~チャンミン~
今日のユンは相変わらず、忌々しいほどスマートな装いだ。
「帰ろうか」
民ちゃんの手を引いて立ち上がらせる。
「でも...」
戸惑ったように、僕とユンの間を交互に見る民ちゃん。
「昨夜、民くんの『お兄さん』に連絡をもらいましてね。
こうして駆けつけたわけです」
「わざわざすみません」
僕は軽く会釈する。
「よろしければ、私の車で送りましょうか?」
「いいんですか?」
(民ちゃん!
嬉しそうな顔をするなって)
ぱっと顔を輝かせた民ちゃんの手首を、ぎゅっと握った。
「結構です。
タクシーを呼んでありますので(嘘だけど)」
「今日は予定もありませんし、私の方は構わないのですよ?」
ユンは民ちゃんの方をちらっと見ながら言った。
「お気遣いありがとうございます。
遠回りをさせてしまいますから、僕たちだけで大丈夫です」
「とにかく、民くんが平気そうで安心しました。
それじゃあ、来週。
仕事のことなら心配しなくていい。
しっかり休みなさい」
そう言い終えて民ちゃんの顎に触れるユンの手を、思い切りはたきたくなるのも抑える。
民ちゃんに触るなよ。
セクハラだろう?
上司にしては、距離が近すぎるだろう?
「そうだ!」
立ち去りかけたユンが、思い出したかのように立ち止まって、僕の方を振り向いた。
「最終号の作品ですが、先日説明していたイメージのものでいきたいと考えています」
「?」
「3本の腕のことです。
モデルが必要でしてね。
一度断られましたが、チャンミンさんにもモデルになっていただきたいのです」
ユンの言い方だと、他にもモデルがいるみたいだ。
あちこちでアンテナを張って、好みの子を探しているんだろう。
最初から全く気乗りがしない僕だったから、考えているふりをしていた。
ところが、「正式に、依頼します」とユンに頭を下げられるし、民ちゃんも「へぇ...」と目を輝かせて僕を見るしで、頷くしかなくなった。
「モデルと言っても、全部脱げとは言いませんから」
「えぇっ!」
民ちゃんがあげた声に驚いて、民ちゃんの方を窺うと両手で口を覆っている。
うっかり口を滑らしてしまった時の仕草だったから、「あれ?」と思った。
「ま、脱いでも構わないのでしたら、こちらとしては大歓迎です」
「そういうのはお断りします」
僕が引き受けたのは、アトリエに出入りする口実が増え、ユンをけん制できると考えたから。
ユンに関してはなぜか、なぜだか嫌な予感がしたんだ。
民ちゃんを見るユンの目がまるで、恐怖におびえる小鹿を前にしたオオカミのそれのようなんだ。
加えて、その小鹿が自らすすんで襲われることを望んでいるような...民ちゃんの表情からそんな願望を感じとったんだ。
民ちゃんを傷つけるような奴から守らないと、といつだか強く思ったこと。
今がその時なんだと、危なっかしい空気を察した。
・
身体がまだ辛いのか、帰りのタクシーの中で民ちゃんは終始無言だった。
僕に背を向けた姿勢で、ぼんやりと車窓からの景色を眺めていた。
気になってちらちらと様子を窺っていたが、10分もしないうちにまぶたを落としていた。
膝の上でくたりと置かれた彼女の手を、僕の膝に引き寄せてゆるく握った。
民ちゃんが今、着ているストライプ柄のシャツ。
照れくさくて「僕の服」と言って手渡したけど、実は民ちゃんのために内緒で購入していたものだった。
民ちゃんのことだから、合わせが女ものになっていることに気付いていないと思う。
余程深く眠っているのか、民ちゃんの手はぴくりとも動かない。
よかった。
民ちゃんが無事で、本当によかった。
・
帰宅後、「もう寝ます」と民ちゃんは6畳間に引っ込んでしまった。
手持ち無沙汰になった僕は、キッチンに立って夕飯の仕込みをすることにした。
民ちゃんがいなくなった夜、買い込んできたまま、ぞんざいに冷凍庫に放り込んだ肉を解凍し、野菜の皮をむき、刻んで、炒めて煮込んだ。
心が落ち着いていく。
リアの帰りを待ち続けた幾夜も、こうして手を動かすことで荒れそうな心を鎮めてきた。
鍋の中身をかきまわしながら、賃貸情報サイトを巡った(気になるものは問い合わせた)。
6畳間をそっと覗くと、白い布団の上から民ちゃんの髪がのぞいていて、熟睡している姿に頬がほころんだ。
よかった。
民ちゃんが僕の家にいる。
(つづく)
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