卒業検定日の朝、ユノの様子を覗いてみよう。
ユノはまるちゃん宅のコタツで目覚めた。
「起きたか?」
昼夜逆転しているまるちゃんは、セクシーボイス総集編の編集中だった。
(ハイスペックPCに音声動画編集ソフトと本格的だ)
ユノは「...いてて、腰が痛い」と、顔をしかめて腰をとんとん叩いた。
「朝めしは適当に食えよ」
「いつも悪いな」
勝手知ったる他人の家。
ユノはボウルに入れたコーンフレークを、台所で立ったまま食べ始めた。
「茶を淹れてやるよ。
検定だからな」
まるちゃんも台所に立ち、紅茶の用意を始めた。
「砂糖?
ジャム?」
「ジャム」
まるちゃんは、イチゴジャムをたっぷり落とした紅茶のカップをユノに手渡した。
「昨夜のこと...平気か?」
ユノは熱々のジャムをすくったスプーンを咥え、「うーん」と唸った。
「どうだろ。
あんま平気じゃないけど、俺はどうすればいいのか答えが見つかった気がするから、諦めずに頑張ってみるつもりだ」
「それなら、よかった」
「まるちゃんには世話になった。
俺ひとりじゃ暴走して、せんせから嫌われてたかもしれない」
「そんなことないと思うけど?」
「嫌われたさ。
だってさ~、よく考えたらせんせってゲイなんだぜ」
『ゲイ』の言葉が生々しく聞こえてしまう自分の耳が嫌になる。
「『そんなの全く気にしねぇ』とまでは、言いきれない自分が嫌だ」
「分かってるじゃん。
悩み多き恋になるのは織り込み済みなんだ。
昨夜みたいなことはきっと、これからも有り得るぞ~。
頑張れ~」
「頑張るさ」
「俺のアドバイスのおかげで、ユノはちょっと物分かりが良すぎる奴になってしまった。
理解あるノンケって感じに?」
「それって悪いことか?
そうありたい、っていう理想像だよ」
「悪くないさ。
先生に対して冷静でいられたのはよかったけど、ユノ本来の猪突猛進、勘違いしまくりなところもお前の魅力だからな。
俺のアドバイスがなくても、先生の気持ちはちゃんとつかめてたんじゃないかな。
俺が思うに、こじらせていたのは先生の方だと思う。
お前の方が冷静だよ」
まるちゃんもボウルに入れたコーンフレークに牛乳を注ぎ、ユノの隣に立った。
「......」
ザクザクいう咀嚼音。
「ああいう心配性な男には、ユノみたいに思ったことをストレートに伝えてくれる奴が傍に居た方上手くいく」
ユノはカラになったボウルに、牛乳を注ぎ足した。
「会ったこともないのに、せんせのことをよく分かってるじゃん」
「会った」
「は?」
「ユノの『せんせ』とやらに会った」
「はあ?
嘘はやめろよ」
「嘘じゃねぇ」
まるちゃんもコーンフレークを食べ終え、紅茶のカップを持ってPCの前に戻った。
「いつ?」
ユノはまるちゃんの後を追った。
「昨日」
「昨日だって!?」
「ああ。
昨日、『せんせ』に会った」
「初耳だぞ」
「そりゃそうさ。
今初めて言ったんだ」
「どうして教えてくれなかったんだよ!」
(『せんせ』と同じことを言うんだなぁ)
「ユノは寝てたじゃん」
「どうして起こしてくれなかったんだよ!」
声を荒げるユノにまるちゃんは顔をしかめた。
「起こそうとしたさ。
お前に電話をかけて寄こしたのは、先生本人だぞ?」
「嘘!?
電話!?」
ユノはコタツ布団をひっぺ返し、通知ランプを点滅させたスマートフォンを探し出した。
「着信あり...」
「だろ?」
「でも、これ...?」
数件あった着信は、いずれもまるちゃんからのものだった。
(ちなみに、まるちゃんのスマートフォンには、実家とユノの電話番号、レンタルDVDショップのものしか登録されていない)
「せんせと会った話、実は嘘だろ?」
まるちゃんはじろり、とユノを睨みつけた。
美形なだけに凄みが違う。
「ユノを喜ばせようと、『せんせ』と会って伝言を預かった...んな面倒くさい嘘を、お前のためにつくわけないだろう?」
「確かに...そんなサービス精神はまるちゃんにはない」と、まるちゃんの性格を思い出した。
「つまりだな、こういうことだ」
チャンミンがまるちゃんの顔を知っていた理由、昨夜レンタルビデオ店に出没していた理由を説明した。
「ユノのバッグを渡したくて、お前を探してたらしいぞ」
(『馬鹿野郎』なんて言われたのに、俺が困っていないか心配したんだ。
せんせって、優しいなぁ...)
