニターから、音声が流れる。

シヅクは、ほんの少し逡巡したのち、

「M大学病院へ行ってください」

と、モニターに向かって指示する。

 

シヅクの声をチャンミンは、シヅクの肩にもたれた状態で、聞いていた。

​シヅクの髪から、シトラスの香りがした。

 

 

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