「......」
外階段を上ってゆく夫の姿を、僕は茫然と眺めていた。
僕の脳内で、『浮気確定!』の黄色いランプが回転始めていた。
素早くアパートメントを観察した。
そのアパートメントが新しくもなく古くもなく、中流の学生や独身者が住んでいそうな佇まいだったら、リアル過ぎて落ち込んでしまっただろう。
その真逆のカントリー感とメルヘン感が凄い、絵本に登場しそうな建物だった。
いかにも小人が住んでいそうな...住んでいた!
丸石を敷き詰めたアプローチ沿いに、陶器製の小人が1体、2体、3体...6体で終わりかと残念に思って、外階段のステップ上に7体目がいた。
パステルカラー(暗くて分かりにくいけれど、多分ピンク色)の羽目板張りの壁に、格子窓、各部屋のドアもパステルカラー(多分、ミントグリーン)
外階段と外廊下の手すりには蔦植物のつるが巻き付いていて、真冬の今は枝だけだが 真夏の頃は旺盛に葉が茂るのだろう。
見上げると、暗さに目が慣れたおかげで三角屋根をしていることが分かった。
ここに煙突があれば完ぺきだった。
門扉の陰に潜む僕にこれっぽちも気付いていない夫は、ずんずん外廊下を進み、ど真ん中の部屋の前で立ち止まった。
両隣の各2部屋の住人は帰宅していないのか就寝後なのか、窓の向こうは真っ暗だった(つまり、夫が目指した部屋だけ灯りが点いていた、ということ)
両手が塞がっている為、夫は右手の紙カップを外廊下の手すりに置いた(当然、僕は頭を引っ込めた)
そして空いた右手でインターフォンを押す。
僕の体内の温度はぐんぐん上昇して頭へと駆け上がり、ついには沸騰したヤカンのごとくつむじからぴゅーっと蒸気が吹きあがった(あくまでもイメージ)
プツン、と切れた僕は気づけば階段を駆け上がっていた。
そして、外廊下をダッシュし、閉まりかけたドアの下に足を突っ込んだ。
「待て!」
僕は叫び、ドアの隙間から肩をねじ込んだ。
「!?」
僕のすぐ間近に見慣れたコートの後ろ姿があった。
夫は振り向いた先に居る突然の乱入者に、虚を突かれた表情をしていた。
そいつは鬼の形相をしているのだ。
例えば、いつもより早い時間帯に帰宅してみたら、行為の真っ最中だった夫と間男を目撃してしまった、まさにその時の表情だ。
「...チャンミン」
僕は内心で狂犬のように「う~」と唸っていた。
「......」
夫は言葉が出てこないらしく、口をポカンと開けて僕を見つめるばかりだった。
「何してるんだ、ユノ?」
僕は質問しながら、夫と対面する人物に視線を向けた。
ちょうど紙カップを手渡す瞬間だったらしい。
夫とその人物の手は、ひとつの紙コップを手にしている。
若い男だった。
彼もあっけにとられている。
年の頃10代後半。
オーバーサイズの細身で背は高い方だが僕と夫よりは低いようだ。
色彩感覚が乙女なアパートメントに反して、彼の服装はモノトーンにまとめられている。
BL作家の端くれであっても、その表情は浮気を押さえられた者たちにしては、危機感が足りないと見抜くことができた。
何て説明すればいいのかな。
「あちゃ~、しまった~」と苦笑している表情っていうのかな。
どこかでバレるだろうと見込んでいたのか、どこかでカミングアウトするつもりだったのか。
もっと深掘りしてみれば、いつか僕に探られるのを待っていた可能性も捨てきれない。
いずれにせよ、『浮気(不倫)』の可能性は消えた。
夫からの説明を聞く前に、僕の直感と観察力、BL作家の経験値から読み取れたのだ。
でも、僕に内緒で逢瀬を重ねていたのは事実だ。
この点については、こってりとお説教する必要がある!
「チャンミン、まさか尾けてきたのか?」
「そうだよ、その通りだよ。
じゃなきゃ、僕はここに居ないよ」
「だよな」
「で...誰?」
可能な限りの低音で、凄みをたっぷり込めた目で睨みつけた。
「え~っと...」
夫は僕の方に向き直ると、後ろ髪をかいた。
「最初に断言するが...浮気じゃない」
「分かってるよ。
若いツバメを持つにはユノはまだまだ若すぎる」
「!」
「冗談だよ。
で、誰?」
僕はあごをツンと上げ、腕を組んだ。
「彼は...」
夫は許可を得るように、背後を振り返った。
若い男は「いいよ」と頷いた。
「アオ君っていうんだ」
「アオ君...ね」
僕は夫の肩ごしに、アオ君とやらを見た。
「いくつ?
大学生?」
玄関のすぐ側に台所シンクがあることから、ぱっと見る限りこのアパートは単身者用の間取りのようだからだ。
「高校生」
「一人暮らししてるんだ、凄いね」
「ええ...まぁ...そうですね」
困り顔になったアオくんは、ぽりぽりと首筋をかいた。
片耳に光るものはピアスだ(今どきの高校生はおマセさんだ。校則で許されているのかな?)
「アオ君が高校生ってことは分かった。
どういう関係なの?」
アラサーの夫が高校生男子と接触する機会は、一体どこで生まれたのだろう?
(つづく)
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