58.コンソメスープ-TIME第3章-

 

「チャンミンさんは初めてでしたよね?」

 

小型フォークリフトをリモコンで操作しながら、カイは背後で作業をするチャンミンを振り返った。

 

「ああ。

僕はここに来て、1年経ったばかりだから」

 

外は真冬の風が吹きすさぶのに、ドームの中は温められた空気でジャケットなしでも平気だった。

 

(1年前のことすら僕はほとんど覚えていない。

『心配するな』とシヅクは言うけれど、

色鮮やかに記憶している今を思うと、それ以前の僕は濃い霧の中で彷徨っていたかのようで...。

このギャップに怖くなる)

 

「ビニールを剥いでください」

 

カイから手渡されたカッターナイフでシートを切り裂くと、圧縮されていた枯れ草が飛び出した。

 

植物園ではあるイベント開催のため、この1週間浮ついた空気が流れていた。

 

年に一度の恒例イベント『落ち葉焚き』だ。

 

火気厳禁のドームだったがこの日だけは特別で、防火対策を万全にした上で焚火をするのだ。

 

スタッフの家族や友人も招待して、焚火料理を振舞って飲み食いを楽しむ。

 

炎を見る機会が皆無の世の中だから、赤い炎、ものが焼ける音、灰色の煙、燃焼する様を眺められるこのイベントを、皆心待ちにしている。

 

日頃のメンテナンスで大量に出る枯れ葉や枯れ枝の処分は、専門業者に任せているが、『落ち葉焚き』イベントのために1部はよけておく。

 

チャンミンとカイは、ドーム中央辺りの収穫を終えた畑に落ち葉の山を作る役目だった。

 

チャンミンは知らず知らずのうちに、シヅクを目で追っていた。

 

「チャンミンさん、そんなに楽しみなんですか?」

 

「えっ!?」

 

カイはフォークの持つ手に顎を預けて、動揺するチャンミンを面白そうに見ている。

 

「さっきから心ここにあらず、って感じです」

 

「そうかな...」

 

カイの指摘が図星だったチャンミンは、くるりと背中を向けて作業に没頭するふりをした。

 

(最近のチャンミンさんは、全くもって変ですよ)

 

先ほどのチャンミンの視線の先...回廊をミーナと並んで歩くシヅクの姿を認めたカイは、おや、と眉を上げた。

 

 


 

 

『あの夜』の翌日。

 

熱の下がらないシヅクを案じたチャンミンは、「医者なんぞ絶対に行かん!」と駄々をこねるシヅクを無理やり、文字通り引きずるようにして病院に連れて行った。

 

診察室から出てきたシヅクの不貞腐れた顔を見て、連絡もせず仕事をサボっていたことにチャンミンははじめて気付いた。

 

この1年間、何の疑いも抱かずオートマチックに自宅と職場を往復していたチャンミンだったから、この日の自分の行動に大いにうろたえた。

 

(前日の「好き」とか「キス」とか、「好き」とか「キス」とか...。

僕の頭はこのことでいっぱいだ)

 

タクシーの後部座席に並んで座るシヅクのくしゃくしゃ髪の後頭部。

 

チャンミンは片腕を伸ばしてシヅクの肩にかけると、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。

 

シヅクの頭がことんと肩に落ちた。

 

視線を落とすとチャンミンのとっさの行動に目を丸くしたシヅクと目が合った。

 

熱のせいで目尻の縁が赤く、シヅクの茶色い瞳はやっぱり熱のせいでうるんでいた。

 

蛍光灯が一つだけだったボイラー室や、間接照明だけのシヅクの部屋ではぼんやりとしていたから、

こうして昼間の陽光の元で見るシヅクに、チャンミンは「これまで彼女のどこを見ていたのだろう」、「視界に入っていたのに、見ようとしていなかった」自分にあらためて気づかされたのだった。

 

「ちゃんと寝てろよ」

 

シヅクがベッドに横になったのを確認してから、チャンミンは出勤していった。

 

仕事を終えると真っ先にシヅクの部屋へ戻る。

 

食料品や日用品を買い込んだ袋を抱えて。

 

ベッドを抜け出してタブレットを操作しているシヅクに、チャンミンはシヅクを怒鳴りつけてしまった。

 

「駄目じゃないか!」

 

大きな声を出すチャンミンに、シヅクは「うるさいなぁ」ってわざとらしく両耳を押さえてベッドに戻る。

 

「なんだか調子が狂うなぁ...」

 

買ってきたものを冷蔵庫にしまうチャンミンの背中を、肩肘をついて眺めていたシヅクはつぶやいた。

 

「え?」

 

「チャンミンに世話をされるなんて......ムカつく」

 

「ムカつく、ってどういう意味だよ!?」

 

「世話をするのは私の方、って感じだったから」

 

「なんだよ、それ」

 

レンジで温めたスープを手に、チャンミンはシヅクの枕元に座った。

 

「チャンミンのくせに生意気だ、って意味じゃないからね。

うーん...なんていうのかなぁ...うん、そうだ!

