「はい、出来たよ」
最後に狩衣の上下を袴に差し込んで、浄衣姿が完成した。
「雪駄で鼻緒ずれするから、あっちで絆創膏を貼っておいで」
「はい」
「ほぉぉ」と息をのむ声が聞こえ周囲を見渡すと、部屋のあちこちの者たちがチャンミンに注目している。
(どこか...変ですか?)
ミミが連れてきたよそ者ということで、ひそかに町民たちの注目を浴びていたチャンミンだった。
チャンミンは、細身の高身長、加えて端正な顔立ちをしている。
古典絵巻から抜け出たような美青年に仕上がって、遠巻きに観察していた面々は驚いたのも無理はなかった。
子どもたちの付き添いの母親たちも遠巻きに、チャンミンへ色めき立った視線を送っている。
(そんなに変ですか?)
居心地の悪くなったチャンミンは、折り畳みテーブルの上に並んだ稲荷寿司を紙皿に10個ばかり載せて、テツの横に座った。
「お前...えらいべっぴんさんになったなぁ...」
黒い烏帽子がシャープな顔のラインを際立てている。
テツは、チャンミンの頭から足の先までを、何往復も舐めまわすように見た。
「男の俺でも、惚れるぜ?」
「気持ち悪いこと言わないでください。
僕は着流しがよかったです」
チャンミンは、白い着流し姿の闘鶏楽の一団を羨ましそうに見る。
「鐘が叩けねえ奴は無理だ、諦めろ。
で、どうだった?」
テツは、もぐもぐと稲荷寿司を頬張るチャンミンの耳元でささやく。
「へ?
何がです?」
「アレに決まってるだろ。
で、どうだった?」
「ああ、そのことですか。
凄かったんですから。
一睡もしていないんです...ふあぁぁ」
チャンミンは大きなあくびをした。
「一晩中か!?
若い奴は違うなぁ...。
で、何回やったんだ?」
「6回です」
「ぶはっ!」
チャンミン発言にテツは飲みかけていたお茶を吹き出した。
「汚いですねぇ。
テツさんもえっちですねぇ」
チャンミンはテツにティッシュを渡してやりながら、やれやれといった風に首を振った。
注)
6回というのは、アレを開封した回数(個数)である。
6個のうち5個は使用不能にしてしまい(装着ミス、膨張不足、未挿入)、本来の機能を活かせたのは、実際のところ1個に過ぎない。
しかし、(本番が)1回だけだったとしても、チャンミンにとって、6回(本番を)やったくらいの満足感と感動を得ていた。
よって、チャンミンは決して嘘は言っていないのである。
午前5時。
公民館前から御旅行列が出発した
鐘を打ち鳴らす闘鶏楽と、笛太鼓の雅楽が奏でる中、
天狗と獅子を先頭に、太鼓持ち、槍持ち、幟持ちが続いて、
裃姿の警固、神幸旗持ち(チャンミンの役はここ)、
台名旗持ち、神輿、神職、巫女、稚児が行列を成す。
氏家前で、獅子舞を奉納しながら半日をかけて、約5㎞の道のりをしずしずと練り歩く。
沿道に並ぶ見物人たちは、行列の中に家族を見つけるとスマホやカメラを向けたり、ねぎらいの声をかけたりと、賑やかだ。
一文字笠をかぶったカンタが、生真面目な顔をして鐘を叩くのを、母親のヒトミが写真におさめている。
(なんて重いんだ...)
昨日、テツの前で大見得を切ったチャンミンだったが、出発して30分後には根を上げたくなっていた。
(「旗持ちなんて地味だ」とケチをつけてごめんなさい。
こんなに重いだなんて!)
神幸旗の竿は2メートルもある上、重さも10㎏はある。
神聖なものなので、地面につけることもできない。
加えて風が吹くたび、旗がはためき、右へ左へとぐらつく竿を全力で握りしめないといけなかった。
(ミミさん...辛いです)
田植えを前に水を張った水田に、古典衣装を身につけた一行の姿が映る。
それはそれは幻想的で、世にも美しい光景だった。
行列の通過をいまかいまかと待ちわびていたミミ。
(チャンミン!)