「ユノの電話番号を教えろ、って言ってきたけど、断った。
んなもん、ユノから直接教えてもらえよ。
もったいぶって、電話番号ひとつ教えてくれなかった『せんせ』が悪い」
いかにもまるちゃんらしい対応だったため、ユノは怒る気に全くならない。
それよりも、チャンミンと会話したまるちゃんに、「いいなぁ」と本気で羨ましがっていた。
「『せんせ』の泣きそうな顔といったら。
さすがに気の毒だったから、俺のスマホから電話しろ、って貸してやったわけ。
何度かけても、ユノは出ないしさ、とうとう『せんせ』は諦めたよ」
「あ゛~。
どうして、起きられなかったんだろう!」
ユノはバリバリ、頭をかきむしった。
「でも、それでよかったんじゃね?
俺からの電話かと思って出たら、相手はなんと愛しの『せんせ』なんだぞ?
パニクるだろ?
『馬鹿野郎』って罵ったばかりだしな。
何て言ったらいいかわかんないだろ?
気持ちが盛り上がって、店まで走って行ったかもよ?
検定前日なのに」
「俺なら有り得る。
で...俺のバッグは?
預かってくれたんだろ?」
「俺はそんな親切するいい奴じゃない」
「だろうね」
「俺を仲介しなくても、直接渡せばいいじゃん。
そう思って、俺んちに来ないか、って提案した」
「マジっすか!?
で、『せんせ』は何て?」
「遠慮しとくってさ。
『せんせ』もアタフタしてたし、ユノは検定前だし、こういう時は、ひと晩置いた方がいい。
...っていうのは、俺の見解。
ユノのバッグは、学校で渡してもらえるんじゃね?」
「せんせは他に何か言ってなかった?」
「言ってた」
「何て?」
「ユノに伝えたいことはないか?って、サービスして訊いてやった」
「それで?」
まるちゃんは、わくわくと身を乗り出したユノをしっしっと追い払った。
「悪い、忘れた」
「おい!」
「『せんせ』に直接聞くんだな」
「ちっ」
膨れたユノに、まるちゃんは「怒るな怒るな」となだめたが、PCディスプレイに視線は釘付けなままだったため、どこまで悪いと思っていたかどうか。
「今夜は家に帰れるな。
よかったな」
「ああ」
人嫌いのまるちゃんにしたら、相当頑張ってくれたのだ。
(まるちゃん...俺のために、ありがとう)
じんと感動しているユノをよそに、まるちゃんはヘッドホンを装着すると、セクシーボイス総集編の編集に戻ってしまった。
「じゃあ、行ってくる」
自転車を学校に置きっぱなしだったため、検定開始時間まで2時間以上あったが、学校に向かうことにした。
昨夜、チャンミンの車に乗るために、自転車を学校に置きっぱなしだったからだ。
「検定頑張れよ」
「ああ」
「で、『せんせ』に会いにいけよ」
「合格してからの話だ」
ユノは闘いに向かう戦士の気分で、まるちゃん宅を出たのだった。
・
当校してすぐに、ユノはKに呼び止められた。
Kと話しをするのはこれが初めてだったユノは、何事かと警戒していたところ、「チャンミン先生から預かっているよ」とバッグを渡された。
「これ...?」
チャンミンの車の中に置き忘れたバッグだ。
まるちゃんが言った通り、ユノのバッグは学校に届けられていた。
「チャンミン先生は今日から講習を受けにいってるんだ。
ユノ君も知ってるよね」
「はい...」
「今朝、彼は俺の家に寄ってくれて、ユノ君に渡してくれって。
困ってるだろうからって」
「ありがとう...ございます」
ユノはピン、ときていた。
(K先生...俺がせんせのことを好きだってこと、知ってる。
俺は「せんせ大好き」駄々洩れだったから、無理もないかぁ)
休憩時間にチャンミンとKが一緒にいるところをよく見かけていた。
(もしかしたら、俺の話題が出ていたかもしれない)
「今日は卒検だね」
「はい」
「緊張してる?」
「はい。
K先生もご存知でしょう、俺の運転を?」
ユノの問いに、「知ってる」とKは否定しなかった。
「でも、チャンミン先生の指導を受けたのだから、ユノ君は大丈夫さ」
「そうですかねぇ...正直、全然自信ありません」
まるちゃん宅を出る時は、威勢いい気持ちでいたのに、学校に近づくにつれしゅるしゅると自信が失われていったのだった。
あやふやに笑うユノの目の前に、目に眩しい真っ白なものが差し出された。
「?」
「チャンミン先生からこれも預かってきた」
「手紙...ですか」
ユノは、宛名に『ユノさんへ』とある封筒をひっくり返すと、裏面に『チャンミン』とサインがあった。
(せんせが俺に手紙?