こんな風に優しくされることに慣れていないんだな、きっと」

 

シヅクの言葉に、チャンミンは考え込んでしまった。

 

自分の行為のどこが「優しい」ことなのか、判断基準が分からなかったからだ。

 

(僕はしたいと思ったことをしているだけなんだけど...。

もし、的外れなことをしちゃって迷惑をかけているんだとしたら、どうしようか)

 

「ありがとうな」

 

そう言って、シヅクの視線はカップを持つチャンミンの手に落とされる。

 

(まじまじとチャンミンの手をみるのは初めてかも。

神経質そうな指先が、チャンミンらしい)

 

視線を袖口に転じると、毛玉ひとつない黒のニットから覗かせたシャツが真っ白でチャンミンらしい、と思った。

 

「ありがとうって、お礼を言われるようなことしたっけ?」

 

「いっぱいしてもらったよ。

挙げだしたらキリがないけどな、はははっ」

 

(チャンミンの言うこと、することは全部、見返りを求めていない純粋な気持ちからきていることは分かっているよ。

根が優しいんだ。

感動するよぉ...)

 

チャンミンは湯気がたつカップの中身を、スプーンですくってふうふう息を吹きかけた。

 

「口開けて」

 

口元に突き出されたスプーンに、ムッとしたシヅクはチャンミンを睨みつける。

 

「子供扱いするな!

汁なんぞ、一人で飲める!」

 

「病人の看病は、こうやるものなんだって。

ほら、口を開けて」

 

「ったく」

 

よく冷ましたコンソメスープを大きく開けたシヅクの口に、ゆっくりと流し込んだ。

 

スプーンに触れる柔らかそうなシヅクの唇に、チャンミンの喉はごくりと鳴る。

 

気付けばチャンミンは、斜めに傾けた顔を寄せシヅクの唇を塞いでいた。

 

「チャ...」

 

スプーンがチャンミンの手からこぼれ落ちて、床に転がった。

 

「待て...」

 

シヅクは口づけたままチャンミンの手からカップを取り上げると、手探りでサイドテーブルに置いた。

 

チャンミンは、両手でシヅクの頬をすっぽりと包んでキスに夢中になっている。

 

(おいおい)

 

間近に迫るチャンミンの閉じたまぶたとまつ毛を観察してしまうシヅク。

 

(病人相手に...何するんだ)

 

とまどうシヅクの唇をこじ開けて、チャンミンの舌が侵入してきた。

 

「んっ」

 

(この坊やは...なかなかどうして...積極的で...強引で... 。

ん?

ん?

おいおいおいおい。

どこでこんなキス覚えたんだよ!

上手すぎるだろ!)

 

頭の芯が痺れそうになったシヅクは、ぐいぐい攻めてくるチャンミンの舌を押し戻す。

 

(待て待て...これ以上は...)

 

チャンミンは体重をかけると、シヅクを仰向けに押し倒した。

 

「待てったら!」

 

シヅクはチャンミンの両頬を挟んで引き離した。

 

「病人を押し倒してどうすんだよ?」

 

「あ...!」

 

「ちゃんと寝てろって言うけどさ、「寝る」の意味が違うんじゃないかね?」

 

「......」

 

片手で口を覆うと、チャンミンの顔が真っ赤になった。

 

「ごめん...そういうつもりじゃ...」

 

「そういうつもり満々じゃないかよ?」

 

「いや...その...僕はそういうつもりは全然なくて...」

 

(これ以上責めたら、チャンミンが可哀想だ)

 

シヅクはしどろもどろのチャンミンを睨みつけていたが、きっぱり言い放つ。

 

「もう帰れ」

 

「え!?」

 

きょとんとしているチャンミンに、シヅクは目を見開く。

 

「今夜も泊まっていくつもりだったわけ?」

 

「え...そのつもりだったんだけど...?」

 

(やっぱり)

 

「あかんあかん!」

 

「どうして?」

 

「私はもう、一人で大丈夫だから。

看病は十分だ、お腹いっぱい、ありがとな。

ってことで...帰れ」

 

「いや...でも、シヅクをお風呂に入れないと...

髪の毛べたべただろ?」

 

「嘘っ!?

