(ウメコ...すごいよ。
今まで馬鹿にしてて悪かった。
やった...!
『恋の媚薬』は大成功だよ)
「ユンホさん?」
「はっ!」
現実に引き戻された俺は、頭をぶるぶると左右に振り、ゴツンとぶつかったものに気付いてもっと驚いた。
チャンミンがキスでもせんばかりに、顔を寄せていたんだ。
近い近い近い!
「嬉しくないのですか?」
「まさか!」
俺は額に浮かんだ汗を手の甲で拭うと、ニカっと笑ってみせる。
すると、チャンミンの不安そうな表情が一瞬でかき消えて、にっこり笑顔になった。
か、可愛い...。
「よかった。
これで僕たちは気持ちを確かめ合いましたね。
カップル成立です。
せっかくのコーヒーが冷めてしまいますよ。
ユンホさん?
どうしました?
具合が悪いのですか?」
「ぼーっとしてただけだ」
「ふふふ」
笑い声が可愛いんだけど...!
「お砂糖は何杯入れますか?」
脳みそのエネルギーが切れかけていた俺は、甘々な飲み物を欲していたのに、「いらないよ、ブラックで」とカッコつけてしまう。
俺は無意味にカップの中身をティスプーンでぐるぐるとかき回し、黒い液体が渦まく様子が、俺の心みたいだ、とぼんやり思った。
「了解です」
チャンミンはミルクピッチャーの中身を、自分のカップに全部入れてしまう。
それから、砂糖をたっぷり5杯も入れて、ティースプーンで丁寧にかき混ぜている。
スプーンを持つ手の小指が立っている。
「はい、どうぞ」
チャンミンは自分のカップを俺の前に置き、俺のカップを自分の方に引き寄せた。
「ユンホさんはこっちの方がお好みでしょう?
ふふふ」
じわっと感動してしまって、ありがとうが言えずに、「気が利くな」とだけ。
すっかりぬるくなってしまったコーヒーをすする。
ちらりと隣を視線だけで確認する。
ニッコリ笑ったチャンミンと、バチっと目が合ってしまう。
無言が辛くて、頭フル回転で話題を探していたら、チャンミンの方が口火をきった。
「ユンホさんは、『今夜』、僕のことを好きになったのですか?」
いきなり核心をついてきた。
「いや、違う。
『今夜』から、じゃないんだ」
誤魔化すところじゃない。
「ホントですか...」
揃えた指先で口元を隠したチャンミンの目が、丸くなっている。
「ホントだよ。
この際、正直に言うけどさ」
俺はグラスの水を一口飲んで、姿勢を正した。
「チャンミン。
お前のことが、ずっと前から...転属になった時からかな。
その時から、気になっていたんだ」
ひゅっと音がして、ぐらっとチャンミンが反対側に身体が傾く。
「おい!」
壁に頭をぶつける間際に、チャンミンの腕をつかんで引き起こす。
チャンミンったら、うつろな眼をして、ぽかんと口を開けている。
そう、恍惚の表情だ。
チャンミンがイッた時って、こんな感じなのかな...って、おい!
「夢みたいです...」
とろとろの顔をしてチャンミンは、俺の方にしだれかかってきた。
さっきから視線を感じていたが、観葉植物の枝の隙間からちらちらと目が合う客がいて、ぐらぐらなチャンミンの身体を垂直に正してやった。
「チャンミン。
ここは店の中だ。
変な目で見る奴がいるから、もうちょっと控えめにしてろ。
な?」
「その通りですね。
すみません」
そう言ってチャンミンは、グラスの水をごくごくとあおった。
チャンミンの小さな喉仏がくっくと上下して、白い衿から伸びる長い首が妙に艶めかしく見えた。
「...ふぅ」
飲み干したグラスをテーブルに戻す仕草からも、育ちの良さが伝わってくる。
「今夜は夢のようです。
今死んでも惜しくありません」
「おいおいチャンミン、大袈裟だなぁ」
「そうですとも。
僕だって、ずっとユンホさんに憧れていましたから」
「そ、そうか?」
「ええ。
新しい仕事を次々ととってくるし、面倒な得意先との交渉も巧みです。
ま、事務能力はゼロに近いですけどね」
「うるさいなぁ」
「安心してください。
細かい処理は僕に任せてください。
なんせ、ユンホさんの文字は僕だけが読めます。
すごいんですよ、僕はね、ユンホさんの文字を模写できるくらいです」
「嘘!?」
「ホントです。
ユンホさんが消去してしまったデータも、僕なら復元できます。
それに...」
「それに?」
気付けば俺は、チャンミンの言葉を何一つ聞き逃すまいと、身を乗り出していた。
「ユンホさん覚えてますか?
一度こんなことがあったでしょう?
上客の契約書が行方不明になった事件が」
「あ」
フォルダーに挟んだそれを、確かにキャビネットにしまっておいたのに、一日の営業を終えて帰社してみたら消えていた、ということがあった。
あの時は大騒ぎだった。
翌日シュレッダー行きの書類箱に...それも他部署のものに...紛れていたことが分かって、俺は土下座を免れた。
全く身に覚えがなくて、そんな見当違いなところに移動してることが不気味で、犯人捜しをしても罪なだけか、と即忘れることにしたんだった。
「あれ、僕が見つけました」
「ええぇっ!」
「はい。
頭を働かせてみました」
コツコツとこめかみを叩いてみせる。
「ありがとな」
「ふふふ。
そういうわけで、ユンホさんは僕がいないと駄目なんですよ」
「うわ~。
はっきり言うんだな」
「ホントはユンホさんにお弁当を作ってあげたいくらいです。
さぞかし、栄養バランスが滅茶苦茶な食事をしていそうです。
でも、ユンホさんは外回りですから無理ですよね」
「そうなんだよね」
チャンミンは丸一日オフィス勤務だ。
女子社員が他に2人いるオフィスで、黙々とキーボードを打ったり、電話に出たりしている。
営業よりも確かに、数字を扱うものに向いていそうだ。
昼休憩はきっと、食堂へ行かずデスクで弁当を広げているのだろう。
その姿を想像するだけで、笑みがこぼれる。
「ユンホさん」
突然、チャンミンはすくっと直立し、俺の手首をつかんだ。
「ついてきてください」
「え、えっ!?」
「いいから!」
訳が分からず俺は、ずんずんと先を歩くチャンミンに引っ張られる格好だった。
チャンミンに連れられた場所はトイレで、俺は2度目のフリーズしてしまった。
(つづく)
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