(46)麗しの下宿人

 

きつく吸い込むごとにタバコの先が赤く明るく灯り、ついでユノの口から濃い紫煙が吐き出された。

「煙の匂いをぷんぷんさせていたら、周りの迷惑にならないのかな?」

「ああ~、それは心配いらない。

煙の匂いを認識できるのはオメガとアルファだけだから」

「あの~。

...ユノちゃん?」

僕は勇気を振り絞り、かつさり気なさを装って、去年の夏からずっと心のうちにシコリとなっていた疑問をようやっと口にしてみた。

「この匂い...嗅いだことある...かも」

ユノの反応が怖くて、僕の視線は彼の肩越しの壁に向けられていた。

「なんだって?

嘘だろ?」

と僕は鋭い口調で問われ、ユノを見た。

「嘘じゃない」

「そうか、それならば近くにオメガが居たってことだな。

どこで嗅いだ?」

「え~っと」

僕は言い渋った。

「近所の話か?」

「ううん。

...ユノ、ちゃんち...?」

「俺の?」

「うん」

大きく頷くと、ユノは目を見開いた。

ぎくりとしている風にも、まったく信じていない風にも受け取られて判断に困る。

「うん。

ユノちゃんちで嗅いだことがある」

「これを?」

ユノは2本の指で挟んだタバコを揺らしてみせた。

フィルターの部分に赤いラインが入った紙巻きタバコだ。

「そうだよ」

「いつの話?」

「去年の...夏休み頃」

「去年...?」

斜め下に向けられたユノの眼は虚ろになっていて、記憶をたどっている風に見えた。

「こっちに引っ越してきてから吸ったことないんだけどなぁ...」

ユノは半分も吸っていないタバコを灰皿に押し付けると、傍らにあったグラスの水を飲んだ。

「果物の匂いじゃないかなぁ?

腐る寸前の果物の匂いに似てるからな、これ」

「果物の匂いじゃなかった」

「チャミの前でこれ吸うの、今日が初めてだぜ?

何かの匂いと間違えてるんだよ」

こんな特殊な香り、間違えるわけない。

ユノがとぼけているのか、忘れているのか。

それとも、あれは暑さで頭をやられた僕の空想だったのか。

もう一歩踏み込んでみるべきか。

「あ~、そうだった!」

と、大きな声を出したユノは何かを思い出したみたいだ。

「多分、あれだ。

あれ。

チャミママからとうもろこし貰っただろ?」

「...とうもろこし」

「そう、それの匂いじゃないかな?

とうもろこし、甘くて美味かったなぁ」

「違う!」

残念なことに僕の記憶は確かなのだ。

匂いを含め、暗さに慣れない目や蒸れた空気、乾いた舌の味、鼓動の音...感覚全部でもって僕の記憶に焼き付いているんだから。

「とうもろこしじゃない」

知らぬ間に語気が荒くなっていた。

「チャミ...?」

無かったことに出来なかった記憶の正体を確かめようとしている。

つぶれた吸い殻の端から、ひと筋の白い煙がゆらりと立ち昇っている。

これは蚊取り線香だ。

僕を襲おうとするアルファ除けの煙だ。

「とうもろこしを持って行ったのは僕だよ。

僕が部屋まで持って行ったんだ」

「そうだったっけ?

昔の話だから覚えてないなぁ...」

ユノは窓ガラスを開け、室内にこもっていた煙を追い出した。

「あの日だけど...」

心臓がドキンドキンする。

「ユノちゃんちに友達が来てたでしょ?

その時に嗅いだ匂いと一緒なんだよ」

 

(つづく)

 

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