臭い?」

 

シヅクはくんくんと自分を嗅ぐ。

 

(待て...風呂に入れる...だと?)

 

「チャンミン!

あんた、私を裸にしたいのか?」

 

「!!」

 

「私の見事なボディを見たら、おさまりがつかなくなるでしょ?

ヌードは近いうちに見せてやるから。

今夜は早くお帰り。

子供の寝る時間だよ?」

 

壁にかけた時計を指さす。

 

「!」

 

「...おやすみ」

 

耳まで真っ赤にしたチャンミンが玄関ドアの向こうに消えて、シヅクは大きく息を吐いた。

 

(キャラクターが安定していないせいか、こっちの方が振り回されてるよ、全く)

 

 


 

 

翌日、事務所で顔を合わせた二人は、滑稽なほどぎょっとし合った。

「お!

チャンミン君、顔を赤くして初々しいのぅ」

 

照れ臭くて仕方がないシヅクは誤魔化すようにバシっと、チャンミンの背中を叩く。

 

「違っ!

寒いところから暖かい部屋に入ったから、それで顔が赤くなって...」

 

もごもごと言い訳をするチャンミン。

 

「着がえなくちゃ!」

 

両耳を赤くして、ロッカールームへ早歩きで向かうチャンミンの後ろ姿をシヅクは見送った。

 

(私はこの背中にくっついて寝ていたんだな...。

何なのこのトキメキは...恋だねぇ)

 

 


 

 

「...報告書にある通り、被験者186番は順応度が高まってきていると思われます」

 

60代の白衣の男性の前で、シヅクは直立不動になってそう報告を終えた。

 

その男性は手元のディスプレイを睨んだまま、たっぷり1分近くも無言でいた。

 

「エス所長?」

 

シヅクに声をかけられ、はっとしたようにエス所長は顔を上げると口元を緩め、

 

「失礼。

予想以上に早くて驚いていたんだ」

 

「やはり、相性がよかったからでしょうね」

 

この部屋には、シヅクを含め十数人の男女がひとつのテーブルを囲んでいた。

 

同じテーブルについた白衣の40代男性が、

 

「あの時の高熱は、順応しかけた兆しだったのでしょうね。

頭痛、発熱、痙攣、一時的な意識混濁...過去の事例も多くは、体調の急変です」

 

大型ディスプレイに顔写真を幾枚も並べて見せる。

 

「シヅク君があの場に居合わせて、M大学病院に運んでくれたおかげだ」

 

白衣の40代男性...チャンミンを急患で診た医師は、立ったままのシヅクに座るよう促した。

 

「半年前から、頭痛に悩まされていました。

彼の場合、他人への無関心さが特に目立っていましたので、受診のきっかけ作りに苦慮していたのです」

 

「186番については、しばらくの間順応の具合を観察しよう。

稀に見るペースですから、慎重に進めないと」

 

「しばらく、とは、どれくらいの間でしょうか?」

 

シヅクはおずおずと尋ねる。

 

「彼の場合はまるで読めない」

 

「怖いのは感情の暴走ですね。

彼は薬の服用は続けているようですか?」

 

「はい」

 

チャンミンの自宅で、さりげなく確認した薬のボトルの中身が減っていたことを思い浮かべながら返事をした。

 

(ごめん、チャンミン。

あんたが服んでる薬は、ただの頭痛薬じゃないんだよ。

処方箋も薬のラベルも全部デタラメなんだよ)

 

「シヅク君はこれからも彼の観察を続けるように。

慎重を要する時期にさしかかっているから、より注意深く。

君からの報告をもとに、ここへ戻すタイミングを判断する」

 

「はい」

 

「それでは、次の被験者についての報告は?」

 

(よかった...。

これでもうしばらくチャンミンの側にいられる。

 

でも、

お役目御免になったら、次の任務では遠方に行かなければならなくなるかもしれない。

 

この仕事を続けている限り転勤族だし、被験者にべったりと張り付くことになるから、誰かと交際するのは難しい。

 

かつての被験者と結婚したセツは賢い。

以前担当していた被験者はほんの子供だったから、恋に落ちることはなかった。

 

恋愛感情は心を呼び覚ましやすい理由から、大抵は異性を担当する)

 

地下奥深くから高速で上昇するエレベーターで、シヅクはため息をついた。

 

地上に戻ったシヅクは、エントランスホールに飾られた巨大な絵画を見上げる。

 

額に角を生やした白い馬に跨るのは、長い黒髪をたなびかせた目鼻立ちのくっきりとした女性。

 

右下の隅に『Changmin』とサインがある。

 

これを目にするたび、シヅクの胸はしくしくと痛むのだった。

 

 

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