「...となると」
(これからの私らは、どうなるんだ?
『付き合う』ことになるのか?
チャンミンには、『私らはこれから恋人同士になるんだからな』って宣言してやらないと。
教えてやらないとな。
あいつは誰かと深い関係を持つこと自体が初めてだから)
トイレの便座に腰掛けたシヅクがくすくす笑っていると、ドアがノックされた。
「シヅク?
大丈夫?」
「大丈夫!」
(チャンミンには友人もいない。
ひとりぼっちなんだよな)
「うーん...」
自宅と職場の間を往復するだけのチャンミンの毎日を知っているシヅクの胸が切なくなった。
チャンミンの休日を追ったシヅクは、どの日であろうと半日をジムで過ごした後、食料や日用品を買い物しただけのチャンミンを確認しただけだった。
(チャンミンの心は今、私に向かって開かれている。
彼のことを大事にしてやらんとなぁ)
一方、部屋とトイレのドア前を何度も行ったり来たりうろうろしていたチャンミンは、シヅクがなかなか自分を呼ばないことを心配し出してきた。
(倒れているんじゃないだろうな。
起き上がろうとしたらふらつくくらい熱も高かった!)
ドアの前で耳をそばたててみると、「うーん」とうなる声がするだけでその他の物音がしない。
(呻いているのか!?
大変だ!)
「シヅク!!」
チャンミンは鋭くドアをノックする。
「大丈夫か!?
開けるよ!」
シヅクの返事を待たずにチャンミンはドアを開けた。
「あっ!
こら!」
「シヅク...」
便座に腰掛けたシヅクを前にチャンミンは、ほっと息をつく。
「よかった...」
「あのなー、レディの用足し中を覗くなんて!
私がパンツを下ろしてたらどうすんだよ!?」
「10分も出てこなかったら、心配するだろう?
倒れてたらマズイと思ったんだよ」
シヅクの指摘に顔を赤くしたチャンミンは、シヅクを睨みつける。
「もう済んだ?」
「う、うん」
シヅクの背中とひざ下に腕を回して、チャンミンはシヅクを抱え上げた。
「下ろせ!」
「うるさい」
(トイレの往復にお姫様抱っこだなんて、恥ずかしい!)
「歩けるってば!」
「その足じゃ無理だろう?」
「う...」
シヅクをベッドに寝かすと、チャンミンもシヅクの隣に横になった。
(おいおい、一緒に寝るつもりか?)
さも当然かのように行動するチャンミンの行動に、シヅクはぎょっとしつつも新鮮な気持ちになる。
(そうだった。
チャンミンはちょっとズレてる君、だった)
「朝までここに居ても、いい?」
「え...?」
「欲しいものや、やって欲しいことがあったら、いつでも僕を起こしてよ」
鼻先までかぶった布団の端から、チャンミンの丸い両目がシヅクをまっすぐに見つめていた。
「よしよし」
思わずシヅクは手を伸ばして、チャンミンの頭をくしゃくしゃにする。
「子供扱いするのは止めて欲しい」
「あははは」
(この子を大事にしてやろう。
チャンミンの気持ちを、しかと受け止めよう)
「ねえ、シヅク」
「何?」
「シヅクの足のこと...教えてくれるかな?」
「は?」
「シヅクのことをいっぱい知りたいんだ。
僕に教えて?」
(他人に無関心なチャンミンが、私のことを知りたいだって。
感動する...)
「なんで?」
「シヅクのことが好きだからに決まってるだろう?」
「......」
(ストレート過ぎる。
へぇ、チャンミンの本来のキャラって、こんな風なんだ)
「大したことないよ。
怪我をしただけ」
チャンミンはじぃっと、言い渋るシヅクを真剣な顔で見つめている。
詳しい話を聞くまで絶対に目を反らさない意気が、びしびしとシヅクに伝わってくる。
(そうだよなぁ、チャンミンは何も知らないんだよなぁ。
話したって構わないよね。
適当なことを言ってあしらうわけにもいかない)
「子供の頃、事故に遭ったんだ」
チャンミンの気迫ある眼差しに負けてシヅクは、語り始めた。
「どんな事故?」
「列車事故だよ。
脱線して横倒しになって、炎上して...酷かったよ」
「......」
「その時に、足をやられたわけ。
命が助かっただけでも幸運だった」
「怖かった?」
「当ったり前だろうが」
「そうだよね、ごめん」
「気付かなかっただろ?
