(後編)交わした契り、四月の雪

 

 

罪の意識が、俺を興奮させ猛々しくさせるのだろうか。

 

女のように尻を突き出すあなたを抱くことは罪なのか。

 

高級な身体に触れるのは、土で汚れひび割れて、硬い俺の手なのだ。

 

 


 

 

あなたの二度目の縁談が決まった夜、俺は荒々しくあなたを抱いた。

「安心しなさい」

あなたは俺をなだめた。

「あなたがいなくなってしまったら、自分はどうかなってしまいます」

最初の結婚の時は、淡い恋心だった。

契りを交わした今となっては、この離別は想像を絶する痛みを伴う。

 

遠い遠い彼の地へあなたは行ってしまう。

「わたくしは、必ず戻ってきますよ」

あなたはそう言うが、果たせない契りだ。

 

「...不可能です...」

「口にしてはいけません」

しーっと、あなたの細指が俺の唇に押し当てられた。

「わたくしは交わした約束を、必ず果たす人間です」

あなたが何を言おうとしているか察した。

「魂...となって?」

「そうですよ、魂なら千里を越えて会いに来られます」

 

寒気が走った。

「菊花の約(ちぎり)ですか?」

「覚えていましたか」

あなたは、くすくすと笑った。

「駄目です!

死んでしまったら意味がないでしょう?

俺が赦しません!」

俺はあなたの肩をつかんで揺すった。

「肉体が足かせとなることもありますでしょう?」

「あなたのために、俺が魂となります」

「それはいけません。

ゆのが死んでしまったら、意味がないでしょう」

 

俺の肩に顔を伏せ、あなたはそう言った。

俺はあなたのために、身も心も捧げたい。

 

​・

 

 

俺たちの恋は、成就することはない。

俺は諦めかけていた。

 

 


 

 

今朝降った、季節外れの雪は溶けてしまった。

擦り切れた畳の寝床を見るのも、これが最後だ。

名残惜しい気持ちはない。

俺の気持ちは固まっていた。

 

 

 

 

皆が寝静まった頃、ガラス戸をコツコツと叩く音がする。

黒い外套を羽織ったあなたが、忍び込んできた。

大きな風呂敷包みを抱えている。

俺はあなたを引き寄せ、唇を吸う。

俺たちの足元に、外套と風呂敷包みが落ちる。

性急にあなたの着物を引きはがす。

白足袋を履いたままのあなたのふくらはぎに、舌を這わせた。

この後、俺の決心を聞いたあなたの返事が怖かった。

不安を打ち消すように俺は、うなじに、肩に、腹部に俺は接吻の道筋をつけた。

 

最後に平らな...肉体労働など縁のない...白い胸に顔を埋めた。

 

そこだけ柔らかな、桜色の小さな膨らみを吸って、噛んだ。

あなたの腰を引き寄せて、指で愛撫する。

俺たちは立ったまま繋がった。

(これが最後です)

 

ガラス張りの空間は、俺の呻きとあなたの甘い悲鳴...湿った破裂音だけ。

あなたは俺のうなじを撫でたかと思うと、ぎゅうっと後ろ髪をつかんだ。

髪がひっぱられる痛みすら、快感だった。

 

のけぞるあなたの喉を吸った。

 

あなたは俺の肩を噛む。

昨夜もそうだったように、俺は涙を流していた。

(もし、あなたに断られたら、

常夏の、天国のようなこの場所で、あなたを抱くのは今夜が最後になります)

 

 

「ハサミを用意してくれましたか?」

ぎりぎりまで燈心を絞った洋燈の灯りに、あなたの真剣な顔が照らされていた。

「渡すことはできません」

あなたはそれで、喉を突くつもりだ。

「いいから渡しなさい!」

「それはできません!」

制止する俺を振り切って、あなたはハサミを手にする。

そして、鷲づかみにした髪を、じゃきじゃきと切り始めた。

一切のためらいもなかった。

切り落とされた黒髪が、束になって床に落ちる。

取り巻くしがらみを、ばっさりと切り捨てるかのように、潔い行動だった。

 

最初の婿入りの時さえハサミを入れなかった、長く美しい黒髪だ。

「出家なさるおつもりですか?」

「まさか!」

あなたは可笑しくてたまらないといった風に、ころころと笑う。

「わたくしは欲深い男です。

禁欲の世界なんぞ、ごめんです」

たまらなくなった俺は、あなたの名前を呼んだ。

「俺と...逃げてください」

「ゆの...」

「俺と、行きましょう。

​ここから出ましょう!」

決心の言葉を叫んだ。

俺の叫びをきくと、あなたは裸のまま立ち上がり、風呂敷包みの結びを解いた。

「ゆのも着替えなさい」

メリヤスの詰襟シャツを頭からかぶり、着物と袴を身に着けた。

白足袋を脱いで紺色のそれに履き替えた。

「兄のものを失敬してきました」

あなたに急かされ、俺も木綿の着物に袖を通す。

「女の格好は、今夜でお終いです」

そして、二人の書生姿が出来上がった。

「あの中に入れてしまいます」

ひと抱えもある陶器の鉢を指さした。

今日の昼間、俺が中身を掘り出したものだ。

あなたの贅沢な着物も、俺の粗末なそれも、あなたが切り落とした髪も全部、この中に放り込んだ。

最後に脇によけておいた土をかけ、植え付けられていた苗木も元に戻した。

「庭を掘り起こしたりしたら、目立ちますでしょう」

泥だらけになった手で、汗を拭ったから、あなたの白い顔が黒く汚れてしまった。

汗が浮かんだ俺の額も、愛しいあなたの手で拭われた。

「わたくしたちの想いは、同じでしたね。

​夜が明けたら、行きましょう」

「夜のうちに、出た方がよいのでは?」

「暗闇では、洋燈の灯りでかえって目立ちます。

​つまずいて怪我をします」

冷静なあなたの判断に、俺は吹き出してしまった。

ざんぎり頭のあなたが美しかった。

贅沢三昧だったあなたが、これからの生活に耐えられないのでは、という不安は一切なかった。

あなたならやり抜く。

「当分の間は、これでしのげるはずです」

あなたは袂に忍ばせていたものを、俺に見せる。

宝石がはめられた髪飾りと真珠の首飾り、そして金時計。

「ふふふ、父の物も失敬してきました」

「あなたときたら...大胆ですね。

あなたのものと比べたら、うんと少ないですが。

俺も貯めてきたんですよ」

あなたは、笑った。

「わたくしは生き抜きますよ。

魂になんてなるものですか」

 

「死んでしまったら意味がない...でしたよね」

 

「その通りです」

「あなたの魂も肉体も、両方必要です」

「わたくしと同じ想いですね」

あなたは俺に頬をよせた。

「居が決まってからも、わたくしは男です。

ゆの、いいですか?

間違っても『坊っちゃん』と呼ばないように。

分かりましたか?」

「では、なんとお呼びすれば?」

「そうですね。

昌珉...そのままで呼びなさい。

それから、ゆの。

敬語は止めなさいね」

 

「はい。

それにしても...あなたは...。

ずいぶんと、

美少年に仕上がりましたね。

もっと深く帽子を被った方がよろしいですよ」

「ゆの、貴方もよく似合っててよ」

「では、行きましょうか」

あなたの手を握ると、立ち上がった。

「男同士が手を繋いでいたら、おかしいですか?」

「まさしく、禁断の恋、そのものですね」

俺たちは顔を見合わせて笑った。

俺たちの恋は、悲劇の物語にはしない。

決して。

 

 

 

(おしまい)

 

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