<初めての発情期の巻 後編>
人口の95%はベータ属だ。
残りの5%をアルファとオメガが占めている。
(そのうち98%がアルファ、2%がオメガ)
例えば、ショッピングセンターに出掛けたとしよう。
日曜日のショッピングセンター、駐車場は満車で、広大な店内はどこもかしこも人人人。
ワンフロアに1,000人の老若男女がいたとすれば、アルファが約49人いる計算になる。
ところが、アルファは放つオーラですぐに分かるはずだとフロアを見渡しても、アルファを見つけることは出来ない。
暮らしているステージが1段上にいるアルファはそもそも、ショッピングセンターで買い物などしないからだ。
次にオメガを探してみよう。
1,000人中1人...ショッピングセンター内を駆けずり回れば見つけられるかもしれない。
アルファの場合と同様、どこを探してもオメガを見つけることはできないだろう。
なぜなら、オメガはショッピングセンターで買い物ができない。
いつどこで拉致されるか、エリート街道から転げ落ちたアルファたちに犯されるかしれないからだ。
ショッピングセンターで売られているものは、凡人のベータの為に作られたものだ。
この世はベータが中心で、専門家を除けばアルファやオメガの真実を知っている者は少ない。
情報を求めて本屋にゆけば、手に取りやすいイラスト付きの『アルファな上司の取扱説明書』がビジネス書コーナーに積まれている。
ノンフィクションコーナーに、オメガ属の著者が苦労に満ちた人生を語ったエッセイ本が、または自己啓発本コーナーに『劣等感なく生きてゆくための思考術』といったタイトルの書籍が、今月のおススメ作品のPOPを付けている。
Webを漁っても、出処怪しい真偽のほども疑わしい情報が、さも真実のようにコピペコピペで拡散してゆく。
...前置きが長くなってしまった。
つまり、オメガの発情期に詳しい者はほとんどいない、ということだ。
肉体の変化や具体的な症状、その場に居合わせた時の正しい対応の仕方。
発情したオメガを前にしたアルファがどうなってしまうのか。
そして、発情したオメガの首根っこを噛みつく行為で成立する「番(つがい)」制度とは、存在するのか...。
ベータとして生きてきたユノもチャンミンも、オメガの発情期の知識は無いに等しかった。
彼らが17歳で属変性したとき、手引書を手渡された。
アルファ属、オメガ属の者「だけ」が所有を許されている手引書だ。
(レアものなので、オークションで高値で売り買いされている)
・
「ユノぉ...。
どうしよ...」
ユノを見上げるチャンミンの大きな眼からぽろぽろと、大粒の涙がこぼれ落ちている。
足首まで落とされたスラックスと下着を目にして、ユノは「これがそうか...」と心の中でつぶやいた。
ユノはドアから一旦下りると、一式の入った紙袋をドアの上から投げ入れた。
「まずは着替えろ。
尻はナプキンを当てておけ。
その後、俺と話をしよう」
「うん...ぐすっ...ぐずっ」
チャンミンはずるずる鼻をすすりながら、お漏らしレベルにびしょびしょに濡れた下着とスラックを脱ぎ、ユノの指示に従った。
ガチャンとドアが開き、真っ赤に火照った顔をしたチャンミンが現れた。
胸に抱きしめた紙袋の中には汚れ物が入っている。
「場所を変えようか」
ユノはチャンミンと手を繋ぐと、隣の空き教室へ入り鍵を締めた。
2人は教壇に腰掛けた。
「どう?」
「すごい...出てくるよ」
内股に座ったチャンミンは、両膝をもじもじと摺り寄せた。
お尻に当てたナプキンがどれくらいもってくれるか、チャンミンは心配だった。
身動ぎすると、じわりじわりと熱いものが例の箇所からにじみでる。
オメガは発情期(ヒート)になると、お尻から粘液...オメガの果汁(Ω-no-kaju)が大量に分泌される。
その名の通り、粘度はメープルシロップほど、熟れた果物のような芳香がする。
香りはヒート臭と呼ばれ、アルファのみが嗅ぎ分けることができる(稀に感覚の鋭いベータが反応することもある)
風味については...アルファのみが知っている味(オメガと関係を持つことができたベータも味わうことができるが)
これがチャンミンの下着を濡らしていたものの正体だ。
変属した際に配布されたガイドブックには記載されていたが、実際に目にするのは初めてだった。
オメガの果汁は男性器を受け入れやすくする潤滑剤として、受精率を上げるためにオメガの直腸内のphを最適に保つ役割を果たしている。
果汁が放つ魅惑的な芳香はアルファを引き寄せ、彼らの理性を飛ばし、性的衝動性を刺激する。
確実に子を孕むため。
発情期が訪れたことにより、チャンミンはオメガの果汁を垂れ流すこととなった。
(性的に『感じる』と、同様の粘液が洪水のように溢れ出ること(オメガの洪水)を、後日知ることになる)
(僕...発情してるの...?)
