「どうしてっ...この匂いがしてたの?
あの時もタバコを吸っていたんでしょ?」
喉が詰まってきた。
「チャミ...あれは」
「触んないで!」
両肩にかかったユノの手を振り払った。
「アルファが寄ってこなくなるタバコなんでしょ?」
当時、ユノには恋人がいて、彼らが抱き合っている現場に僕は居合わせてしまったわけだ。
むんと熱気がこもる室内に充満していた香りこそ、オメガをアルファから護るとされる煙によるものだった。
ユノはアルファだ。
じゃあ、ユノの恋人は?
アルファやベータだった場合、あの煙は必要ない。
そもそもベータはこの匂いを感じ取ることは出来ない。
無敵のアルファには何も恐れる者がおらず、オメガを襲う立場だ。
(訳が分からない)
謎だらけで僕の頭の中はぐちゃぐちゃで、抱えてしまった。
その上、ユノに裏切られたショックも加わっていたたまれなくなった。
空気を入れ替えようと開けた窓から、タバコの紫煙が吸い込まれるように流れ出て行った。
ユノは灰皿で未だくすぶるタバコをひねりつぶした。
「説明させてくれ。
あれは...」
「やだ!
聞きたくない!」
僕はユノの脇をすり抜け、灰皿をつかみ、高くかかげて見せた。
ユノにぶつけるはずがない。
投げつけるポーズを取っただけだ。
ユノは大事な人で傷つけるわけがない。
僕は臆病なオメガで、怒りを面に出すことが苦手とくる。
吸い殻と灰がぱらぱらと、新品の制服の肩にふり落ちた。
「チャミ!」
「ユノちゃんは僕のアルファなんでしょ?
僕を護ってくれるんでしょ?
それなのに、どうして彼氏がいたの?」
めちゃくちゃなことを言ってることは分かってる。
ユノがアルファだと知らず、僕もオメガだと気づいておらず、ユノは僕んちの下宿人で年の離れた友達に過ぎなかったのだから。
僕はユノの過去に嫉妬していたんだ。
「チャミ、落ち着いて。
彼とはもう会っていない。
別れたんだ」
「どうして?」
「チャミがオメガになったからだ。
俺にはチャミを護る使命ができたからだ。
分かっているだろう?」
「......」
ふりかざした灰皿に怒りを乗せることができず、僕は行き場のない感情の爆発の始末に困ってしまった。
「ユノちゃん、ちゃんと答えてよ。
“あの人”はアルファなの?
それとも“オメガ”なの?
どっちなの?」
「どちらであったとしても、チャミは知る必要はない。
どうでもいいことだ。
彼とは別れた。
恋人は作らない」
「......」
僕は力なく腕を落とした。
ごとり、と僕の足元に灰皿が落ちた。
「ユノちゃんなんて...もう知らない。
もう護ってくれなくていいよ」
この時、ユノは切羽詰まった悲し気な目をしていた。
どんな言葉で僕をなだめようか、頭を巡らしているようだった。
僕は畳を汚したことを謝りもせず、ユノの部屋を後にしようとした。
ユノを困らせたかったのだ。
「チャミ!」
僕が望んでいた通り、ユノが僕を追ってきた。
引き戸に手をかける間もなく、ユノの両手が伸びてきて抱き止められた。
僕に近づく足音ひとつたてず、気配もしなかった。
「チャミ...ごめんな。
怒らないでくれ」
「......」
次々と涙が零れ落ちてきた。
安心したのだと思う。
「恋人がいたのは昔の話だ。
何度も言ってるけど、今はいない」
「......」
ユノの過去はどうしようもできないのだ。
分かってはいるけれど、嫉妬の気持ちもどうしようもできないのだ。
「今の俺はチャミに専念している。
だから『護らなくていい』だなんて言わないでくれ。
これまでもちゃんと、俺はチャミの味方でいただろ?」
僕はしぶしぶ頷いた。
「僕がいるせいで恋人が作れなくて嫌でしょ?」
「チャミは天邪鬼だなぁ。
そんなことあるわけないだろ。
チャミでいっぱいいっぱいだよ」
ユノに身体をひっくり返され、彼と向かい合わせになった。
いつもするようにユノは身をかがめ、僕の目線と高さを合わせた。
服薬と煙のおかげなのか、ここまで近く顔を近づけられたのは久しぶりだった。
誠実な言葉を紡ぐユノの口元に注目してしまった。
例の恋人のあちこちに、ユノの唇が落とされたのだろうか。
「別れたあいつの属性が何だったのか、説明が難しい。
事情が込み入っていて、今のチャミの知識じゃ理解しづらいと思う
ちゃんと説明するから、もうしばらく待っていてくれ」
「全部教えてね」
「ああ」
(つづく)
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