~キキ~
全ては私が全部、悪い。
チャンミンがあそこまで、のめりこむとは想像もしていなかった。
軽い気持ちのはずだった。
性に未熟なあの子を夢中にさせてから、目的を果たす、はずだった。
私は元来、冷血な性質の持ち主。
利己的で冷酷な言葉も嘘も平気で吐ける。
目的を果たすまでは、残酷さは封印して優しい言葉を、吹き込む。
何も知らない子。
私の身体に夢中になってしまって...可哀そうに。
この先、どうなるのかも知らないで。
堅く勃ちあがった彼の先端に吸い付くと、瞬時に反応して上ずった喘ぎ声をたてる。
私の下で、上で腰を揺らして恍惚の表情を浮かべるチャンミンを見て、ほくそ笑んでいた。
怯えて恐怖の香りを発散させたかと思うと、私の放つ香りに我を忘れたり。
私の口の中で彼の高まりがどくどくと大きく脈打つのを感じて、この子は温かい魂の持ち主であることを思い出させる。
あの時の子供がチャンミンだったとは、橋の欄干で告白されるまで気付かなかった。
当時は顔をじっくりと見る余裕がなかったから。
チャンミンの顔を汚す真っ赤な血に、顔を背けていたから。
あの子を見つめると、真っ直ぐな眼差しが返ってくる。
動揺したのを悟られまいと、私は目力をこめて見つめ返した。
耳を当てなくても、皮膚の下でどくどくと温かい体液が全身を巡る音が聴こえる。
快楽によってゆがんだ唇から漏れるかすれた声。
潤んだ瞳は切なげで、必死で私を求めている。
何を求めているの?
私から何を引き出そうとしているの?
あの時の、チャンミンの手探りのような愛撫は優しかった。
ゆるゆるとした愛撫は、ゆっくりと私を高めてくれた。
事の最中は冷静でいるはずの私が、身体の芯に火がついた。
繋がる身体に夢中になり、のしかかった身体に抵抗できなかった。
ウエストを引き寄せられ、そそりたったものに強く深く突き上げられて、目の前が真っ白になった。
耳に吹き込まれたのは、チャンミンの温かく湿った息と、「好きだ」の言葉。
私にはなくて、チャンミンにはある「心」って、こういうものなのか。
チャンミンの「好きだ」の言葉にたじろいだ。
困惑する。
密着してこすれ合う肌から伝わる、チャンミンの体温は熱くて火傷しそうだった。
気付けば私は彼にしがみつき、これまで出したことのない嬌声を上げていた。
愉楽に歪む顔を見られたくなくて顔を背けても、顎をつかんで視線を合わせてくる。
怖気付いたかと思えば、心中に湧いた疑問に蓋をして取りすがって来る。
ここまでは思惑通りだったが、目がいけない。
行き止まりに追い詰め、恐怖におののく姿を楽しむはずだったのが、私の方が追い詰められた。
立ち上がった途端、眩暈に襲われて膝から崩れ落ちた。
こぶしが小刻みに震えている。
失神したチャンミンをここまで運ぶのがやっとだった。
この数日、チャンミンにかまけていたら、このザマだ。
チャンミンに付きまとわれるのは、今の私にとって邪魔でしかない。
苦労して見つけた住まいを離れるか、骨の髄まで恐怖で凍り付かせて、追い払うか。
遊びのつもりが、深みにはまった。
チャンミンを傷つけたくない。
マットレスに横たえたチャンミンを見下ろした。
~チャンミン~
僕の部屋に、大きな箱が届けられた。
脚を折り曲げれば僕の身体が収まるくらいの巨大な箱だ。
まるで棺のようだ。
何が入っているのか、何故だか分かっていた。
包装紙を乱暴に破る。
幾重にもかけられた梱包紐に苛立ち、厳重に貼られたガムテープをはがす。
勢いよく引いたカッターナイフが、勢い余って指を切った。
ぷくりと膨らんだ血を口に含み、急く気持ちを整えるために深呼吸をした。
蓋を開ける手が震えていた。
人形が収められていた。
短く切りそろえた前髪の下で、扇形にまつ毛を伏せた小さな顔。
陶器のような、生気に欠けた肌。
言葉で言い尽くせないほどに美しい人。
人形のようなキキが収まっていた。
箱の中に腕を差し入れて、キキを抱き起す。
閉じられた瞼がぱちりと開いた。
抱き起すたび、くるくると目の色が変わる人形のように、キキの瞳も墨色だったり、群青色だったりするんだった。
僕は絶句する。
どこにも視点が結ばれていないその瞳に、色がなかった。