「チャンミン、お前の身体は変じゃない。
でもな、オメガの身体になったことを受け入れなければならない」
ユノはチャンミンの頭を撫ぜると、その手を肩に落として引き寄せた。
チャンミンの頭はユノの肩にこてん、とおさまった。
「熱が出てきたな」
チャンミンのこめかみの熱が、ユノのシャツを通してじんじんと伝わってくる。
発情期中の身体の変化は様々なところで現れ、そのひとつが体温の上昇だ(今後、順に紹介してゆく)
「どう?
気分は?」
(手引書によると...)
「ムラムラとか...する?」
「ムラムラ?」
この時のチャンミンは、全身が熱っぽいこととお尻が濡れる不快感だけだった。
「発情期...ヒート...。
ヤりたくて仕方がなくなる、ってやつね」
「うん。
どう?」
ユノは自身の肩に頭をもたせかけたチャンミンを窺った。
発情期だろうがなかろうが、ユノは常にチャンミンとヤリたくて仕方がなかった。
特にアルファになってから、確実に性欲が増していたユノだった(その具体例は後に延べてゆく)
チャンミンを押し倒して、あれやこれやするHな妄想で頭の中はいっぱいだったが、チャンミンを守ると決めたからには、ベータだった頃と同じような付き合い方はできないのだ。
(アルファとオメガの性交は、イコール妊娠と言ってもいい。
慎重にならないと)
「ムラムラかぁ...。
ん~...これと言ってないんだよ。
お尻は気持ち悪いし、だるいし...。
でも...」
チャンミンは目をつむり、自身の身体をスキャンした。
「強いて言えば、お股のあたりが変な感じがする」
「どんな感じ?」
「ムズムズ、じんじんする」
「触ってみたら?」
チャンミンのお尻の辺りを見ようと身をかがめたため、チャンミンはユノの頭を押しのけた。
「だ~め。
触ったらいけない気がする」
チャンミンは立ち上がると、座ったままのユノへ手を差し伸ばした。
「僕の発情も始まったことだし、センターについてきて」
ユノはチャンミンに手を引っ張られ、立ち上がった。
「そうだな。
今から行こうか?」
チャンミンは、初めての発情を迎えた時になったら、センターへ報告を兼ねて診察を受けるよう指示されていた。
新たな抑制剤に切り替える必要があるからだ。
ユノとチャンミンは、アルファとオメガ専門の医療センターで抑制剤の処方を受けている。
「発情っていうから、もっと凄いかと思ったけど、大したことないね。
外にも出られないって言ってるけど、全然平気じゃん」
チャンミンはユノと腕を組んだ。
「う~ん...そう決めつけるのは早計じゃないか?
ちゃんと診てもらって、これからのアドバイスを受けようか。
多分、これまで通りにはいかないと思う」
発情期のオメガは身辺に気をつけないといけないと、変属性した時に注意を受けたし、手引書にも赤文字で記載されている。
(アルファの俺がどうやってチャンミンを守れるか、そのノウハウも教えてもらおう)
「そうかもしれないね。
でも、今は何ともないと言ってもいいくらい」
2人は教室に戻ることなく、そのまま学校を後にしたのだった。
言い訳は後から考えればいい。
変属性してからのユノは、言い訳と嘘の達人になった。
周囲がベータだけとはいえ、発情しているオメガを、適切な抑制剤無しで教室に戻すのは不安だ。
センターとはどのような施設なのかの説明はおいおいする。
・
この日、アルファであるユノが発情期を迎えたチャンミンを前にして、どうやって冷静でいられたのだろう?
疑問に思われた方が多いであろう。
ユノのアルファ性がまだ未成熟だったためだ。
この後、チャンミンのヒート臭を嗅ぎ続けたことで、ユノのアルファ性が目覚める。
(つづく)
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