(14)僕を食べてください★

 

 

「チャンミンのことを気に入っているって言ったでしょ?」

 

額の上に手をかざしてひさしを作ったキキは、僕の隣にしゃがんだ。

 

 

「チャンミンの顔も身体も声も匂いも、全部好きよ。

特に、あなたが喘ぐ声が好き。

あなたのペニスが好き。

それじゃ駄目かしら?」

 

「セフレってことか?」

 

「どうしてそんな発想になるのかな。

好きじゃなければ、あなたのを舐めたりしないし、挿れさせない。

私の気持ちは伝わっていなかったのかな?」

 

 

そういうことか。

 

キキは僕の顔と身体を気に入って、それを恋だと勘違いをしているのかもしれない。

 

肉体の愛。

 

互いの身体に舌を這わせ、指をなぞらせ、性器を接触させる行為そのものを、彼女は愛と思い込んでいる。

 

僕はとっくの前に、彼女に夢中になっているというのに。

 

キキの身体を求めてしまうのは、股間を熱くさせてしまうのは、肉体の繋がりこそがキキの信じる愛なんだということを、僕は察していたのだろう。

 

僕の身体に触れることが、イコール、僕への愛情。

 

キキに触れられて漏らす恍惚の喘ぎが、イコール、キキへの愛のささやき。

 

身体の繋がりなしに僕らの関係は成立しないのか。

 

生まれてはじめての、脳みそまで痺れてしまうほどの愉楽を知った。

 

僕も僕だけど、キキもキキだ。

 

今さら、心同士の繋がりを育てていくことは可能なのだろうか?

 

「僕は好きな人とヤリたいよ」

 

と、キキの手が伸びて僕が制する隙もなく、デニムパンツのボタンが外された。

 

「やめろ!」

 

続けてファスナーが下ろされ、下着から萎えた僕のものが引っ張り出された。

 

「やめ...ろ!」

 

キキは僕の股間に顔を伏せ、柔く小さくしぼんだ僕のものを口に頬張った。

 

「ひぃっ...」

 

キキの肩を押して抵抗したけど、それは形ばかりのものに過ぎない。

 

口で愛撫されてしまったら...もう...僕は。

 

「ああぁ」

 

敏感に反応してしまう、自身の浅ましさときたら...。

 

キキの口の中で、あっという間に勃起する。

 

亀頭を咥えながら、根元からカリの部分まで、ゆるく握った手でしごかれた。

 

最初は機械的なリズムで、ゆっくりと上下にしごかれる。

 

カリのくぼみをちろちろと舐めまわされ、唇でひっかけられた。

 

「あっ...」

 

裏筋が吸い上げられながら、小刻みに舐められる。

 

快楽の泥沼の底に沈んでいく。

 

僕は黄金色の沼に沈んだままだ。

 

恍惚の沼の底に横たわって、光きらめく水面を見上げていた。

 

黄金色の蜜がとろとろと揺らめいている。

 

綺麗だった。

 

僕はもう浮上できない。

 

「ひっ...」

 

たっぷりの唾液でぬるぬるになって、キキの口内で舌が踊って、僕は天を仰いで恍惚の世界を漂う。

 

「あぁ...っ」

 

深く咥えこまれ、喉奥で圧迫された。

 

「ひっ」

 

 

かすれた悲鳴が漏れた。

 

きつく握られていた根元が解放された。

 

 

緩く早く、柔くきつく刺激されて、僕は達する。

 

キキの喉が動いて、放出された僕の濃厚な吐精がごくりと飲み込まれた。

 

これがキキの好意の証か。

 

顔を起こしたキキは、唾液でつややかに濡れた唇を手の甲で拭った。

 

「わかった?」

 

サングラスをかけていない、明るい日差しの下のキキの顔。

 

眉毛の上でパツンと切りそろえた前髪が、川風にさらわれおでこが露わになった。

 

「眩しい。

返して」

 

 

かけたままだったサングラスを、僕は外した。

 

 

僕の瞳は、色彩と光、現実世界を取り戻した。

 

 

「キキ...」

 

 

順光にさらされたキキの紺碧色の瞳と、初めて真正面から目が合った。

 

 


 

 

目を何度こすっても、視界は赤く染まったままだった。

 

ぬぐった手の甲が真っ赤だった。

 

これは、血...?

 

耳がおかしくなったみたいだ。

 

無音世界だった。

 

ダークグレーのマットに四つん這いになっていた。

 

膝が痛くて体重移動させると、ぐらりと地面がかしいだ。

 

黒く濡れたマットに、ワインレッドのバッグが転がっていた。

 

母の誕生日に父が贈った、おろしたてのバッグだ。

 

助手席のシートの真下のそれを引き寄せた。

 

シートによじのぼったら、ガクンと傾いた。

 

ヘッドレストにしがみついて、窓を力いっぱい叩いたのに、誰も来てくれない。

 

僕は閉じ込められた。

 

パニックに陥ってもおかしくないのに、僕は叫び声ひとつあげなかった。

 

鈍い音とともに、ガラスのかけらが僕に降り注ぐ。

 

シートに散らばる透明で四角い粒が、おはじきみたいで綺麗だった。

 

二の腕を力強くつかまれたかと思うと、窓枠の外へ引きずり出された。

 

セミの鳴き声が、わんわんと五月蠅い。

 

