ホテルに到着するや否や、チャンミンはバスを飛び出していった。
実行委員は忙しいのだ。
バスを降りると硫黄の匂いに包まれた。
山と山との間を切り裂く川の両岸に、へばりつくように旅館やホテルが建ち並んでいる。
外の空気は凍り付きそうに冷えていて、確かに山頂は雪で白くなっていた。
俺たちより先に到着していたバスは女性社員中心で、ロビーは華やかで賑やかだった。
実行委員の特権を乱用したチャンミンは、彼目線の恋のライバルを別のバス1台にまとめたんだとか。
確かに...俺たちのバスは男子校のようだった。
チャンミンの巨大スーツケースを、トランクルームから彼に代わって引きずり下ろした。
一行をロビーに待たせたチャンミンは、フロントで説明を受けたのち鍵を受け取っている。
チャンミンの他にいるはずの実行委員3名はどこにいる?
「部屋割は一覧表のとおりです」と、事前に制作してきた用紙と鍵を面々に配るチャンミンは、添乗員そのものだ。
配られた一覧表によるとチャンミンの予告通り、実行委員の特権を悪用した彼は俺と同じ部屋だ。
「実行委員!
製造課長はいびきが酷いんだ。
部屋割りを変えてくれ」
ああ、やっぱり、早速苦情の声があがる。
(そうなるんじゃないかと予期していた)
「おかしいな...いびきがうるさい人たちは『いびき部屋』に固めたのに...。
もうひとりいたのか...」
チャンミンはブツブツと眉間にしわを寄せている。
「実行委員!
部屋を替えてくれよ」
「この旅行は親睦を深めるものです。
申し訳ありませんが、耐えてください」
「ベッドの部屋にして欲しいと要望していたのですが?」
「う~ん...。
キャピってる女性群は『キャピっと部屋』に。
きっとうるさいでしょうから、別館に隔離しました。
お局さんと同室ですと、大人しい方だと委縮してしまいます。
そこで、各課のお局さんを集めた『お局ルーム』を作りました。
お偉さんだけを集めた『重役部屋』もあります。
ヒラと組ませたら、気を遣うばかりで休めないでしょう?
若者をいっぺんにまとめると、修学旅行のようになって迷惑をかけるので散らしました」
「お前の部屋割り...頭使い過ぎだろ?」
「どこがです?」
俺の指摘にチャンミンは、心外そうに口をへの字をした。
「こういうものはなぁ、ランダムに適当に、あみだくじで決めた方がかえって罪がないんだぞ?」
ロビーは部屋割りに不服な数十人でうるさく、ホテルスタッフたちは遠巻きに困った表情をしている。
チャンミンは一覧表をテーブルに広げ、部屋割りを組み直し始めた。
楽しむために来た旅行先でも、勤務中のようなチャンミンが不憫になってきた。
(そう簡単にベストな組み合わせはできっこない)
「はいはい、皆さん、注目!」
俺は声を張り上げ、手を叩いた。
「部屋割り表のとおり、ひとまず分かれてください。
夕飯の時間も迫っていますし、温泉に早く入りたいでしょう?
どうしてもこの部屋割りが気に入らなかったら、各々交渉して部屋を替わってもらってください。
解散です!
18:30に『蓮の間』に集合で~す。
はいはい、他のお客さんの迷惑になりますから、解散!」
不服そうな面々は、ぞろぞろと部屋へと散っていった。
「ああ言っておけば、かえって部屋替えしにくくなる。
部屋を替わる者がいれば、『あたしと同じ部屋が嫌なんだわ』ってさ。
結果的にチャンミンの計画通りになるさ」
チャンミンの頭をくしゃくしゃしたかったが、ここは公共の場。
「...ユンホさんは」
チャンミンは畳んだ部屋割り表をポケットに入れると、立ち上がった。
「?」
真顔なチャンミン、何を言い出すのかさっぱりだった。
「いびきうるさい系ですか?」
「さあ...うるさいと苦情を言われたことはないけど?」
「...言われたことがない。
ない...!」
片手で口を覆ったチャンミンは『ガクガクぶるぶる』の効果音ぴったりに肩を震わせ、目を大きく見開いている。
「もしかしてうるさいかもしれない。
そん時はごめんな」
「ユンホさん!
いびきがひどくないって、誰の台詞ですか?
ボイスレコーダーでも仕掛けて確かめたんですか?」
「へ?」
「過去のオンナですか!?」
「はあ?」
「オンナですか!!」
「しーっ!
声がでかい」
チャンミンの口を手で覆って、別館へと繋がる廊下まで引きずっていった。
「落ち着けチャンミン。
家族や友達に聞いた話だって!」
ホントは違ったけれど、火に油を注ぎかねないことは避けるのが賢明だ。
「その言葉...信じますからね」
チャンミンは、生真面目で責任感が強い。
ところが色恋が絡むとそれらを易々と放棄してしまう奴のようだ...分かっていたけどさ。
・
同室メンバーは、社内では大人し地味めばかりの寄せ集めだった。
団体行動が苦手な彼らは、広縁に1人、床の間を背にしてゲーム中のが1人、残りの2名は荷物はあるから早々と温泉に出かけたのか。
夕飯までの間、荷解きして浴衣に着がえて温泉に浸かろうと思った。
着替えのタイミングこそ、ウメコに仕込まれたものを回収するのにうってつけだ。
バッグに詰め込んだ下着を取り出していたところ...。
「ユンホさん!
さささ、こちらにお座りなさい」
振り向くと、座卓についたチャンミンが緑茶を淹れているところだった。
「お茶を淹れますから、ふぅっと一服しませんか?」
急須の蓋を押さえた手の小指が立っている。
つい先ほどまで、実行委員としてドタバタしていて、嫉妬でカリカリしていたのが一転して 落ち着いた様子だ。
「お茶菓子はふかし饅頭ですって。
美味しかったらお土産で買ってゆきましょう」
茶宅を滑らせた手も、両手で茶碗を持つ手も小指が立っていた。
これに深い意味は求めていない、チャンミンの所作の端々に目がいってしまうってだけだ。
(つづく)
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