どうやら民の感情がストレートに現れるのが、眉毛らしい。
チャンミンは、上がったり下がったりと忙しい民の眉の動きを、じーっと興味深げに眺めていた。
「チャンミンさん?」
「ああ!
なんでもないよ、気にしないで。
え~っと...ずっとショートヘアだったの?」
「一度だけ伸ばしたことがありますが、似合わないんです。
男顔だからでしょうかねぇ。
短い髪の方がしっくりくるみたいです」
「短い方が似合うよ」
「ホントですか?
嬉しいです」
うつむいて照れる民は、額にはらりと落ちる前髪を耳にかけた。
その耳が真っ赤になっていて、チャンミンは無意識に自分の耳に手をやっていた。
(熱い...。
...っておい!
僕まで照れてどうするんだよ)
「そっか...。
チャンミンさんが似合う髪型は、私も似合うってことですね。
でも...」
民はじっとチャンミンを見る。
「チャンミンさんみたいに刈り上げたら、ホントに男の子みたいになってしまうから...しません」
身長がほとんど変わらないから、民の視線はチャンミンに真っ直ぐ注がれる。
(うっ...!)
普段、見上げられることに慣れているチャンミンは、その視線をまともに受け止められない。
ついと目をそらしてしまった。
(この子の眼はマズイ。
真っ直ぐで、透き通っていて、こちらの気持ちまで見通してしまうかのような...。
僕の眼も、こんな風なんだろうか?
...そんなことはないだろうな。
世間に揉まれて、さぞかし曇った眼をしているんだろうな)
「チャンミンさん」
「......」
「チャンミンさん」
民に腕を揺すられて、
「あ!」
物思いにふけっていたことに気付いた。
「眠いですか?」
「え?」
「おしゃべりし過ぎましたね。
ごめんなさい。
今、何時ですか?」
民に聞かれてチャンミンは、レンジのデジタル時計に目をやる。
「えっと...2時」
「もう!?
チャンミンさんは明日、お仕事ですよね?
ごめんなさい。
引き止めてしまいました」
いつの間にか彼らは、1時間もキッチンに立ちんぼで会話を楽しんでいた。
「気にしないで。
民ちゃんも、明日から活動始めるの?」
「活動?」
「仕事を探すんだろ?」
「ああ!
そうなんです」
民は胸の前で、パチンと音を立てて手を合わせた。
「仕事探しは明後日からなんです。
明日は、実家から荷物が届くんです。
洋服とかこまごましたものを送ったので...。
いいですか?」
「僕の許可はいらないって。
近所に何があるか見て回るのもいいと思うよ」
「そうします。
迷惑がかからないよう、早く仕事を見つけて、住むところを見つけますから」
「慌てなくていいから。
いくらでも居て構わないから」
「ありがとうございます」
「じゃあ、寝よっか」
「はい」
照明を消して、2人はキッチンを出る。
「おやすみ」と手を上げて、寝室に向かおうとしたチャンミンのTシャツの裾が引っ張られた。
「あの...」
「ん?」
「リアさんとの邪魔をしちゃってごめんなさい」
民は寝室のドアを指さす。
チャンミンが隣で眠るリアを残して、水を飲みに来たと思っているようだった。
実際は、リアはまだ帰宅していない。
チャンミンと恋人リアは、すれ違い続きの同棲生活を送っていた。
(毎日が独り寝だ)
「違っ...」
と民の誤解を解こうとしたチャンミンだったが、すでに民は自室のドアを閉めてしまった後だった。
T。
お前の妹ときたら、何だよ。
僕を混乱の渦に引きずり込む。
わずか1日で、どうにかなりそうだ。
10%は気味が悪い。
30%は興味津々、愉快な気持ち。
残り60%は...うまく説明ができない。
リラックスして会話ができるし、礼儀正しくて表情豊かな子だ。
鏡に映るもう一人の僕。
血のつながりはない。
性別が違う。
年齢が違う。
性格が違う。
僕と生き写しだけれど、自分自身と会話しているかのような錯覚は不思議なことに起きないよ。
「おはようございます」
コンロに向かっていた民(ミン)は、起床してきたチャンミンの方を振り向いた。
「!!」
民は、黒Tシャツと昨日と同じ細身のデニム姿だった。
「お、おはよう」
チャンミンの寝ぼけた頭が、一瞬でしゃきっと目覚めた。
(そうだった。
民ちゃんが昨日からうちにいたんだった...)
