(72)時の糸

 

 

「あのチャンミンって人...」

 

すするようにワインを飲むYKを横目に、カイは「知り合い?」と尋ねた。

 

「チャンミンさんは1年くらい前に、ここに就職してきた人」

 

「その前は?」

 

「さあ、知らないけど」

 

「いくつ?」

 

「えーっと、29か30かその辺り」

 

「やっぱり!」

 

「姉ちゃん、どうしたんだよ?

怖いよ」

 

今にも泣き出しそうに表情をこわばらせたYKに、カイは困惑していた。

 

(チャンミンさんには、思い出したくない過去があって、会いたくない人物が姉ちゃんで、知らんぷりを装ってんのかな。

でも、チャンミンさんは、『本当に』姉ちゃんのこと全然知らない風だった。

人付き合いが苦手そうなチャンミンさんが、あそこまで演技はできないだろう)

 

「他人のそら似じゃないの?」

 

「そんなんじゃない」

 

YKは激しく首を振った。

 

「彼『そのもの』なのよ。

年齢も合ってる」

 

「まさか、だけど...姉ちゃんの『彼氏』だったとか?」

 

「ええ」

 

大きく頷くYKに、カイはへえぇと眉を上げた。

 

「いつ頃?」

 

「5年前に別れた。

別れたというか、急にいなくなった」

 

「5年前って、あの時の?」

 

高校を卒業したばかりの頃、失恋で大荒れのYKの身の回りの世話に、南国まで出向いたことを思い出した。

 

「あの大恋愛だったやつ?」

 

「ええ」

 

(姉ちゃんの恋愛は、毎回大恋愛だったけどなぁ。

あの時の姉ちゃんは酷かった。

泣きわめいたかと思うと、しゅんと肩を落として無口になって。

結局、ほっとけなくて1か月ほどあそこに滞在したんだっけ)

 

「でもね...名前が違うのよ」

 

「彼氏の名前は?」

 

「マックス」

 

「偽名だとか。

どっちかというと、『マックス』の方が偽名かな。

『チャンミン』が本名」

 

「そんなハズはないわ。

パスポート上も『マックス』になってた」

 

「『マックス』が本名で、『チャンミン』が偽名?

うちに就職する時に、偽名なんか使えないしなぁ。

...やっぱり、姉ちゃんの勘違いだよ」

 

カイは意固地になるYKに気付かれないよう、心中でため息をついた。

 

(姉ちゃんの相手は面倒くさい)

 

「その『マックス』さんの写真ってある?」

 

と言いかけて、カイは「ないよなぁ」とぼやく。

 

思い出のものは全部、目の前から消したいとわめくYKに代わって、カイが一切合切捨ててしまったことを思い出したから。

 

デジタルデータはアカウントごと消去してしまったから、『マックス』の顔を確認すらしていなかった。

 

「やっぱり、彼はマックスよ!」

 

YKの大声に、カイは飛び上がった。

 

姉の支離滅裂な話はいつものことで、カイはユノのことを考え始めていたからだ。

 

事務所でのユノとチャンミンの、どこか親密そうな雰囲気が気になっていたのだ。

 

「びっくりするなぁ」

 

カイを見るYKの目はギラギラとしているのが、暗がりでも分かる。

 

「どうして?」

 

「だって...マックスは『チャンミン』でもあるから」

 

「姉ちゃん、頼むよ~。

僕には理解できないよ。

どういうこと?

筋道たてて説明してよ」

 

「それはね...」

 

YKはカイに説明を始めた。

 

5年前のことを。

 

 


 

 

~YK~

 

 

日差しは皮膚を焦がすほど強く、加えて常に皮膚の上に水分の膜が張ったかのようで、不快なところ。

 

吸い込む空気が、沸騰するヤカンの湯気のようなところだった。

 

30歳だった私は、未だ「自分探し」の旅の途中で、その国に滞在し始めて半年が経った時にマックスと出会った。

 

精悍な顔と引き締まった身体は日に焼けていて、笑顔が10代のように幼くなる24歳の男の子だった。

 

出会ってすぐに身体を重ね、その相性のよさに顔を合わせれば磁石のN極とS極みたいに、始終抱き合っていた。

 

20代前半の若者らしくマックスはどん欲に私を求め、物騒な地域だったため、5重にかけた鍵に閉じこもってのセックスに明け暮れた日々だった。

 

「俺たち...溶けてしまいそうだ」

 

汗まみれの顔で、白い歯を見せて笑っていた。

 

故郷にいる両親と弟には、『運命の人と、とうとう出会ってしまった』と惚気たメッセージを送った。

 

もっとも彼らは、「はいはい。またか」と呆れていたと思う。

 

マックスと離れがたくて滞在期間を無期延期した。

 

恋にうつつを抜かすだけで終わらせるのも惜しくて、本来の目的である『美容に効く』ものを求めて、ごたごたした地元マーケット内を探し歩いた。

 

デトックス効果のある泥があると聞きつけ、地元民に灰色に濁ったその沼に案内してもらった。

 

採取した泥を、自身の肌に塗りたくってはその効果を確かめていた。

 

いつか、世界中から集めた珍しいもの...泥や薬草、鉱石、マッサージ術...を使った施術を提供するサロンを開くことが夢だったのだ。

 

バスルームで、裸のマックスの背中に真っ黒なその泥を塗り広げ、手の平で感じる筋肉のくぼみにうっとりとしていた。

 

その泥が乾く前に、タイルの上で上になり下になりと、二人とも全身真っ黒になってしまった。

 

 

(つづく)

 

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