あの日。
ユノはいつもの僕の無邪気なお願いだと受け取ってくれて、誠心誠意を込めて僕を扱ってくれた。
本当は責めたくて仕方がなかったんだと思う。
でも次にあった時の僕はボロボロで、責めるに責められなかったんだ。
暗く冷たく、固いユノの眼にひるみそうになるけど、ここで怖気づいたら駄目だ。
「言い方が悪かったです。
S君とのことを忘れるために抱いてくれ、と言っているんじゃないんです。
あのことは、僕の問題です。
僕がなんとかします。
僕に責任がありますから」
無表情のユノに気は急いて、まくしたてたくなるのを堪えて、表現に気を遣いながら続きを話す。
「僕は...ユノを傷つけるために会いに来たんじゃないんです。
お願いです。
最後まで話を聞いてください」
ここで大きく深呼吸をした。
「ユノに抱いてもらいたいのは...」
僕の緊張が伝わってきたのか、ユノの喉仏がこくりと上下した。
「上書きして欲しいんです。
ユノにバージンをもらって欲しいって頼みましたよね。
あの時のことを上書きして欲しいのです」
「俺とした時のことを、忘れたいってことか?」
「いいえ。
忘れたくないです。
とてもいい思い出です」
ユノが僕の初めてのために、優しく扱ってくれた事実が、宝物だった。
「......」
「立ったままじゃなんですから...座ってください」
僕はユノの手を引き、両肩を押してベッドに座らせた。
「ユノとはもっと、いい感じの『初めて』にしたいんです。
だから...やり直し、というか...。
もっとバージョンアップさせたもので、上書きして欲しいのです」
「なぜ?」
やつれたユノの顔。
小さな顔が、もっと小さくなっていた。
僕はユノを苦しめてきた。
S君との仲介役を果たしたユノ、傷だらけの僕を見てショックを受けたユノ。
ユノは僕のことが好きなのに、S君が好きな僕のおねだりに応えて、僕を抱いてくれようとした。
そして未だにユノの告白に応えていない僕。
ベッドに腰掛けたユノの足元に、膝を折って座った。
僕はユノを見上げ、彼の両手で包むように握った。
バイト先の力仕事のせいなのか、ざらついた手だった。
ユノはその手を引っ込めようとしたけど、僕はきつく握りしめてそれを許さなかった。
「僕のことが好き、と言ってくれましたよね?」
「...ああ」
「気付かなかっただろ?って言いましたね」
「ああ」
「気付いていませんでした」
「...だろうな。
そうだろうと、思ってたよ」
呻くようにつぶやいて、ユノはがっくりと頭を落としてしまった。
焦っちゃだめだ。
僕はユノを傷つけるために、ここに来たわけじゃないんだ。
僕はユノのつむじを見ながら、話を続ける。
「気付いていなかったのは、僕の気持ちでした」
「?」
勢いよく頭を起こしたユノと、真正面から目が合った。
「返事はまだしなくていい、ってユノは言っていました。
今、返事をします」
ユノの手の平がじわっと湿ってきた。
ユノは緊張しているし、僕の心臓もバクバクとうるさいくらい胸を叩いている。
「好き、じゃないんです」
「...そっか。
...だよな」
引き抜こうとしたユノの手を、そうはさせまいぞ、と握りしめた。
「すみません!
好きじゃないっていう意味じゃなくて...。
あーもー!」
手を離して、汗でべたべたになった手の平を太ももで拭った。
「うまく言えなくてすみません。
緊張しているせいですね」
告白なんて慣れてるくせに。
断られると知ってても、「好き」を伝えたい一心でぶつかっていけたくせに。
「好きです」を気安く、大量生産してきた自分だったのに。
ユノが相手だと、とても...とても緊張する。
言いたいことがぐちゃぐちゃになってしまう。
ユノの両手をとって、僕の唇に押し当てた。
「...愛しています」
ユノのぽかんとした顔。
「愛してます」
沈黙と、エアコンの風の音、窓の外を走り去る原付バイクの音。
「ユノを...愛しています。
好き、じゃないの意味は、こうなんです。
『好き』だけじゃ足りないんです」
ふぅっと、息を吐いた。
顔が熱い。
きっと僕の顔も耳も、真っ赤になっているだろう。
ユノの瞳がつやつやと、みずみずしくて、言葉を紡ぎながら「綺麗だなぁ」と見惚れていた。
青ざめていたユノの頬に、生気が戻ってきていた。
「ユノ。
僕は、いっぱい考えました。
僕はユノのことをどう思っているんだろう、って。
いっぱい考えました」
「僕の気持ちが伝わりますように」と祈りを込めて、ユノの手の甲に唇を押し当てた。
「ユノは、友達でした。
今の僕から見たユノはもう、友達じゃないんです。
ユノは友達じゃないんです...」
「......」
「ずーっと前からユノは、僕にとって『恋人』みたいなものだったんです。
...やっとわかったことです。
隣に恋人みたいなユノがいてくれたのに、僕は全然気づいていませんでした。
恋愛ってドキドキと、遠くからときめくものだと思い込んでいました」
乾いた唇を舐めて湿らせて、もう一回深呼吸した。
僕は今、とても大事なことを話している。
「僕は男の人が好きです。
男の人を見るとエッチな気持ちになります。
ユノは男の人です。
友達のユノにエッチな気持ちを持ったらいけない、とずっと思っていました」
「...チャンミン」
「ああっ!
エッチなことばかりじゃないですよ!
そこのところ、勘違いしないで下さいね」
ここまで話す間、涙は卑怯だからと、泣いてしまわないようぎりぎり堪えていた。
僕は男のくせに大体において泣き虫な質だから、大変だった。
「僕の話、ぐちゃぐちゃでしたね。
...すみません」
あれ...ユノの眉間にしわができてる。
顎もしわしわになっていて、ユノの方こそ涙をこらえているみたいだ。
「...そういうわけです。
つまり...ユノが...大好きだから、抱きあいたいのです」
さっきは口にできた『愛してます』が、今は恥ずかし過ぎて『大好き』が精いっぱい。
「ユノでいっぱいにして欲しい。
僕の中を。
上書きしてください。
へへっ」
最後に照れ笑いした時には、ユノの切れ上がった目尻が糸みたいに細くなっていた。
小さな鼻の頭も、赤くなっていた。
「...上書き、か...」
「はい。
僕のバージンを...あ!...もうバージンじゃありませんね...。
やり直しというか...上書きというか...。
そういうわけで...もう一回抱いて欲しいのです」
「はあぁぁ」
ユノの首が、再びがくっと折れてしまった。
「チャンミン...お前なぁ...。
何を言い出すと思ったら...」
「え...?」
「話の順番が滅茶苦茶だから、勘違いするじゃないか?」
ユノはふんと息をつぐと、床に座った僕の手を引っ張って立ち上がらせた。
「わっ!」
立ち上がった途端ぐいっと引き寄せられて、ユノの太ももの上にまたがっていた。
「『好き、じゃない』なんて言うからさ、グサッときたじゃないか!
紛らわしい言い方をするんじゃないよ」
「ごめん...」
「いきなり『抱いてくれ』だなんてなぁ...。
Whyが抜けてるんだよ。
はあぁぁ」
「...ごめん」
僕とユノは、額と額をくっ付け合った。
鼻のてっぺん同士もくっ付け合った。
3センチ先に、ユノのすっきりしたラインのまぶたと、澄んだ真っ黒い瞳。
僕は頬をわずかに傾けて、ユノの唇に僕のものをそっと押し当てる。
どうしよう...ドキドキする。
(つづく)
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