最近の義足はよく出来てるわけ。
ヒールの高い靴は辛いけどね」
「気付いてやれなくて、ごめん。
水に浸かって...冷たかっただろ?」
「あんたに気付いてもらおうなんて、これっぽっちも考えてなかったし、ずっと言うつもりもなかったし」
「ひどいな」
「日常生活で特に困ってることはないし、20年も近く前のことだし、トラウマでどうこうってことはない。
...これで、私の昔話はおしまい」
そう締めくくったシヅクは、寝返りを打ってチャンミンに背を向けた。
「もう寝よう。
おしゃべりするのは、ちとキツイ」
背後からチャンミンの手が伸びて、シヅクの額に当てられた。
「薬が効いてきたのかな。
さっきよりは下がったみたいだね。
もっと冷やした方がいい。
氷を買ってくるよ」
チャンミンはベッドを抜け出して立ち上がった。
「...チャンミンの方は、頭痛は大丈夫か?」
「え?」
「大丈夫か?」
シヅクの質問に、チャンミンはすっかり氷が溶けてしまった洗面器を両手で抱きしめる。
「ねぇ、シヅク」
「ん?」
「タンクの上で、僕が言いかけていたことなんだけど...」
「うん」
「ひとつは、シヅクのことが好きだって言いたかったみたいなんだ。
あの時は、うまく言葉にできなかった」
「うん」
「もうひとつは...僕の悩みというか。
僕には相談できる人いないからね。
シヅクしかいないんだ...だから、話してしまうけど」
(そうだよ。
そのために、私はチャンミンの側にいたんだよ)
チャンミンが自分に話そうとする内容が、なんとなく予想がついたシヅクは身を固くする。
「シヅクが足のことを教えてくれただろ?
子供の頃のこと」
「うん」
「それから、シヅクのことを知りたいって、言っただろ?」
「うん」
「僕も、自分のことをシヅクに教えてあげたいんだ。
シヅクはどう思っているかは分かんないけど、さ」
「......」
「思い出せないんだ。
子供の頃だけじゃなく、つい数年前...いや、1年前のことすら思い出せない。
まるで僕には過去がないみたいなんだ」
「...うん」
「頭が痛いのも、脳に何か腫瘍があるのではと疑った。
でも、検査では異常はないし、処方された薬も調べてみた限りでは特別なものじゃなかった。
何かを思い出そうとすると、ひどい頭痛に襲われるのは事実で...」
「そうか...」
「もっと詳しい検査をすれば原因はわかるかもしれない。
多分、僕の頭は何かしら問題を抱えているのは、確かなんだ。
ねえ、シヅク。
笑わないでくれよ。
...僕は少しずつ忘れていっているんだと思う」
「チャンミン!」
シヅクはがばっと起き上がり、瞬間ぐらりとふらついて駆け寄るチャンミンに支えられた。
「寝てなくちゃ、駄目だよ」
「忘れていっているなんて、そんなんじゃないって」
「どうしてシヅクに分かるんだよ?
僕が鮮明に覚えていることといえば、ついこの間以降なんだ。
シヅクと話をするようになってからのことだよ。
あとはうすぼんやりとしている。
思い出そうとすると、ずきずきと頭痛がする。
だから、思い出すことは避けているんだ。
おかしいだろ?」
「そっか...。
それは辛いね」
シヅクはチャンミンの頭をくしゃくしゃと撫ぜたが、チャンミンは「子供扱いするな」とシヅクの手を払いのけなかった。
「検査で異常なしなら、急を要するような事態にはなっていないって。
精神的なものかもしれないし、な?」
シヅクの肩に額をあずけたチャンミンの頭を、シヅクは撫ぜ続けた。
「よしよし。
私も調べてみるから。
あまり思い煩うなよ。
しばらく様子をみようよ。
私に話してくれて、ありがとうな」
シヅクはじっとしているチャンミンを覗き込む。
「もう寝ようではないか?
遭難しかけたからな、私たちは」
シヅクはベッドに横たわり、腰掛けたままのチャンミンの手を引っ張った。
「チャンミンも、ねんねしなさい」
「子供扱いするな」
「私のおっぱいを触っていいからさ」
「!」
チャンミンの視線が瞬時に、シヅクの胸元に移る。
「冗談に決まってるだろうが?」
「僕をからかうなって」
と不貞腐れながらも、チャンミンはシヅクの隣にもぐり込む。
「知ってるか?」
「何を?」
「私たちは、『恋人同士』なんだぞ?」
「!」
(やっぱり、無自覚だった)
「『私はあなたが好き』『僕もあなたが好き』...で終わりなのか?
それでいいのか?」
「......」
「恋人同士なら、互いの想いや体験を共有し合っていくものなんだ。
昔のことを思い出せなくたっていいじゃないか。
これから思い出を作っていけばいいじゃん。。。あれ、私ってばクサいこと言ってるな、ははは」
「そっか!」
「それにさ、私らは『恋人同士』になったんだから、一緒の布団で寝るものなの」
「うっ...」
「今夜の私は、具合が悪すぎるから、アレは出来ん」
「うっ...」
(一応、知識としては知っていたか...。
どうしてもチャンミンをからかってしまう)
「おっぱい触るくらいなら、いいけどな」
「シヅク!」
「ごめんごめん。
じゃあ、手を繋ごうか?」
「うん」
間もなくチャンミンのまぶたは閉じたままになった。
(やれやれ。
看病する側が先に寝てどうするんだよ)
ベッドサイドに置かれた冷却シートを貼りかえながら、シヅクは熱い息を吐いた。
(こういうとこが、チャンミンらしいんだけどね)
TIME第2章終わり
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