「!!!!」
(ミミミミミミミンちゃん!!)
目を丸くして、民の着たTシャツに注目しているチャンミンに気付いて、
「このTシャツ...変ですか?」
と、不安そうに眉を下げる民の様子に、チャンミンは慌てる。
「変じゃないよ」
(変じゃないけど!
全然変じゃないけど!)
チャンミンの顔は真っ赤だった。
(民ちゃんは、ブラジャーを付けないのか?
乳〇が透けてるじゃないか!
そうなんじゃないかと思ってたけど...。
民ちゃんって...ペチャパイなんだ...。
なんて、本人には絶対に言えないけど...)
「チャンミンさんって...男の人なんですね」
感心したように民はつぶやいた。
「え!!!」
慌ててチャンミンは、スウェットを履いた下半身に目をやる。
(しまった!
油断していつものように起きてきてしまった!
男の朝の生理現象を、見られたか!?)
焦ったチャンミンはスウェットパンツをつまんで、腰をかがめる。
「いえ。
そこじゃなくて、ヒゲです」
「へ?」
「泥棒さんみたいな顔になってます」
民はくすくす笑った。
(そこ?)
顎をさするチャンミンに、民は顔を右に左にと見せた。
「私には髭は生えてません。
あぁ!
焦げちゃいます」
民はフライパンの中身の調理に戻り、チャンミンは洗面所へ向かった。
(色白ですべすべの肌だな...。
やっぱり女の子なんだな...)
洗面を済ませたチャンミンが戻ると、ダイニングテーブルの上にはすっかり朝食の用意が出来ていた。
「オムレツのはずが、炒り卵になっちゃいました」
(料理は...下手な方かもしれない)
チャンミンは、皿の上に乗った黄色いぐちゃぐちゃを見下ろした。
(誰かに朝ごはんを作ってもらうなんて、久しぶりだな...)
「あ!
リアさんは?
まだ寝ていらっしゃるんですよね?」
寝室の方へ顔を向けた民に、チャンミンは慌てて言う。
「明後日まで帰ってこないんだ。
それに、リアは朝ごはんは食べないんだ」
「体重管理に命をかけているからな」と、チャンミンは心の中でつぶやいた。
今朝、枕もとで点滅する携帯電話に、撮影旅行で3日程留守にする、と簡潔なメールが届いていた。
「そうですか...」
「リアのことはいいから、食べよう!」
「はい」
民はリアの席につくと、コンソメスープ(レトルトもの)のカップに口をつけた。
1年前までは、チャンミンとリアは毎朝、こんな風にに向かい合って朝食をとっていた。
西欧の血が混じった美しい顔と、パーフェクトな身体をもつリアに、見惚れる気持ちをまだ持っていた頃のことだ。
(あの頃は、リアの恋人が自分であることが自慢で、幸せだった。
彼女の仕事が忙しくなって、帰りが遅くなったり、外泊する日が増えてきて、数日間顔を合わせない日が当たり前になってきた。
深夜にベッドに滑り込んできたリアを後ろから抱きしめると、鬱陶しがって僕の腕を跳ねのけられる日もあったっけ。
かと思えば、ベッドサイドに置いた僕の携帯電話をチェックしていることもある。
褒められた行為じゃなかったとしても、ちゃんと僕のことが気になっているんだと少しだけ嬉しかった。
リア以外の女性と浮気なんてあり得ない。
リアの方が浮気をしているとか...?
リアが、自分以外の男と浮気だなんて絶対にない、と自信があった。
どんなに帰りが遅くなろうと外泊が続こうと、リアは必ず僕らの部屋に帰ってきたから。
ここは、僕とリア二人の家だ。
でも、今はどうなんだろう。
これまで僕はリアの帰りを待ち続けてきた。
この部屋で一人で過ごす日を積み重ねていくと、それが当たり前になってくる。
実は、僕は寂しかったんだろうな。
だから、Tからの依頼に渋々な様子を装いながらも、承諾した。
「リアが嫌がるのでは?」と一瞬迷ったし、彼女が納得するように何て説明しようか頭を悩ませたけれど、結局は民ちゃんを受け入れた。
この停滞した部屋に、新しい風を取り込みたかったのかもしれない)
(つづく)
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