~君が遠い~
~ユン~
ゆるいパーマをかけたプラチナ色の前髪を、アシメトリーに分けて髪飾りで留めていた。
秀でた白い額が顕わになって、意志の強そうな目元が強調された。
キャンドルが作る濃い影が、民の鼻筋とくっきりと結ばれた唇を浮かび上がらせていた。
化粧など一切、不要だった。
透明グロスすら付けていなかった。
それでいい。
丹念なメイクを施した女たちとは雲泥の差だ。
民は男と女の両方の色気を兼ね備えている。
ワンピース姿でそのことが如実に露わになった。
儚げな美しさだけでなく、俺を見る瞳が綺麗過ぎて胸をつかれる。
さんざん女も男も振り回してきた俺が、うろたえてしまうほどの透明さだ。
せっかく見つけた有能なアシスタントを失うのは痛い。
民の能力に期待していなかったところ、意外に事務能力が高いことに驚いたからだ。
まてよ...失う必要はない、か。
公私ともに可愛がってやればいいだけだ。
思わせぶりな言動で動揺するこの子をもっと見ていたいが、生ぬるいことはすっ飛ばしてそろそろ本気を出そうか。
この子は恐らく...未経験だ。
怖がらせないように、慎重に事を運ばないといけないな。
民の横顔を盗み見る。
本人は気付いていないだろう。
額から鼻先まで美しいラインを描く横顔が、どれだけ美しいのか。
粘土の塊から人体を無数に形作ってきたから、よく分かる。
今すぐ民の頭の形を両手で確かめたくなったが、あいにく運転中だし、早速民を怖がらせてしまうから、代わりにハンドルを固く握りしめた。
~民~
バッグの留め具を指先で開け閉めしながら、緊張を解こうと深呼吸をした。
何を話せばいいのかな。
精悍な横顔を見せてハンドルを握るユンさんを横目で見た。
対向車のヘッドライトが、ユンさんの彫の深い顔をなめていく。
時折眩しそうに眼を細めている。
家族の話じゃ、子供っぽいよね。
趣味の話...といっても、私には趣味がない。
どうしよどうしよ!
子供時代の頃の話...?
つまらないよね。
セーラー服の下はズボンだったんです、バレンタインはあげるより貰う側だったんです...なんて、自虐ネタは痛すぎる。
そうなの。
私ってば、自分で自分のことを「男みたい」って呪文のように唱えていたんだ。
コンプレックスの塊である自分の身体を持て余してた。
こんな自分が嫌いだった。
ワンピースが似合わないのも、当然。
私の女の部分をこれまで磨いてこなかったんだから。
自分のことを自虐る女なんて、ユンさんは好きじゃないだろうな。
だって、いつも自信に満ちた人だから。
チャンミンさんの話は、どうかな。
世の中に、自分と同じ顔をしている人が2人、3人だっけ?居るという話を聞いたことがある。
チャンミンさんはまさしくそのうちの1人で、怖いくらいにそっくりだっていう話。
私とチャンミンさんを並べてみたら、ユンさんもびっくりしますよ、って話そうかな。
どうかな。
耳の上で留めた髪飾りを、指で触れる。
昨夜、KさんとAちゃんが即席で作ってくれたもの。
シンプルなヘアピンに 透明なクリスタルビーズを繋いで作ったお花に、造花の小さな葉っぱが添えてある。
とっても可愛らしくて、嬉しくなった私は2人に抱き着いてお礼を言った。
ユンさんの車は大きくて、座り心地がよくて、静かだった。
低いエンジン音が心地よく響いていて、アルコールでぼうっとした私は眠ってしまいそう。
「眠い?」
あくびをこらえているのがユンさんにバレてしまった。
信号待ちで停車させたユンさんは、くすっと笑った。
「ひゃっ」
ユンさんの大きな手が、バッグの上の私の手に重なった。
「冷たい手をしているね」
思いっきりビクッとしてしまって、ユンさんは笑い声をたてた。
「そんなに驚くことかい?
傷つくなぁ。
俺みたいなおじさんは気持ちが悪いかい?」
「いえいえ」
「気持ち悪いなんてとんでもない」と首を振ったら、私の頬がユンさんのもう片方の手に包まれた。
「ひっ!」
「怯えすぎだよ」
「いえいえ、そんなつもりは...!」
ユンさんのさらりと乾いた手のひらは温かくて、思わず頬をこすりつけてしまいそう。
膝が震えていた。
ユンさんの指先が私の耳を挟むように髪の中へ滑り、うなじまで移動するとぐいっと手に力がこもった。
力づくじゃないの。
その動きはとても自然で、あっという間に私の顔はユンさんの方へ引き寄せられていた。
ユンさんの黒くて美しい目が、間近に迫っている。
この先を察した私は、ぎゅっと目をつむった。
斜めに傾けられたユンさんの顔がもっと近づいて、ふわっとユンさんの唇が私のものにあたった。
ムードぶち壊しだけれど、心の中で私は「ひぃー!」って叫んでたの。
キス!
キス、ですよ!
私、ユンさんとキスしてるのよ!
嘘でしょう!
信じられない!
もうダメ。
心臓が壊れてしまう。
ユンさんは私から顔と手を離すと、車を発車させた。
ユンさんの手の平と私の頬の間で温められた空気が、ふっと逃げて行ってしまった。
「......」
私の身体はユンさんの方を向いたまま、しばらく硬直していた。
「そこまで驚くことかい?」
前を向いたままユンさんは、苦笑した。
「......」
驚くに決まっているでしょう!
「このまま真っ直ぐ家まで送ればいい?
それとも、どこかに寄ろうか?」
「あ、あのっ」
「ん?」といった風に、ユンさんがこちらを見た。
「おしっこ...おしっこがしたいです」
「!」
わー!
わー!
なんてことを口にしてんの!
頭がおかしくなってる!
ユンさんとのキスで、頭のネジがとれちゃったんだ!
おしっこって...おしっこって...。
ばっかじゃないの!?
お子様じゃないの...。
泣きそう。
穴があったら入りたい。
「あははは!
気付いてやれなくて悪かったね。
カフェに寄ろうか?
民は甘いもの、好きだろう?」
ユンさんが私のことを呼び捨てで呼んだのに。
恥ずかしさでいっぱいだった私はこくこくと頷くのが精いっぱいだった。
ユンさん、彼女がいるのに私にキスなんてして、いいんですか?
(つづく)
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