なんで!?)
「検定の前に必ず読んで欲しいそうだ」
ユノの固い表情がふわりと緩んだ。
「あと30分で説明会が始まるよ。
早く読んだ方がいいよ」
「はい!」
ユノはKに頭を下げた。
Kは走り去っていくユノの後ろ姿を見送りながら、苦笑した。
(可愛いなぁ。
あんなイケメンで素直な子に好かれて...チャンミンは幸せ者だよ)
・
受検者たちはひとつの教室に集められ、受検番号や進行内容、受検する上での注意点などの説明を受けた。
ユノは配布された自身の教習簿を...スタンプ押印欄が足りなくなって紙を追加されている...開き、チャンミンが押したスタンプや彼の文字をひとつずつ指でなぞった。
スタンプ1個に1時限、数えてみたら12時限オーバーしたことになる。
(俺ってすげぇなぁ...。
よくめげずにやってこられたなぁ)
ユノはバッグから取り出した手紙を教習簿に挟み、胸に押し当てた。
この手紙を手渡されてからの30分、ユノは何度も何度も読み返して、空で読み上げることができるほどだった。
(頑張ったなぁ、俺。
まさしくせんせと二人三脚)
チャンミンの温もりが、胸にしみこんでいくイメージを浮かべた。
(やべ~。
手紙の中身を思い出すだけで、泣いてしまう)
受検者は場内コースへ移動するようアナウンスがあった。
(せんせ、俺、安全確認100%、丁寧な運転を心がけて運転します!)
...以降、受検中のユノの様子はどうだったかは、前述の通りだ。
講習後、街に出た2人は、ラーメン屋で夕食を摂ることにした。
ラーメンをすすり、餃子をつつきながらの話題は、「帰り道はどうしようか?」だった。
ここは全国チェーン店で、黙食を強要する頑固なオヤジはいない。
「今さら気付いたんすけど、俺、帰りもチャリンコなんですよね...。
せんせの車に乗りそうにないし...」
熱くて脂っこいものを食べ終えた2人の顔は、つやつやと血色がよかった。
「う~ん」
チャンミンは腕組して唸った。
一般的に、自動車学校指導員とは運転テクニックが素晴らしく、かつ愛車にはこだわりがある者が選ぶ職業だというイメージがある。
ところがチャンミンの愛車は、走行距離15万キロ越えのハッチバック型の国産車だった。
「助手席を倒してしまえば、ぎりぎり乗せられるでしょうが...そうしたら、ユノさんが乗るスペースが無くなりますね」
「俺、ひとりで帰れるから、大丈夫っす」
「心配です!
何しろ距離があります。
試験の後ですから、向こうに着くのは夜ですよ?」
「休み休み、のんびり帰りますよ」
「僕だけ先になんて帰れませんよ」
「だからって、俺のチャリに並走していくわけにはいきませんって」
「いいことを考えつきました!」と、チャンミンはポンと手を叩いた。
「僕は先に行きますが、休憩ポイントごとに...例えばコンビニとかでユノさんが追い付くのを待つのはどうでしょう?」
「あのー、せんせ」
ユノは胸の位置で小さく手をあげた。
「はい、ユノさん。
何ですか?」
「俺のこと、『ユノ』って呼んでくれないんすか?」
「え゛」
「俺たち、彼氏と彼氏になったんすから、敬語も変じゃないっすかね。
やっぱ、『チャンミン』と『ユノ』と呼び合わないと。
俺はよくても、せんせこそため口してくださいよ」
「なんだか...恥ずかしいですね。
そういうユノさんこそ、今も『せんせ』になってますよ。
『チャンミン』って呼んでください」
「せんせも敬語のままっすよ」
「せーの、で新しい呼び方で言いましょうか?
いきますよ...せーの」
「チャンミン...せんせ」
「ユノ...さん」
互いの呼び名を聞いて、2人は吹き出した。
「急には無理ですね」
「俺たちには時間はたっぷりあるから、慌てなくていっか。
俺にとって、せんせの名前は『チャンミンせんせ』なんだよなぁ...。
さん付けすると、チャンミンせんせさん、になる感じ。
分かってくれますか?」
「分かります」
顔を見合わせた2人はもちろん、笑顔だ。
(つづく)