1対の冷たく透明な瞳は、僕の魂を吸い込みそうに底なしに深くて、どれだけ覗き込もうと、その深淵には感情の揺らぎが一切なかった。
僕は辺りを見回した。
僕の指先からこぼれた血が黒い。
そこで初めて僕は、モノクロの世界にいることに気付いた。
白と灰色、黒色の景色がにじんでいき、目を開けているのか閉じているのか分からなくなった。
意識がふわりと浮上していく。
夢だったのか。
身体の感覚が、質量を取り戻した。
ここは...。
目だけを動かして、周囲を見回す。
見上げると、太い鉄骨の梁、外の光を透かしている波板トタン。
キキの廃工場だ。
僕は、真っ白なマットレスの上にいた。
濡れたデニムパンツが脚に張り付いて気持ち悪い。
辺りは薄暗く、夜明けなのか日暮れなのか。
怖気だった記憶が僕の心をかすった。
夜の谷川での出来事だ。
水中に沈んだキキは、呼吸が止まり、脈も感じられなかった。
それなのに、ぱちりと目を開けた。
「怖いでしょう?」って。
不思議なことに、恐怖は感じなかった。
ただショックが大きかっただけだ。
僕の予感が的中してしまった、と。
意識を集中させて、どこか痛むところはないか全身をスキャンする。
手も足も問題なく動く。
起き上がろうとしたが、すぐさま身体をマットレスに沈めた。
廃工場内のプレハブのような小部屋の方から、物音がしたからだ。
元事務所だったそこにはデスクが置かれていて、キキが揃えたと思しき真新しい収納ケースが積まれていた。
埃で曇った窓越しにキキが見える。
キキが小部屋を出てくる足音がして、僕は慌てて目をつむった。
足の運びが不規則で、地面を引きずる足音が不自然だった。
キキが足音を立てるなんて珍しい。
薄めを開けて、キキの行き先を見守る。
黒い長袖シャツを羽織り、細身の黒いパンツを履いていた。
長い髪もポニーテールにしていた。
いつもワンピースを着ていたキキだったから、「おや」と思った。
どこへ行くんだ?
キキがこちらを振り返りそうだったから、僕は顔の筋肉を緩めて眠りこけるふりをする。
キキのX5のエンジン音がするかと耳をすましていたが、よかった、車は使わないんだ。
僕は跳ね起きると、マットレスの下に揃えて置かれたスニーカーを履いた。
開いたままのシャッターへ走る。
地面にビニール袋から飛び出たサンドイッチとペットボトルが散らばっていた。
右ひじをさすると、擦り傷がかさぶたを作っていた。
夜の出来事は、夢じゃない、現実だ。
暗闇の中で僕の腕がひっかけたものは、テーブルドラムに置かれていた水筒のようだった。
地面に転がるそれを目にして、胃の腑がせり上がってきたが、ごくりと唾を飲み込んで堪える。
シャッターをくぐって外へ出る。
ひんやりとした澄んだ空気と、空の色から明け方だと分かった。
廃工場から山道を見下ろしたが、キキの姿はない。
小枝が折れる音を振り向くと、笹藪の陰に黒いものがちらついた。
山の中に入っていくようだ。
X5の陰にしばらく身を潜めたのち、砂利を踏むスニーカーが音を立てないよう小走りで斜面を駆け上がる。
うっそうとした下草をかき分け、林の中まで足を踏み入れた。
木立が朝日を遮って薄暗い。
黒づくめのキキが、両腕で身体を抱きしめるような姿勢でふらふらと歩いている。
具合が悪そうだ。
それに、どこへ行くつもりなんだ。
頭上で鳥のさえずりがする。
木の幹に隠れながら、キキを追う。
降り重なった杉葉は柔らかく、足音を吸収してくれた。
キキは振り返る素振りを見せない。
足音を立てずに僕に近づける敏捷なキキらしくなかった。
脚をもつれさせ、ふらふらな身体で、キキには行きたいところがあるようだ。
額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
キキを追いかけながら、僕は川水に身を浸しながら聞いたキキの言葉を反芻していた。
僕はキキについてこられないし、キキも僕についてこられない、と言っていた。
愛情の熱量の差を言っているのだろうか。
僕に好きと言われて嬉しい、でも応えられない、と言っていた。
僕のことを嫌いになった、とは言っていなかった。