何者かに抱きかかえられた僕は、火傷しそうに熱いアスファルトの上に下ろされた。

 

その人は膝を折って、僕の目線に合わせた。

 

お人形さんかと思った。

 

蝋のように青白いおでこをしていた。

 

目の縁だけが赤く色づいている。

 

赤くつややかに濡れた唇を、手の甲で拭った。

 

そして、人形のような青い目と真正面から目が合った。

 

 

 


 

 

 

「僕は...」

 

 

喉にひっかかって、思うように言葉が出てこない。

 

 

「...君を知っている」

 

 

キキは僕の手の中のサングラスを取り戻すと、すかさずかける。

 

キキの目元が、再びサングラスに覆われた。

 

 

「君に会っている」

 

 

僕の口の中が渇いていた。

 

 

「事故のとき」

 

 

セミの音も清流の音も、遠のいた。

 

 

「僕を...助けてくれて」

 

小学生だった僕が見た彼女と、24歳になった僕の隣に座るキキが、同じだった。

 

「僕は...子供だった」

 

しわひとつない顔。

 

「君は...」

 

今の僕と同い年にしか見えない。

 

 

「いくつなんだ?」

 

「女性に年齢はきくもんじゃないよ」

 

 

僕はキキに助けられた。

 

耳をつんざく轟音に驚いて振り返ると、僕を閉じ込めていた車が消えていた。

 

アスファルトにぺたりと座り込んだ僕の、手の平をじんじんと焼くアスファルトの熱さを、今も覚えている。

 

「若作りをしているだけさ」

 

僕の髪をくしゃっと撫でたキキは、立ち上がった。

 

「帰ろうか」

 

キキは僕を残して、すたすたと歩き去った。

 

「置いていかれたくないんでしょう?」

 

梯子の途中で、キキが大声で僕を呼んだ。

 

 


 

 

キキは僕の恩人だった。

 

墜落間際のつぶれた車から、僕を助け出してくれた。

 

母のバッグを抱きしめた僕を、カワヤナギの陰に寝かせた。

 

近づく悲鳴や怒号、サイレンの音に、キキは立ち去った。

 

しばらくの間、僕は無言だった。

 

キキも前方を睨みつけていて、助手席の僕をちらとも視線を向けなかった。

 

「僕を覚えていた?」

 

「あの河原で、チャンミンの話をきいて思い出した。

あの時は、旅の途中でたまたま通りかかった」

 

「そうだったんだ」

 

「あの時の、可愛い坊やだったんだって。

大きくすくすく育ったんだね」

 

あの時のキキは、若くて綺麗なお姉さんだった。

 

今のキキも若い。

 

エアコンがききすぎていて、鳥肌のたった二の腕をさすっていたら、「寒い?」とキキは風量を弱めた。

 

気にかかっていた一件を思い出した。

 

「変なことを聞くけど...僕って、怪我してたっけ?」

 

顔を前方に向けたまま、サングラス越しのキキの目がこちらを向く。

 

「怪我って、どこ?」

 

「腕なんだ。

血が出ていなかった?」

 

傷一つない、日に灼けた二の腕を撫ぜながらキキに尋ねる。

 

「いいえ。

怪我だなんて、大丈夫なの?」

 

初耳のようなキキの様子に、僕の頭に困惑の渦が巻いた。

 

(嘘だろ?

僕の気のせいだったのか?)

 

鋭いトタン板が切り裂いた瞬間の激痛を、覚えているのに。

 

血がにじむ傷口をキキに晒して、下半身が重く痺れた感覚を覚えているのに。

 

 

訳がわからない。

 

吐き気がした。

 

額に手を当てて考え込む僕の二の腕に、キキの指先が触れた。

 

「気分が悪いの?

家まで送ろうか?」

 

僕は首を横に振った。

 

冷たい肌を持った、年齢不詳のキキの側を離れたくなかった。

 

僕をばあちゃんちの前に降ろしたら、キキのX5はうんと遠くまで走り去って、二度と戻ってこないのではという恐怖があった。

 

2日前、キキと初めて食事をしたファミリーレストランの前を通り過ぎた。

 

 

「河原で話していたことの続き」

 

キキが淡々と話し始めた。

 

「チャンミンの言わんとすることは、なんとなく分かっているよ」

 

膝にのった僕のこぶしにキキの冷たい手がのった。

 

「チャンミン、『好き』だなんて言葉を簡単に口にするものじゃないよ。

まだ私の身体のことを、知らないでしょ。

あなたったら、ただ挿れて出すだけじゃないの」

 

 

羞恥で僕の身体が熱くなった。

 

「チャンミンは経験がないから、仕方がないよね。

 

だから、

私の身体をすみずみまで見て、触って、感じる前に、『好きだ』なんて早すぎるんじゃないかしら?」

 

キキの言う通りだ。

 

僕のセックスは、挿れて出すだけだ。

 

自分が気持ちよくなることしか、考えていなかった。

 

恥ずかしい。

 

 

「好きだ」とささやくだけでは、キキには不十分だった。

 

 

キキが信じる愛は、互いの身体を繋げること。

 

「キキ!

 

連れて行って!

 

キキの家へ。

 

キキを抱きたい」

 

キキへ「好き」を伝えるために、僕はキキの身体を愛撫する。

 

「キキを愛したいんだ」

 

 

(つづく)

 

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