(最終話)結婚前夜

 

「違うよ、ユノ」

 

「?」

 

「思い出させてごめん、の意味じゃないんだ。

そうじゃなくて...」

 

ユノの小さな鼻先に、ちゅっと音をたてて口づける。

 

「ヤキモチだよ。

ユノが他の女の人と抱き合ったり、キスしたりしてたことを想像したんだ。

そうしたら...」

 

こぶしでとん、と裸の胸を叩いてみせた。

 

「胸が苦しくって...。

ユノと関係した全女性に、僕は嫉妬する」

 

「チャンミン...」

 

ユノの曇った顔がみるみるうちに、ぴかぴかに光ったものに変化していった。

 

「嬉しいことを言ってくれるんだなぁ」

 

ユノは僕の頭を抱え込んで、玩具みたいに左右上下に振る。

 

「ユノ!」

 

「ヤキモチ妬いてるのか!?」

 

ユノの声が1トーン高い。

 

僕のちょっとしたヤキモチが、ここまでユノを喜ばせるなんて。

しつこく頭をシェイクされて、たまりかねた僕は、「抜いちゃうよ!」と叫んだ。

繋がったままの言葉のやり取り。

話題は何であれ、律動運動を再開すれば気まずい雰囲気くらい、すぐに吹き飛ばせる。

互いの気持ちを確認した後だったら、もっともっと、その動きは激しいものになる。

 

「それは困る」

 

ユノは僕の頭を挟んでいた手を離すと、その手をジグザグに落としていった。

到達したのは、僕の弱いところ。

ユノの手と口によって、さんざん開発されたところ。

5年の空白期間を経た現在も、身体は覚えているものだ。

ユノの4本の指が、僕の両乳首をきゅっと摘まんだ。

 

「あぅっ」

「どう?」

 

「...足りない」

「これくらいか?」

 

「ああぁっ...いいっ...もっと」

 

今度はきつくひねられて、両先端からちりちりと快感の電流が下腹に向かって流れる。

 

「っうん...それ、くらい...ああっ...いい」

 

どうしよう...滅茶苦茶気持ちがいい。

くっくと下から小刻みに揺らされて、僕は天を仰いで喉を反らした。

僕の両腕は後方にだらりと落とされ、腰の動きに合わせてユノの膝をさわさわとくすぐっている。

 

「いい...すごく...いいよっ...」

 

ユノは再び背中を柔らかいマットレスに横たえた。

 

「チャンミン。

お前の慰めはその程度か?

もっと腰を動かせよ」

 

ユノは頭の後ろで腕を組み、にやりと唇をゆがめた。

気品を感じさせる、小さな唇...ふっくらとした女性的な唇。

その唇で乱暴で淫猥な言葉を紡がれると、それだけで感じてしまって僕の尻の締まりがぐっと良くなるのだ。

ユノはそんな僕をよく知っている。

知ってて煽るのだ。

この柔らかく、広い贅沢な寝台は、聞き苦しい金属音をたてたりしない。

僕らの営みをどっしりと受け止めてくれる。

そう。

これは、営みだ。

5年間の空白期間を埋めるための営みだ。

 

 

ドアを開け、角を曲がってすぐに視界に飛び込んできたのが、天蓋付きの真っ白な寝台。

疲れ切っていたユノは、バッグを放り出し、靴を履いたままダイブした。

子供じみた行動に僕はクスクス笑いながら、ユノの真似をした。

目が詰まったさらさらの、糊のきいた厚手のシーツ。

「慰めてあげる」と、枕に顔を埋めたユノの耳元で囁いた僕。

気持ちよくさせてあげる。

心を今すぐ癒やしてやることは無理でも、肉体が感じた...頭の芯が痺れるほどの...快楽が、少しでも精神に影響してくれたらいいな、と思う。

この部屋なら。

未だ褒められたものじゃない僕らの関係が、真っ白で清いものだと錯覚できそうだった。

 

 

またがった僕が腰をくねらすのを、ユノは観察する目で見上げている。

僕は後ろ手にマットレスについて、反らした上半身を支える。

 

「いい眺めだ」

 

ユノの左手は僕のペニスを捕らえ、半勃ちだったそれをたちまち大きく固く育ててしまった。

 

「...駄目ぇ...!」

 

中からも外からも、両方から与えられる快感に、おかしくなりそうだった。

 

「チャンミン。

お前だけ気持ちよくなってどうする」

 

とがめの言葉に、ユノの手の中で僕のペニスが固さを増す。

ユノを慰めるはずの僕が、リードすべき僕が性に溺れていてどうする?