我ながら自分に都合のよい解釈の仕方だけれど、肝心な部分を避けて語られた言葉だったから、具体性に欠けていた。
結局のところ、「僕と離れたい」と言いたかったようだった。
僕は納得しない。
僕のどこがいけなかったのだろう。
キキはドライな関係を望んでいたのだろうか。
一方の僕は、物欲しげにキキの元を訪ね、言葉を交わす間も惜しんでキキに抱き着いていた。
短時間姿を消しただけでパニックを起こし、涙まで流してしまった。
昨日、僕は心を込めて(おかしな言い方だけれど)、キキを抱いた...抱いたつもりだった。
僕の未熟なテクでは、キキを満足させてあげられなかったかもしれないが、あの時のキキは気持ちよさそうにしていた。
うっとうしがられるほど「好きだ」と繰り返して、キキの頭にダイレクトに伝わるよう耳元でも囁いた。
絶頂の最中、キキが頷いたのは僕の錯覚に過ぎなかったのかもしれない。
「!」
考え事をしているうちに、先を行くキキとの距離を縮め過ぎていた。
それでもキキは気付かない。
僕はキキを追っていた。
キキの不調の原因を探りもしなかった。
案じさえしなかった。
手負いの小動物を追い詰める、捕食者の気持ちが僕の心を侵食していった。
僕から離れていくなんて許さない。
どこまでも食らいついていく。
キキに飛びかかった時、曲げた指に鋭い爪が生えているかのような幻影が見えた。
その爪がキキの両肩に食い込む。
逃げるなら、捕まえるまでだ。
ひっとキキの喉が鳴り、見開いた瞳に恐怖の色が浮かんだのを、はっきりと捉えていた。
僕に押し倒されて仰向けになったキキに、馬乗りになった。
「チャンミン...!」
「......」
キキのシャツをたくし上げて、あらわになった乳房に食らいつく。
乱暴にもみしだいて、乳首を強く吸う。
「チャンミン...やめて...!」
抗議の声を、唇で塞ぐ。
無理やり唇をこじ開けて、キキの舌を頬張り吸う。
「んん...!」
キキの抵抗する両手首をまとめてつかんで、頭の上で押さえつける。
抵抗されて、僕の欲が煽られた。
舌打ちをしながら、もたつく片手でボタンを外して、キキのパンツを下着ごとまとめて引きずり下ろした。
「やめて...」
さらされた白い裸身に、僕の肉欲に火がついた。
身体をよじらせるキキの力は弱い。
「僕から離れるな!」
デニムパンツをずらして、怒張したものを開放する。
キキの両足を肩に担ぎ上げ、濡れていないキキの中へ一気にねじ込んだ。
「やめ...」
狂ったように腰を動かした。
キキの奥底まで、何度もぐいぐいと突き立てた。
がくがくと揺さぶられているキキは、僕から顔を背けている。
キキの小さな顎をつかんで僕を見上げさせると、半分落ちたまぶたから空色の瞳が覗いていた。
キキの瞳はくるくると色を変えるが、ここまで明るい色は見たことなかった。
キキがますます「人形」に近づいた。
温かい粘膜に包まれても、僕の心は満たされない。
僕の身体は、背筋を貫く快感の波を何度も浴びているというのに、まるで他人事だった。
「頼むから、離れないで」
嗚咽交じりに繰り返した。
両脚を大きく開かせ、その中心に僕のものを深くうずめて引き抜く。
肌を叩く音、粘膜をこする音、粘液がたてる音、そして僕のうめき声。
キキは唇を引き締めたまま、何も言わない。
がくがくと僕に揺さぶられるがままだ。
僕は獣、だ。
「僕から離れるな!」
閃光のような快感と痙攣が下半身を襲った。
しばらくキキの頭をかき抱いていた。
「はあはあはあ」
身体を離して、僕は我に返る。
僕は絶望感の大波にさらわれた。
木立の元、落ち葉にまみれたキキの白い身体が横たわっている。
青白い肌をして、下まぶたから頬にかけて大きな赤黒い隈が広がっていた。
いつからこんなにひどい顔色をしていたんだ?
思い出せない。
キキを抱くのに夢中になるあまり、キキと繋がることした頭になかった僕は、キキの変化にまで注意を払っていなかった。
車内で「調子が悪い」と言っていたが、まるで聞いていなかった。
「......」
僕はなにを...した?
キキの目尻から、つーっと涙がこぼれ落ちた。
僕は獣に成り下がった。
僕は最低だ。
(つづく)
[maxbutton id=”27″ ]