ベッドにひとり残された僕は、まんじりともせず枕を抱えて夜を過ごした。
水補充を知らせる加湿器のランプ点滅を、じぃと睨みつけながら。
僕には考えなければならないことがいっぱいあったのだ。
ユノの言葉を頭の中で反芻して、そのひとつひとつに言い訳をしていた。
添い寝屋としての僕が『期待外れ』だって?
『脱力系添い寝屋気取り』だって?
『寝床の提供に過ぎない』だって?
うるさいうるさい!
これが僕のスタイルなんだ!
でも...ユノの言う通りだ。
ユノは僕の弱みを全部、言い当てた。
添い寝屋としての僕のこれまでは、真摯に耳を傾けているフリをして、何も考えていなかった。
彼らの悩みは彼らがなんとかすべきだ、僕の仕事じゃないって。
打ち明け話の場を提供してやってるだけ。
彼らの不満と不安が染みついたシーツを毎日洗濯するのも、彼らのそれらが僕に乗り移ることを恐れていたんだ。
人嫌いなくせに、見ず知らずの他人を自慢のベッドに寝かすという、無防備なことを続けてきた。
遮光カーテンの合わせから、ひと筋の日の光が射しこんでいて、朝の訪れを知った。
出ていくユノを追いかけていってもよかったのに、そうしなかった。
僕が添い寝屋を始めた理由を振り返ってみたかったからだ。
性欲がなくなったおかげで、肌同士の接触に反応してしまう恐れがない。
閉じた心のおかげで、客たちがまき散らす感情に飲み込まれずに済んだ。
数年前、淫乱になったせいで社会的な信用と仕事を失った。
長時間、大勢の人に囲まれるのが苦痛になり、気力も失われたせいで独りになりたかった。
それでも、働いて食べていかなければならない。
手に職のない自分が出来る仕事は限られている。
出入りしていたクラブの客のひとりから紹介された。
彼とは相性がよくて何度か寝た仲で、僕のモノが力を失ってしまった後、彼になんとかしてもらおうと身を預けてみたのだけれど...。
無職で困り果てていたこともあって、「添い寝屋なんかはどう?」と勧められたのだった。
客の隣で寝るだけなんて簡単だった。
報酬もよい。
冷え切った身体は、僕の魂をおさめただけの容れ物に過ぎないものになり、密着して眠る客の存在を、そのうち気にならなくなった。
客たちが語る打ち明け話を、他人事のように、暇つぶしに読む短編小説のように聞いた。
日に日に心は閉じていった。
他人に興味がないくせに、独り寝だと一向にぬくもらない布団の中も、客の体温で多少はマシになる。
なんだかんだ言ってて、人のぬくもりが欲しかったんだ。
『俺は客の夜を引き受ける』
ユノは凄い。
僕だったら、その夜に飲み込まれてしまう。
ただでさえ、心と身体が自分のものじゃなくなった僕なんだ、簡単に彼らに乗っ取られてしまう。
ユノは凄い。
知り合って2日の人間に、ああまではっきりと言い放てるユノは凄いと思った。
ユノは今夜、僕の部屋を訪ねてきてくれるだろうか。
はっとした僕は、PCに飛びついて何かしらメッセージが届いていないか確認した。
「よかった...」
辞退の通知が来ていたらどうしようと、不安だったのだ。
僕は数年ぶりに、寂しいと思った。
「......」
マウスを操作していた手を止め、その手をそろそろと下腹部に落とした。
ユノになぶられたそこに触れてみたけれど、いつものごとく小さくやわらかく萎んでいる。
僕はギュッと目をつむり、ユノに与えられた感触を思い起こした。
ここだけを刺激していても足りないんだ...となると、あそこしかないのかな...。
後ろに伸ばしかけた手を止めた。
当時のことを思い出してしまった。
狂っていたあの頃は、頭がおかしくなっていて、常に何かを埋めていないと耐えられず、日中は道具を使っていた。
「ふう...」
カーテンを勢いよく引き、窓ガラスを開け放って、新鮮な空気をよどんだ寝室に取り込んだ。
外の世界は快晴で、洗濯日和だ。
いつものルーティンであるシーツの洗濯は、今日はしない。
ユノの香りが消えてしまうから。
不思議な男だ。
漆黒であるのは変わらないのに、濃さを変える闇夜の瞳。
青ざめた白い肌をしているのに、50℃の熱を帯びた身体。
今夜もここに来てくれるといいのだけれど...。
チャイムが鳴り、僕はインターフォンを確認する間もなく玄関に走る。
ローテーブルに脛をぶつけてしまったけど、その痛みなんか気にならないくらい慌てていた。
「ユノ!」
ドアの向こうに立った、精巧な人形のように整った男の胸に、僕は飛び込んだのだった。
「来ないかと思った...!」
「来るに決まってるだろう?