チャンミンの姿を見つけて、息が止まりそうになった。
(やだ...めちゃくちゃ、カッコいいんですけど!!)
チャンミンの方も、沿道に連なる人々の中から、ミミを探していた。
オーバーサイズの白いシャツにデニムパンツを合わせた、ラフでくつろいだ姿のミミを見つけた。
チャンミンを真っ直ぐに見つめ、口をぽかんと開けて、頬をピンクに染めたミミ。
(ミミさん!)
チャンミンの心臓がドキンと跳ねる。
・
神妙な面持ちでいたチャンミンが、私を見つけた時にとっさに見せた表情がすごかった。
嬉しい気持ちを、目と眉と頬と口と...と顔のパーツ全てで表していた。
ああ、そうだった。
いつもこの子は、こんな風に私を見る。
可愛くて、えっちで、
大好きな、大好きな彼氏だ。
彼からの愛情を注がれる資格は、私にあるのかな。
やだな...感動する。
涙が出てきた。
両手がふさがっているので、手を振れないチャンミンはおどけた顔をつくった
歩調が乱れ、後ろの旗持ちに怒られている。
誇らしげなチャンミンが子供っぽくて、可愛らしかった。
・
昼前に御旅所に到着した一団は、獅子舞と闘鶏楽を奉納した後、簡単な昼食をとる。
そして、再び行列を成して神社へ向かうのだ。
「はぁ...きついなぁ」
「腰が痛い」
「やっとで半分だ」
倒れこむように腰を下ろした面々に、お茶や菓子、おにぎりなどを載せた盆がまわってくる。
「お疲れ様」
チャンミンの隣に座ったミミは、よく冷やしたおしぼりを渡す。
チャンミンの頬骨が、日に焼けて赤くなっていて、冷たいおしぼりが火照った肌に気持ちがいい。
「重いでしょ?」
「余裕ですよ。
僕はこう見えて鍛えているんですよ」
ミミは、強がりを言うチャンミンの手をとった。
「痛そうだね」
チャンミンの指の付け根にできたマメがつぶれて、血がにじんでいる。
「これくらい、平気ですよ」
「チャンミン、ありがとう。
お兄ちゃんの代わりに、祭りに出てくれて。
本当に助かった」
(そういえば、チャンミンにちゃんとお礼を言っていなかった)
こんなこともあろうと、チャンミンの手の平にガーゼを当て、上からテーピングを巻いてやった。
「あと半分、頑張りますね」
「うん、頑張ってね。
チャンミン、カッコいいよ」
鼻にシワをよせて、照れ笑いをしたチャンミンへの愛情が、あふれそうだった。
祭りは終わった。
各家ともども宴たけなわ。
「よう頑張った!」
「かんぱーい!」
ミミ宅でも、一家全員グラス片手に、広間の大テーブルに所狭しと並んだごちそうに箸を伸ばしている。
はしゃいで走り回る子供たち、それを叱るヒトミ。
普段は気難しい祖父ゲンタも、祖母カツ相手に何やら熱弁を振るい、父ショウタは母セイコに、お酌をしてやっている。
ミミ一家は酒好きで、次々と酒瓶が空になる。
ギプスを巻いたリョウタは、旗持ち役をやり遂げたチャンミンにビールを注いでやった。
そのグラスをミミは、チャンミンの元へ運んでやる。
チャンミンは、広間の隅で、5枚並べた座布団の上に寝かされていた。
重量のあるものを半日間、反り腰の状態で持ち歩いたせいで、祭り終了時には腰が立たなくなっていた。
ショウタとミミに両肩を支えられて、やっとのことで帰宅したのだ。
ミミは、チャンミンの元へ甲斐甲斐しく食べ物を運んでやる。
親鳥が、大口を開けたひな鳥に餌を与えるみたいに。
「あーん」
ミミは、エビフライをチャンミンの口に入れてやる。
「タルタルソースをもっと付けてください」
「はいはい」
「次は唐揚げが欲しいです」
「はいはい」
「あーん」
「次は?」
「ビールがいいです」
「はいはい」
「口移しで飲ませてください」
「馬鹿!」
「ちぇっ」
チャンミンは、グラスに差したストローをくわえた。
「ストローで飲むビールは美味しくないですね」
「贅沢言わないの。
次は何が欲しい?」
「ミミさんが欲しい」
ミミがすーっと目を細めたので、チャンミンは即座に謝った。
「ミミさんも食べてください。
あ!
