(44)NO? -第2章-

民は帰社するチャンミンを見送ると、地下駐車場までスロープを下りて行った。

予想通り、リアが運転する車は未だ戻ってきていなかった。

民は少しの間リアが戻ってくるのを待とうと、車止めに腰を下ろした。

カップに残ったミルクティを飲み干し、バッグから携帯電話を取り出した。

 

『今夜、私を抱いてください』

 

タイトルもその他のコメント無しで、送信した。

 

(ぶったまげるだろうなぁ。

我ながらの大胆発言。

でも、後悔していないし、本気の気持ちだ)

 

今日1日で、「このままじゃいけない」という危機感に民は襲われたのだ。

 

民の理想は、交際2週間。

 

チャンミンとかつてした恋人ごっこで、2週間という目安が民の中で出来上がった。

だからといって、恋愛初心者かつど天然だからと、馬鹿みたいに2週間にこだわっているわけじゃない。

慌てるチャンミンが面白いのと、いつか自分とチャンミンさんが『そういうこと』をいたすだろうと想像するともう...恥ずかしくて恥ずかしくて。

チャンミンが思うほど民は初心ではないし、仮にも彼女は大人の女性だ。

民はインターネットに繋ぎ、『初えっち いつ』をキーワードに検索をかけた。

ヒットしたうち1つでは、初えっちまでの理想期間は、男女ともに1か月未満とある。

 

「......」

 

誰かと交際した経験がない民は、憧れて一方的にキャッキャする経験は豊富でも、相互関係に発展した後については無知だ。

地元に友人はいないこともないが、彼氏がいる報告をしたら驚かれて、面白がられて、現地で話の種にされるのがオチ。

民は人の意見や世の中の平均値は無視することにした。

地下鉄の中でパッと浮かんだ決意に従うことにした。

 

(焦ってるんでしょ?

...うん、焦ってる。

女の人が増えてきて、焦ってる。

チャンミンさんが誰かに獲られたら、困る)

 

 

その後、民は駐車場で15分待ってみたが、リアは戻ってこなかった。

リアの発言に腹を立てた民は、借りた車のキーをリアに押し付けて、放置してきたのだ。

リアのお守りは、上司ユンからの指示で、リアは上司ユンの元恋人だ。

 

(内容はともかく、あれは仕事のひとつなのに...放り出してきちゃった。

ユンさんになんて言い訳をしよう...)

 

諦めた民は足取り重く、ユンのアトリエ直行のエレベータに乗り込んだ。

 

 

「おかえり」

アトリエに顔を出した民に、ユンはにこやかに声をかけた。

 

「あの...すみません。

私だけ先に帰ってきてしまいました」

民が頭を下げると、ユンは「ひとりで自由にやりたいとか言って、民くんを先に帰したんだろう?」

 

どうせ後になって、リアから告げ口されるだろうからと、民は正直に話すことにした。

 

「いいえ。

私からリアさんを置いてきたんです。

いっぱいいっぱいになってしまって...。

車も置いてきてしまいました」

 

民の言葉にユンは大笑いした。

 

「すみませんでした...」

「さすがだね。

リアは我が儘な奴だから、突き放す態度も必要なんだ」

 

(生活はユンさんの家でしていても、リアさんにはチャンミンさんと暮らしていた部屋がまだある。

ユンさんは知らないんだよね、リアさんがチャンミンさんと付き合っていたこと。

ユンさんに捨てられたからと言って、チャンミンさんとやり直したいだなんて...リアさんは、強者だわ)

 

ユンは髪を後ろでひとつにまとめ、ラフな格好に着替えていた。

丸ノコを手にしており、床には木くずが散っていた。

彫刻作品の土台を作っていたようだ。

民の視線に、「民くんとチャンミン君をモデルにする予定作品の土台だよ。

今週末からスケッチを始めるから、君たちはこの土台の周囲でポーズをとってもらおうと考えている」と説明した。

 

「...はい」

 

ユンは未だ階段の上がり口に立ち尽くしたまま、不安げな表情をしている民に近づいた。

そして民の頬を撫ぜようとした瞬間、民はパッと顔を背けた。

 

(やっちゃった!)

 

本心があからさまに出てしまった行動に、民は冷や汗が流れる思いだった。

ユンはしばし、民の顔をしみじみと眺めていたが、ぷっと吹き出した。

 

「民くん、驚いたよ」

「?」

「チャンミン君と付き合っているそうだね?」

「!!!!」

「君に恋人がいることは知っていたが、まさかチャンミン君だとはね」

「え...えっと、えっと...どうして知っているんです?」

「内緒にしたかった内容だったのかな?

もしそうなら、知らないふりをしていればよかったね」

「チャ、チャンミンさんに?」

「ああ、彼から聞いたよ」

「!!!!」

 

(チャンミンさん!

メールを読んでいなかったんですね!)

 

民の顔は真っ赤になっていた。

 

 

民は帰りの電車の中で、初エッチのタイミングについてのネット情報をさらに読み込んでいた。

 

『積極的過ぎると男性の興奮度は下がります』

 

(抱いてください、ってメール送っちゃった...チャンミンさんは喜ぶどころか引いてしまっていたりして...。

いいえ、それはないはず。

メールではウキウキっぷりが伝わってきたもの)

 

夕方、チャンミンから待ち合わせ時間を問うメールがあったのだ。

 

『交際して直ぐにエッチをしない彼は、自分本位ではなく、相手のペースや空気を読む、人付き合いがうまいタイプです。

中性的な感性を持ち、細かい気遣いや共感ができる性格が多く、女性にとっては付き合いやすい存在です。

一方で、空気を読みすぎて決断が苦手だったり、ここぞというときの男らしさやリーダーシップに欠けていたりするのが彼の短所です』

 

(あ...チャンミンさんっぽい)

 

『長く付き合ってもなかなか結婚を切り出さない男性は、このタイプに多いです』

 

(...そうなんだ。

私たちには結婚なんて早い早い。

目下の心配ごとは、初エッチですよ!)

 

彫刻の土台作りに時間がかかり、アトリエを出るのがいつもより遅くなってしまった。

 

待ち合わせ時間は20:00。

 

帰宅して着替えて、お泊りグッズを用意するのでぎりぎりだ。

 

(僕んちで入りなよ、って言ってたから、お風呂の心配はなし。

“あの”パンツはその時に穿こう...)

 

「......」

 

(きゃあぁぁぁぁぁあ!!!)

 

両手で顔を覆った勢いのよさに、左右の乗客が民に注目した。

 

(つづく)