ユノの手首を押しやって、指の間から僕のペニスを抜き取った。

僕の顎は開きっぱなしになっていて、だらだらと唾液が首をつたっている。

もう駄目だ...おかしくなりそうだ。

 

「ガクガクじゃないか」

 

ユノが呆れたように笑った。

 

「ごめ...ごめ...っん...」

 

グラインドさせていたはずの腰が、ユノの上に全体重を預け、踏ん張ることすらできなくなっていた。

 

「痩せすぎなんだよ」

 

ユノは半身を起こすと、そのまま僕を仰向けに組み敷いた。

ユノの手は、僕のうなじを支えてくれる。

柔らかいマットレスの上なのだから、後ろ向きに倒れても痛くはないのにね。

真上に迫った切れ長の黒目がちの眼は、いつもは涼しげなのに今は、らんらんと輝いている。

柔らかな前髪がうつむいたせいで額を覆い、ユノの見た目を幼くさせていた。

残念なことに、今の僕にはユノを視線で愛でる余裕はない。

 

「それとも...快すぎるのか?」

 

そう囁くと、僕の耳たぶを食み、舌先で溝をちろちろと滑らせた。

 

「うん...うん...うん...」

 

かくかくと馬鹿みたいに頷いて、ユノの首にしがみつく。

とても...恥ずかしい恰好をしている。

僕の両膝はユノの肩に背負われて、何もかもが丸出しになっている。

 

「んあっ..!」

 

抜ける一歩手前まで腰をひき、一気に突き刺される。

冗談じゃなく、内臓がどうにかなってしまいそう。

突かれるごとに悲鳴じみた声があがり、それがユノを煽ることを僕は知っている。

 

「痛いか?」

「いいっ...いい...きもちぃっ...」

 

僕は首を横に振る。

のけぞる喉に、浮き出た青筋に、皮膚のやわらかな箇所を狙ってユノが吸い付く。

痛みすら快感だった。

僕らのセックスは奪い奪われるような、半ば暴力的なもの。

そうであっても、互いが垣間見せる優しさに感激し、その度に相手をより好きになる。

ユノのスライドの間隔が短くなり、叩きつける力が増してきた。

絶頂が近い。

この時にはもう、前がどんな具合になっているのか分からなくなってしまい、ただただ、腹底を叩く強烈な快感のとりこになっていた。

 

 


 

 

僕らはかれこれ2日間、この部屋を出ていない。

寝台で愛し合い、浴室で愛し合い、ソファで愛し合い、床を転がりまわって愛し合った。

ふかふかのカーペット敷きのここは、組み敷かれても背中が痛くない。

僕の肛門は悲鳴をあげていて、それならばと前ばかり攻められ、1滴残らず搾り取られた。

全身の骨という骨がギシギシと軋み、ぎくしゃくとした歩き方に、背後からユノの弾ける笑い声が降ってきた。

僕がついた小さな嘘も、すぐにバレてしまった。

 

「5年前ってのはサバ読みだな。

チャンミンは、無害そうな顔してて、精力だけは強いからなぁ。

で、ホントはいつが最後だ?」って。

 

ユノの眼に捕らえたら嘘がつけない。

白状する代わりに、僕はルームサービスのワゴンからそれをとって口に放り込む。

よく冷えたフルーツ。

甘く冷たい果汁をこぼさないようそのままに、ユノの可愛いくしぼんだペニスを頬張った。

ユノの喉から低い呻き声が漏れる。

 

「いいよ...それ...すげぇ、いい」

 

ユノは僕の髪を指ですく。

優しい手つきに、頭皮から首筋へと甘い痺れが走る。

僕は丹念に舐め上げる。

ユノの指がうなじへと差し込まれ仰向くと、僕の唇がすっぽりと覆われた。

赤い果汁を交換し合うキス。

僕らの身体はべたべたで、苺の甘い香りに包まれた。

 

「なあ、チャンミン。

俺たちが丸一日一緒に過ごすのは、初めてだよな」

 

「ホントだね」

 

全くもって...その通りだった。

 

 

確かに僕たちは、2、3時間の慌ただしい逢瀬が常だった。

誰にも言えな秘密の繋がり、それぞれの恋人を裏切る後ろめたさ。

罪悪感を抱きながらの逢瀬は、まっとうな生活のいいスパイスになってくれた。

性的な興奮を高めてもくれた。

しかし…いつからかうっすらと気付いていた。

この関係には、目的地がない、と。

幸せにはなれない類の関係だと。

 

 

「…最高だ」

 

ぽつりとつぶやいたユノの言葉に、僕も同感だ。

 

「なあ、チャンミン」

 

「ん?」

 

あらたまった風の言い方に、身構えた。

5年前の夜の、別れを告げられた時のことを思い出してしまったから。

 

「一緒に、住まないか?」

 

これっぽちも予想していなかった言葉に、僕の思考が止まった。

一緒に、住まないか。

僕の脳みそに言葉がしみわたるのを、ユノは待っていた。

無言で空を睨んだままの僕を、優しいまなざしで待ってくれる。

僕の様子に不安そうな素振りを、一切見せなかった。

自信があるのだ。

ユノは。

僕が頷くことを。

ユノのこういうところに、惹かれたんだった。

よかった。

この男を選んで、本当によかった。

 

「俺たちみたいな関係にはゴールインはない、って話したよな。

ゴールインに限りなく近いところ...同じ家に住むんだ。

どう思う?」

 

100回頷いても足りないくらいの大賛成だった。

 

「元気、でたか?」

「え…?」

 

「浮かない顔をしてただろ?

俺のことを心配し過ぎなんだよ」

 

そうかもしれない。

 

「よかった。

元気になったみたいで。

お前のことが心配だったんだ」

 

僕がユノに癒されててどうするんだよ。

「ユノを癒す」という使命感に燃えていた僕。

肩ひじ張った緊張感を、ユノの瞳は敏感にキャッチしていたのだろう。

ユノの前では、僕は心も体も丸裸にされてしまうのだ。

僕はこの男が好きだ。

この男に捕まえられて、僕は幸せだと思った。

 

 

(『ホテル』おしまい)