週末のチャンミンのルーティンは、このような感じだ。
早朝5時に目覚めたチャンミンは、着替えのために地階の自室に戻り、雑役の仕事にとりかかる。
俺が朝食を終え、学校の課題を仕上げた頃に、一仕事終えたチャンミンは部屋のドアをノックする。
それから夕方まで、裏手の山道を下りた先の下町を散歩したり(チャンミンの製造工場が建っている辺り)、街まで買い物に出掛けたり。
気候がよくなると、湖で魚釣りの真似事をすることもあった。
湖面できらめく光は春先と比べて鋭さを増し、目を細めていないとくらんでしまいそうだった。
『真似事』と言ったのは、桟橋から水中を泳ぐ魚が何匹も確認できるのに、俺の釣り針には1匹もかかってくれないから。
獲れるあてのない釣り糸を落とす俺の隣で、チャンミンは小難しい顔をして読書をしていた。
「ユノの殺気を感じるんでしょうね」と、チャンミンは笑った。
屋敷の図書館の本はあらかた読み尽くしてしまったというから、街の本屋に依頼して、取り寄せてやっていた。
無言であっても、時を共有し合っている今この時を俺たちは楽しんでいる。
日がかげる頃になって、俺はカラのバケツを下げ、チャンミンは読み終えた本を抱えて屋敷へと戻る。
まばたきのスピードで軽いキスを交わす時もある。
俺たちの週末はこのように大きなイベントなど無く、ゆるゆると静かに過ぎてゆく。
学校では陽気でバカ騒ぎする俺の素顔は、騒がしさから離れた時に居心地の良さを感じるタイプらしい。
この性質はチャンミンに似ざるを得なかったとも言える。
・
昨夜の俺たちの会話は、恋人同士なのにどことなく遠慮しがちだった距離間を、一気に縮めてしまう際どい内容だった。
一線を超えるか超えないかの境目だ。
チャンミンの昂ぶりに直に触れることを許され、俺はもっと深みにはまりこみたかった所を父に邪魔された。
戻ってみるとチャンミンは既に眠りについていて、俺は仕方なく、彼を抱き枕にして横たわったのだ。
欲を煽られて、チャンミンの肉体を強く意識する前に、疲労感がどっと押し寄せてしまい、俺はすぐに寝入ってしまった。
...昨夜はそれでよかったのかもしれない。
究極の部分で繋がることができた時、俺はどうなってしまうのだろう。
本心を明かすと、望んでいたことなのに、いざ目の前に差し出されると怖気ついてしまっていた。
・
翌朝、目覚めると隣で眠っているはずのチャンミンが消えていた。
空っぽの傍らに、残念さと寂しさが寝ぼけていた頭がしゃん、と目覚めた。
チャンミンに誘われ、彼の身体に触れる...こうあって欲しいと願いが見させた夢の世界なのかもしれない、と思いかけた。
手を滑らせたシーツに、ほのかに温もりが残っているような気が...。
すると、薄暗かった部屋に光の筋の縞々がさっと現れ、窓際に顔をむけた。
逆光に立つ者のシルエットは、チャンミンのものだ。
「よかった...」
「おはようございます」
一度部屋に戻って 洗面を済ませ、着替えてきたらしく、ぴしりと身だしなみは整っていた。
「...『よかった』って何がです?」
「あ~も~、びっくりしたぁ」
ベッドに横倒しになった俺に、チャンミンは慌てて駆け寄ってきた。
予想通り、チャンミンからシャワーを浴びたてのと石鹸の香りがした。
「何がです?」
「起きたらチャンミンがいないんだもの。
ショックだったんだ。
ゆうべ、あんなことしたのに、チャンミンだけいつも通りだったらガッカリだなぁ、って」
直後、チャンミンの顔が、ボン、っと爆発音が聞こえてきそうな程、瞬間的に真っ赤になった。
「そういうこと、言わないで下さい」
チャンミンは両頬を押さえて、くるりと後ろを向いてしまう。
「本当のことを言っただけでしょう?
恥ずかしがることはないさ」
「......」
「普通の恋人同士だったら、みんなやっていることだよ。
それにしても...チャンミンは大胆だったなぁ」
「あれは...夜限定なのです」
「じゃあ、朝はダメなの?」
「......」
「ふふっ。
チャンミン、おいで」
チャンミンの腕をひいて、強引にベッドに座らせた。
「もしかして...ここ。
自分で触ってみたこと...ある?」
チャンミンのソコを視線で指し示すと、彼は目をまん丸に見開き、激しく首を振った。
「ないです!
全く。
触るのはユノが初めてです!」
そう言ってチャンミンは、わっとベッドに伏せてしまった。
「うん。
そうだろうね」
「そうですよ。
信じて下さいね」
「イヤだった?
俺に触られてイヤだったならば、二度と触らないからさ」
「......」
「昨夜は触っちゃってごめんね。
イヤだった?
もう触らないからね?」
「...イヤじゃなかったです」
顔を伏せたまま、チャンミンはモゴモゴつぶやいた。
「え?
聞こえない。
何て言ったの?」
からかうつもりがなくても、オーバーなくらいの反応を見てみたくて、チャンミンが恥ずかしがることを口にしてしまう。
「......」
「チャンミンがイヤがあることをしてゴメンね。
直接触ったりなんて、絶対にしないからね」
「イヤじゃないです!」
チャンミンは身体を起こすと、「朝食の用意に行ってきます!」と宣言して、部屋を出て行こうとした。
からかい過ぎて、いよいよチャンミンを怒らせてしまった。
「チャンミン、ごめん!」
俺は素早くベッドを下り、チャンミンを追いかけ背後から抱き捕まえた。
「俺のことムカついた?
チャンミンが可愛くて...しつこく言ってごめんね」
「...怒ってませんよ」
「ホントに?
じゃあ、今夜も触らせてくれる?」
「...いいです...よ」
チャンミンはコソコソ声で答えた。
「朝食はお部屋で召し上がりますよね?
ワゴンを持ってきます」
俺の腕の中からするり、と抜け出すと、チャンミンは部屋を出て行った。
・
「ユノ兄さん」
呼び止めたのは少女型アンドロイドだった。
昨夜は顔を合わせただけで、一言も言葉を交わせずにいた。
彼女は立ち止まり、会釈をすると微笑んだ。
その笑みは、控え目で礼儀正しく、身分をわきまえたものに感じられた。
俺も会釈を返す。
「ユノ兄さんご挨拶が遅れまして申し訳ありません」
『ユノ兄さん?』と呼ばれたことに、引っかかるものはあった。
母さんにとって少女型アンドロイドは念願の『娘』で、俺の『妹』なのだから、『兄さん』と呼ばれて当然か。
「えっと...?」
俺の問いかけの視線に応えて、彼女はワンピースの裾を摘み片膝を軽く折ってみせた。
「自己紹介も遅くなりました。
わたくしは『ユナ』と申します」
「...えっと...うん、よろしく」
男子校で学び、日常的に接する女性といえば母さんと使用人くらいだった俺は、しどろもどろになってしまった。
女性に...特に若い女性に...免疫がないとは、こういうことを言うのだろう。
玄関ホールが騒がしくなった。
「失礼します」
ユナはもう一度会釈をすると、エレベーターホールへと駆けて行った。
母さんのサロンに招待されたご婦人方の到着だ。
彼女たちは、香り高いお茶と甘い菓子を嗜みながら、母さん自慢の『娘』を褒めたたえにきたのだ。
『養女をとりましたの』と紹介しているのだろうか。
別に...俺には関係のない話だ。
(つづく)