~チャンミン17歳~
義兄さんのネクタイを締めてやる姉さんを、僕は突っ立ったまま見守った。
義兄さんは、というと、先ほどのことなんて何事もなかったかのように落ち着いている。
僕はこんなにも緊張して、義兄さんばかり見ないように努力が必要なのに...大人って狡い、と思った。
姉さんの前でスウェットの上下を脱ぐ義兄さんに、「そうだった...この二人は結婚してるんだった」と。
姉さんも義兄さんの全部を目にしてきたんだ。
義兄さんは僕だけのものじゃないんだ...。
息苦しくなってきて、僕は窓の外を眺めるふりをしていた。
「チャンミン、朝めしは?」
「...はい?」
声をかけられ、僕ははじかれたように振り向いた。
ジャケットを羽織った義兄さんの口調は妻の弟に対するそのもので、とても自然だった。
二人は大人で、僕は高校生の子供。
義兄さんの声掛けに、僕をこの部屋から追い出したいんだなと、うがった思いが止められない。
義兄さんは心配じゃないの?
もしかしたら、僕が今、姉さんに全てをぶちまけてしまうかもしれないんだよ?
どうして、そんなに落ち着いた態度でいられるの?
...義兄さんは分かっているんだ、僕らの関係をぶち壊してしまうようなことを、僕は絶対にしない、ということを。
「ネクタイは好きじゃないんだよなぁ...」とぼやく義兄さんに、「ほら、曲がっているわよ」と彼のネクタイを直す姉さんを、睨みつけないようにするのがやっとだった。
義兄さんへのいら立ちが、つい姉さんに向けられてしまう...でも口には出さない。
心の中でつぶやくだけ。
姉さん、知らないでしょう?
僕と義兄さんは一昨日の晩、この部屋でセックスをしていたんですよ?
1年以上前からずっと、僕は義兄さんの『愛人』みたいなものだったんですよ。
そこで気付く。
僕は義兄さんにとって、どんな存在なんだろう?と。
今すぐ義兄さんに確かめたくなったけど、それも飲み込んだ。
「チャンミンがここに来てるなんて...仲がいいのね?」
「あ、ああ」
どもった義兄さんに嬉しくなって、僕の荒れた心が少しだけなだめられた。
「ユノったら...落ちてたわよ」
姉さんからスマホを渡され、「そんなところにあったのか」と義兄さんはそれを受け取った。
受け取ったスマホを操作し始めた義兄さんに「何でもすぐに無くすんだから」と姉さんはつぶやくと、僕の方を振り向いた。
「チャンミン、私と朝ご飯を食べに行かない?」
「え...」
なぜか義兄さんの表情を窺ってしまったけど、彼はスマホ画面に視線を落としたままだった。
困っている僕を助けてくれない義兄さんに、腹が立って哀しくなってしまった。
「たまには姉弟水入らず...もいいでしょう?
チャンミンと久しぶりに話もしたかったし。
中学に入ってから、急に無口になるんだから。
男の子ってそういうものなのかしら、ねぇ?」
姉さんは義兄さんの方を見上げて笑った。
「...いいけど」
姉さんは背が低く、性格も明るくて、僕とは正反対なのだ。
美人の部類に入るから、義兄さんが姉さんと結婚したいと思っても仕方がないのかな。(僕にはもう一人姉さんがいて、美術学校の事務をやっていた彼女が、義兄さんとB姉さんを引き合わせたのだ)
僕でも知っているブランドのロゴが型押しされたバッグを持って、深いレンガ色のニットワンピースはとても高価なんだろうな。
朝早いのに綺麗にセットされた髪も、美容院にしょっちゅう行っていてお金をかけているんだろうな。
控え目な香水の香りや、胸のふくらみと細いウエスト。
いつか義兄さんの家で夕飯を御馳走になった時と同様な、惨めな気持ちに襲われた。
義兄さんと結婚した姉さんは、変わった。
僕が知っている姉さんはこんな人だったっけ?
もっと所帯じみていて、普通っぽかったのに。
義兄さんが甘やかしているんだな。
後ろポケットの中のスマホが振動し、通知を確認した僕は、思わず義兄さんを見てしまうのを堪えた。
『今夜、少しだけ会おうか?
1時間くらいしか時間はとれないけれど。
21時か22時くらいに。
連絡するよ。
チャンミンを1人にしてしまってごめん。
チャンミンのことは大事だよ』
こみ上げる嬉しさに、口元が緩みそうなのを、深呼吸をして堪えた。
ずるいよ、義兄さん。
義兄さんからのメッセージで...たった数行のこれで、僕の機嫌はすぐに直ってしまう。
僕の心を押しつぶそうとしていた不安も、少しだけ小さくなった。
・
朝食を供するレストランで、姉さんと対面してテーブルについた。
ビュッフェスタイルで、僕は3枚のお皿に色とりどりの料理を盛りつけた。
パンも白米もシリアルも取ってきた。
「チャンミンは若いのねぇ...。
山ほど食べても太らないなんて、羨ましい...」
僕は痩せた身体がコンプレックスなのに。
そうぼやく通り、姉さんの皿には、蒸し野菜とスモークサーモン、カットフルーツしか乗っていなかった。
「我慢しないで食べればいいんじゃないの?」
「食べたら大変なことになるわ」
完璧に整えられた両眉を下げて姉さんは笑った。
姉さんも義兄さんに幻滅されないように、綺麗でいようと必死なんだろうな。
とても綺麗な義兄さんの隣に立っても見合うようにい続けないと。
義兄さんはとてもモテるだろうから、みすぼらしい恰好をしていたら、どこかの女の人に彼を盗られるかもしれない。
と、そこまで考えてハッとする。
僕は姉さんの夫を、盗っているんだ。
それほど仲はよくなくても、僕は血のつながった姉さんを裏切り傷つけることをしているんだった。
急に胸が詰まってしまって、食欲が無くなった。
義兄さんが僕のことをどう想っているのか不安になってしまい、切羽詰まっていたばかりなのに、皿を山盛りにしている自分が浅ましい、と思った。
僕はさっきまで、姉さんの旦那さんのアレを頬張っていたのだ。
姉さんのことがすっぽりと、頭から抜けていた。
義兄さんの奥さんは、どこかの顔も知らない名無しの女の人だと思い込んで、目を反らしていたのかもしれない。
でも、食べ残すなんて行儀の悪いことは出来ない僕は、無理やりフォークをせっせと往復させた。
サラダをフォークで突く姉さんを、ちらちらと観察した。
離れ気味の両目、大き目の口...今みたいに、ぼうっと心あらずでいる斜め前の感じ。
やっぱり姉弟だ、自分に似てると思った。
義兄さんは僕を目にするたび、姉さんに似ている、とドキリとしているだろうか。
姉さんを想って僕を抱いていないよね?
(つづく)
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