あの日を境に、ユノは変わってしまった。
ユノの手や腕が何かのはずみで僕の身体に当っただけで、ユノは「ごめん」と謝って身を引いてしまう。
僕に告白してくれた日、真正面から僕を抱きしめてくれたのに。
弱った僕を案じて泊まってくれたユノの背中に、僕は寄り添って眠ったのに。
それ以降、肌の接触はなくなってしまった。
僕の髪をぐしゃぐしゃすることも、「ばーか」と言って腕を突くこともなくなった。
それがたまらなく寂しい。
腫れものに触るがごときで、次第にユノの言動に苛立つようになった。
ごめんね、ユノ。
ユノは悪くない。
ユノをぎこちなくさせてしまったのは、僕に原因があるから。
身体の傷も癒えた。
心の傷も多分...忘れた。
トラウマが残りそうな出来事だったのに、僕の心は別の恐怖に囚われていたのだ。
ユノが僕から離れていってしまう。
「チャンミンのことが好きだ」と言いながら、ユノが遠くなった。
僕を見る目は相変わらず優しいのに、その瞳の中に後悔の色を見つけてしまって、胸がすうすうと寒くなる。
ユノの後悔...僕には分かっていた。
ユノの告白を境に、これまでの僕らでいられなくなってしまったこと。
今まで通りの僕らの仲でいたくても、何かが変わってしまったこと。
ユノはきっと、僕に気持ちを打ち明けたことを、後悔しているんだと思う。
このままじゃ、僕らは終わってしまう。
急がないと。
既にユノは、行動に移した。
ボロボロになった僕を同情して、つい口走ってしまったものであったとしても、ユノは動いた。
次は僕の番だ。
以前なら気軽に訪ねていけたユノの部屋にも、足が遠のいていた。
「ふぅ...」
緊張を鎮めるため、僕は深く息を吐いた。
午前6時、携帯電話で時間を確認した。
初春であっても早朝は冷え込み、吐いた息が白かった。
ユノは隙間時間を恐れるかのように、まるで僕と会いたくないみたいに、2つの掛け持ちバイトに精を出している。
S君と同じバイト先を辞め、終夜営業のホームセンターで働いていた。
ユノの部屋のドアに背を預け、床に直接座り込んでユノを待っていた。
もうすぐ帰ってくるはずだ。
ユノと会ってからの言葉を予習する。
ユノのことを想うと、ぽっと明かりが胸に灯る。
4年間そうだったじゃないか。
あんなにもずっと一緒にいたのに飽きは訪れず、会う度嬉しくてワクワクしていたじゃないか。
その事実の意味を探っていた...ユノの告白の日からずっと。
膝に乗せた手の平を裏に表にとひっくり返して、僕の手を包み込んだ節の太いユノの手を想った。
どれだけホッとしたことか。
「チャンミン!」
膝の間に埋めていた頭を起こした先に、素晴らしく均整のとれた美しい青年が立っていた。
褪せたブルーのデニムにグレーのパーカー、カーキ色のMA-1を羽織っていた。
なんてことないコーデでもユノが着るとカッコよいんだ。
「ユノ...」
懐かしく感じてしまうのは、あの日以来ユノとの間に距離が出来てしまっていた証拠だ。
ユノの顔を見た直後、心臓がぎゅっと縮こまり、緊張している自分を自覚した。
「待ってたのか?」
差し出されたユノの手をつかんで、僕は立ちあがる。
「冷たい手だなぁ。
風邪ひくだろう?」
僕の二の腕を温めようと、ごしごしとさすってくれることがとても嬉しかった。
以前は当たり前の行為が、今じゃとても貴重で特別なものに思われる。
「ごめん...ユノ...ごめん」
「ごめん、って何だよ。
チャンミン...お前、前から変だぞ。
寒いだろ?
入れよ」
開けたドアを押さえて僕を先に通すのも、これまでと変わらない仕草なのに懐かしいのは、あの日を境に僕らの関係が変わってしまった証拠なのだ。
大丈夫。
僕とユノの間に流れる変な空気を...元通りにとは言わない...変えるために僕はユノに会いに来たのだ。
「何かあったかいものでも飲むか?」
部屋に入ってからのユノは、電気ポットに水を注いでスイッチを入れ、マグカップを出したりと落ち着きがない。
「インスタントコーヒーと...ココアと...どっちにする?」
ユノの部屋は、バージンをもらってくれとねだった日以来だった。
「徹夜で眠くって...コーヒーでいいよな?」
あれから一か月が経っていた。
「ユノ...」
「んー?」
ユノが勢いよくカーテンを開けると、朝日のましろい光が射し込んできた。
まぶしげに細めたユノの目と、そげた白い頬...ユノは少し、痩せたみたいだった。
僕はぎゅっと手を握って、腹の底に力を込めた。
「僕をっ...」
「?」
「僕を...抱いてください」
「は?」
上着を脱ぎかけていたユノの手が止まった。
「僕を抱いてください」
「......」
「抱いて...ください」
「...チャンミン...」
掠れた声だった。
「..どういうつもりだ?」
僕を真っ直ぐ見つめるユノの目が...怒っていた。
「どういうつもりって...」
「俺を何だと思ってるんだ?」
「ユノはっ...僕の大事な友達で...」
「ふぅん。
友達とセックスかよ?」
「だから、それはっ...」
ここに来る前に、頭の中で沢山シミュレーションした。
ユノとは4年も一緒にいたから、彼のことはよく分かっていたつもりだった。
だから、僕の言葉を受けてユノがどう反応するかも想像ついていたけど、実際のユノの反応は違っていた。
「チャンミン。
...俺は...道具じゃないんだ」
「ちがっ...!」
「確かに俺は、ヤリチンだった。
だからってなぁ...」
ユノは片手で目を覆ってしまい、絞り出すように言った。
「だからってなぁ...。
俺にも心がある。
前みたいなことは、御免なんだ」
「!」
「なぁ、チャンミン?」
覆っていた手を除けたユノの目は、真っ赤に充血していた。
「俺はチャンミンが好きだ。
好きだよ...好きだけど。
...そりゃないよ...」
ユノの目は怒っているんじゃなくて、哀しみでいっぱいなんだ。
そうだ。
僕はあの日、ユノを道具みたいに扱った。
ユノを悲しませただけじゃなく、ユノの人格を踏みにじる行為だった。
4年間のユノとの信頼関係を、一発でぶち壊してしまう罪。
無邪気にねだった「抱いて」のひと言は、凶器そのものだったのだ。
これが僕が犯した、最大の罪。
(つづく)
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