俺は客の夜を全て引き受ける。
最後まで面倒を見るよ」
僕の頭をぽんぽんとした後、僕の背中をさすってくれた。
パジャマ越しに、じわっとユノの熱が伝わってきた。
僕はユノの胸にぐりぐりと頬をこすりつけた、まるで犬みたいに。
ユノ独特の香りは、衣服に閉じ込められていて残念だけど、きっとこの後、直接肌に触れられるから大丈夫だ。
「昨夜はキツイことを言って悪かった」
「ううん。
僕の方こそ、ユノに対して失礼だった。
正面からぶつかっていくから...覚悟してね」
ユノは毛糸の靴下を履いている僕の足に目をやると、
「可哀想に...俺がなんとかしてやるからな」
そう言って、僕の肩を抱いて寝室へといざなった。
「ユノの方こそ辛そうだね。
プールに行ってきたの?
消毒の匂いがする...」
「ああ。
気になるのなら、シャワーを浴びてこようか?」
浴室に向かおうとするユノのシャツの裾をつかんで止めた。
(今夜のユノもやっぱりカッコいい。ユノはお洒落さんだ。グレンチェックのコートに、モスグリーンのニット、黒の革パンツに身を包んでいた)
「時間が勿体ないから、行かないで」
ユノの眉が持ち上がり、しばし僕の顔を見つめていた。
「へえぇ...。
甘えん坊さんのチャンミンも可愛いな」
直後、伸ばされたユノの手に僕のうなじが引き寄せられた。
ちょっと強引な感じに唇が塞がれた。
自然な流れだった。
僕もそのキスに応える。
「...んっ...ん」
ユノの背中に両腕を回して、自分の方に引きつけた。
唇同士をくっつけたり離したり。
次に離した時には、その隙間で互いの舌先をくすぐった。
空調が完璧な静寂の部屋に、ちゅうちゅうと僕らがたてる水っぽい音だけが響く。
ユノの熱い熱い吐息が、僕の頬と顎を湿らせる。
ぞくぞくした。
僕の指は、ユノのニットを握りしめていた。
「このキスは、仕事として?」
昨夜ふと湧いた...ビジネスなキスは嫌だと思ったことを、今夜もう一度口にしてみた。
「チャンミンはどう思う?」
昨夜と同じ答え。
「...違うと思う」
そう答えた僕の顔が熱くなった。
あれ...?
僕を閉じ込める氷が、溶けた水で表面が水浸しになってきているのが分かった。
「正解」
ユノの唇の両端がにゅうっと持ち上がり、彼の両手は僕の頬を包み込んだ。
鼻先が触れ合わんばかりの距離で、真正面からユノの眼と対峙する。
吸い込まれそう。
僕の凍り付いた心も身体も、ユノの中に取り込まれて混ざり合い、ポンとユノの外に出た時には、元通りになっていそうな予感がした。
初日にユノとした会話の中で挙がったたとえ話。
美味しいシェイクの話だ。
瑞々しい果物と冷えたミルクをジューサーに入れる。
出来上がったものは、砕かれ混ざり合っているせいで、どれがどれだか区別はつかないのだ。
後ろ髪の生え際に、ユノの唇が押し当てられた。
「あ...」
じじじっと、ユノの唇を通して熱と電流が、僕の背筋を通って指先まで行き渡る感覚がちゃんとある。
膝の力が抜ける。
「正解って、どっちの言葉?」
脚の付け根の中間が、ぐんと重くなった感覚。
「『違うと思う』の方だよ。
このキスはビジネスじゃないよ。
チャンミンは?
俺もチャンミンの客でもあるからね」
「ビジネスのキスじゃない。
僕は客とはキスをしない主義なんだ。
知ってるだろう?」
「意見は一致した」
ユノの指が、僕のパジャマのボタンをひとつひとつ外していく。
恥ずかしくて、ユノと目を合わせられなくて、僕は俯いたままだった。
鼓動が早い。
(つづく)
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