食べるって僕のことじゃなくて、お祭りの御馳走のことですからね」
「当たり前でしょ!!」
ミミはもう、開き直っていた。
家族の前だから、できるだけいちゃいちゃしないよう気を付けているのに、チャンミンはそんなミミを面白がって、大胆な言動をするからだ。
汗をかいたから気持ち悪い、絶対にお風呂に入ると言い張るチャンミンだった。
四つん這いで風呂場に向かうチャンミンの後を追いかけながら、ミミはため息をついた。
(今夜もミミさんを抱くんだから!
汗臭いから、きれいにさっぱりしないといけないんだ。
何が何でも絶対に!)
(この子は、いったん決めたら絶対に譲らないからな)
脱衣所の床に座って、チャンミンが入浴を終えるのを待っていた。
「湯船には入っちゃ駄目だからね。
腰を痛めてるんだから、身体を温めない方がいいんだからね」
「そんなに僕のことが心配なら、ミミさんも一緒に入りましょうよ。
僕の身体を洗ってください。
腰が痛くて、頭が洗えません」
「嘘つかないの!」
風呂場から聞こえていた水音がぱたりと消えて、ミミは慌てた。
「チャンミン?」
返事がない。
「大丈夫!?」
風呂場に飛び込むと、頭をシャンプーの泡一杯にさせたチャンミンが、わざとらしく驚いた顔をした。
「今夜はミミさんが『覗き見』ですか?
そんなに僕の裸が見たかったんですか?」
目を半月型にさせて、ニヤニヤ笑っている。
「馬鹿!
チャンミンの馬鹿!」
風呂場から出ようとするミミの足首に、チャンミンの手がにゅっと伸びた。
「危ない!
転んじゃうじゃない」
「頭を洗ってください」
「仕方ないなぁ」
ミミはデニムパンツの裾と、シャツの袖をまくると、チャンミンの泡いっぱいの髪に両手を滑らせた。
(きれいな頭の形をしているのね)
マッサージするように丁寧に、適度な力で指の腹を使って、チャンミンの髪を洗う。
「気持ちいいです」
タイルの上に踏ん張るように立ったミミの裸足の足が白くて、足首も細くて、チャンミンはそれだけでどぎまぎした。
「かゆいところはないですかぁ?」
美容師の真似をして、ミミはふざけて言う。
「そうですねぇ、耳の後ろが少し」
「かしこまりました。
他にございませんかぁ?」
「そうですねぇ...ここが少し」
「?」
「......」
「馬鹿馬鹿馬鹿!」
ミミは洗面器いっぱいお湯を汲むと、高い位置からチャンミンに浴びせかけた。
「ひゃあっ!」
ごしごしと顔をこすってから、そのまま髪をかき上げたせいで、オールバックになったチャンミン。
(やだ...、カッコいいんですけど!)
「...ミミさん...どうしましたか?」
絶句しているミミに声をかけた。
「ミミ―!!」
「!!!」
(お母さん!)
「ミミ―!
パイナップル切ったから、おいでー!」
(どうしよう、どうしよう!
チャンミンと一緒にお風呂に入っているなんて、バレるわけにはいかない!)
目を白黒させているミミの姿に、チャンミンはくすりと笑うと
「ミミさんはおトイレでーす!
後で、僕から伝えておきまーす」
廊下に向かって大声でセイコに伝えた。
「ふう」
(焦った)
チャンミンとミミは顔を見合わせて、苦笑したのであった。
「のぼせる前に、お風呂を出ましょうか」
怒って、焦って、安堵して、それから舌をちょっと出して笑って。
百面相のミミがあまりにも可愛くて、
「好き、です」
そう言ってチャンミンは、ミミのうなじを引き寄せてキスをした。
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