~君との出逢い(2)~
「この部屋を使って。
物置に使ってたから、散らかってるけど」
フローリング敷きの6畳間の部屋の隅に、衣装ケースと段ボール箱が寄せられている。
換気のため開けておいた掃き出し窓からそよぐ風が、無地のカーテンを揺らしていた。
「エアコンのリモコンはここ。
悪いんだけど、テレビはないんだ」
室内に入ると、民の容姿がよりリアルに目に映るため、どぎまぎしたチャンミンは説明に専念した。
「クローゼットも引き出しも空いてるところ、自由に使ってくれていいからな」
「いい部屋ですね。
ありがとうございます」
細く長い脚を折って正座をした民は、立ったままのチャンミンを見上げてにっこりと笑った。
「......」
再び、チャンミンの息がぐっと詰まった。
「敬語はやめよう。
兄妹設定だから」
「了解です」
「疲れただろ?
横になってもいいし...。
布団を干したばかりだから、気持ちいいよ」
チャンミンは前日のうちに、民を迎え入れるためひと汗かいていた。
掃除機をかけ、シーツは洗濯した。
同棲する彼女の服や靴、雑誌が堆積していたので、それらをまとめて箱に詰めた。
ひと拭きごとに黒くなるタオルを見て、ここに越してきて以来、初めてのガラス拭きであることに気付いた。
あの頃のワクワクとした気持ちはもう、思い出せない。
『同棲』という甘い響きに憧れていた頃。
リアと同じ屋根の下で暮らせる幸せ。
スーパーで一緒に買い物すること。
リアと同じベッドで眠ること。
「おかえり」「ただいま」を言い合うこと。
ささいなことが、くすぐったく幸せだったことも、過去の話だ。
・
「お言葉に甘えて、お昼寝します」
チャンミンには、『お昼寝』という言葉が微笑ましかった。
「夕飯の時間になったら、起こすよ」
チャンミンは、シーツを敷く民(ミン)を手伝ってやる。
「チャンミンさん、やっと笑いましたね」
「え?」
「私のことを、お化けでも見るかのような目で見ていたでしょう?」
「あ...」
民に指摘されて、チャンミンは無遠慮に彼女のことを観察していた自分に気付く。
「見慣れました?」
小首をかしげて微笑んだ民。
柔らかそうな髪から、つんと立った両耳がのぞいている。
(に、似てる...)
パーツのひとつひとつが酷似していた。
「あの...、チャンミンさん?」
言いにくそうな民。
「ん?」
「あの...着替えたいのですが?」
「ゴメン!」
赤面したチャンミンは、慌てて部屋を出た。
(同じ顔をしているから、つい忘れそうになるけど、
この子は女の子だったんだ!)
両耳が、カッと熱かった。
・
チャンミンはTに電話をかける。
「びっくりしただろ?
民の奴、お前に激似なんだって。
俺も初めて会ったときは、フリーズしたよ。
『チャンミンが妹になるなんて、よしてくれ』って思ったんだ」
いたずらをしかけて成功した小学生のように、楽しそうな声のT。
「お前の妹としても、弟としても通用するから、
お前の彼女がヤキモチ妬くことはないよ」
(ヤキモチなんか妬くもんか。
「同棲している」を連呼してたけど、
実際の僕らは、もう終わっている。
最後にセックスをしたのは、一体いつだったか思い出せない)
・
「ああ...分かった...じゃあな」
電話を切って顔を上げると、民が戸口の前で突っ立っていた。
大きなTシャツの下から、黒のレギンスに包まれた細い脚が突き出ている。
「ごめん、起こした?」
「いえ、ぐっすり眠れました。
ありがとうございます」
チャンミンは、薄いTシャツ越しの民の胸の辺りに目をやってしまう。
(何を確認しようとしてるんだよ?)
民がチャンミンの側を通り過ぎる時、民の後頭部の髪が何房かはねているのに気付いた。
チャンミンは、民の髪に手を伸ばしていた。
「どうも」
チャンミンの手が頭に触れても動揺することなく、民は頷いただけだった。
動揺していたのはチャンミンの方だった。
民の髪に手を伸ばした自分の行動が、あまりに自然だったことに動揺していた。
(あまりに似ているから、まるで自分の身体のように、彼女に触れてしまった)
・
チャンミンと民は、ダイニングテーブルについていた。
「できあいのものばかりで悪いんだけど」
民の好みが分からないチャンミンは、何種類もの総菜をスーパーで購入してきた。
「お皿に移しかえるなんて、チャンミンさんはきちんとされている方なんですね」
(リアだったら、こんな小さなこと絶対に気付かない。
民ちゃんが座っている席には、普段はリアがいる。
もっとも、僕らが共に食事をすることはほとんどなくなった。
僕が帰宅する前にリアは出かけてしまい、僕が出かけた後にリアは帰宅する)
「リアさんは、お仕事ですか?」
「は?」
急に同棲相手の話が出て、チャンミンはむせてしまった。
「リアさんに申し訳ないです。
彼氏さんと住んでいるところにお邪魔しちゃって」
民は眉をひそめる。
「あいつは、ほとんど家にいないから、気にするな」
チャンミンは、民がしばらくここに寝泊まりする件を、リアに話していなかった。
典型的なサラリーマンのチャンミンと、自由業のリアの生活時間帯が重なることがまれだった。
すれ違い続きで、滅多に顔を合わせないくせに、嫉妬深いところがあるから、トラブルの種になりそうな今回の件は、伝えづらかった。
(兄妹として通すのが、最善かもしれない)
「リアさんは、どんなお仕事をされているんですか?」
「...モデルをやってる」
チャンミンは口ごもった後、渋々答えた。
「へぇぇ」
目を見開いて驚く民。
「モデルさんなんですか。
そうしたら、二人が並んで歩いたら、美男美女で周りは振り向くでしょう?
チャンミンさんも背が高くてかっこいい...」
と、民はそこで言葉をきると、苦笑いをした。
「チャンミンさんを褒めると、まるで自画自賛しているみたいで恥ずかしいですね」
「僕が君を褒めたら、やっぱり自画自賛になるね」
チャンミンと民は顔を見合わせて笑った。
チャンミンは、民の笑顔から目が離せずにいた。
(この子はきっと、素直に育ってきたんだろうな。
笑顔を見れば、そんなことすぐわかる。
それに、感動するくらい目が綺麗だ。)
民はチャンミンが用意した夕飯を、きれいに平らげた。
「私は居候なんです。
せめてこれくらいさせてください」
と、食卓の片づけを買って出た。
民がこちらに背を向けているので、チャンミンは遠慮なく彼女を観察していた。
長い前髪を耳にかける仕草や、半袖から伸びた腕がしなやかだった。
背も高いし、言われなければ男性として通るかもしれない。
黒のペディキュアが塗られた裸足の脚に視線を移す。
(そうだった、この子は女の子だったんだ。
僕と同じ目鼻立ちをしていて、
これで他人なんだから)
テーブルに置かれた携帯電話が震えた。
「はいはーい」
民は、Tシャツの裾で濡れた手を拭って、電話に出る。
「あ~、兄ちゃん?
うん...すごくいい人だよ...そうなの!
びっくりした!」
チャンミンとの時と違って、くだけた口調で、高いトーンで会話をする民。
まだ初日だから仕方ないが、民とこんな風に言葉を交わせるようになりたいと、チャンミンは思ったのだった。
(つづく)
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