フロントで記帳し、館内のサービスについて説明を受ける間、俺たちはずっと指を絡め合っていた。
「ご予約されたお部屋はダブルルームで...」
ダブルルームをとった若い男2人組に対して、フロントマンは終始涼しい表情で職業的に対応した。
ところが気配を感じ振り向くと、ティールームの方から奇異の目で俺たちを盗み見するグループがいた。
彼らは俺と視線が合いそうになって、慌てて目を反らしていた。
(やっぱりね)
世間に疎い俺でも、今の反応は想定内だ。
知識や経験がなくても、俺たちは一般的じゃないことくらい常識的に分かっている。
チャンミンも敢えて口にしていないだけで、自分たちは世間からどう見られがちなのかは、分かっていると思う。
しかし、分かっていることと、実際に体験することとでは、大違いだ。
だからこそ俺は、今の好奇の視線にチャンミンが気付かないでくれと願った。
俺は鍵を受け取り、案内も断って、チャンミンの手を引いてフロントを離れた。
チャンミンは、俺に強く腕を引っ張られたせいでつまづきかけ、俺は素早く彼の腰を抱きとめた。
やはり、背後で冷やかしの息をのむ気配がした。
エレベーターの扉が開くなり、俺たちは逃げるように乗り込んだ。
・
ここは、高校生という身の丈より少し背伸びをしたクラスのホテルだ。
いつか、チャンミンと大人な関係を結ぶ時、その場所は屋敷ではなく外がいいと、それとなく探しておいたところだった。
まさかこんなに早いタイミングで訪れるとは思いもよらなかった。
城のような屋敷に住んでいるからといって、湯水のようにこずかいを貰えるわけではない。
でも、今日だけは特別だ。
俺は元々派手好みではないし、チャンミンとの将来を意識してからずっと、月々銀行口座に振り込まれるこずかいに手を付けずにいた。
特別な夜にしたいから、チャンミンのエスコートに17歳のガキなりに背伸びしている。
・
チャンミンには内緒にしてきたことがあった。
少し前から、新聞に掲載される空き物件情報を、目を皿のようにして探していたことをだ。
何軒かの不動産屋に問い合わせてもいた。
部屋を借りる費用や当面の生活費については、小遣い用に渡されていた預金でなんとかなりそうだ。
それ以降は、働けばいい。
社会経験がゼロな俺だが、その気になれば...チャンミンの為なら頑張れると思った。
大学へ進学せず、チャンミンを連れて家を出て働くつもりでいたのが、昨夜の父さんとの会見を経て計画変更だ。
親のすねをかじるのは気が進まないけれど、チャンミンには快適な暮らしを用意してあげたい。
プライドを捨て、利用できるものは利用し...こういった狡さも身に付けないと、大人になれないと実感するようになった。
・
室内は冷房がよくきいていて、肌の火照りがすっと引いていった。
「あー、疲れた~」
俺はバッグをベッドに放り投げ、履いていた靴も脱ぎ捨てた。
行儀のよいチャンミンは部屋に入るなり、浴室やキャビネットの引き出し、クローゼットの扉などを確認して回った。
俺はうつ伏せの姿勢で、バッグの中身の荷ほどきを始めたチャンミンを眺めていた。
物を片付けるという同じ作業でも、屋敷を離れるとその姿は使用人には見えない。
几帳面で整理整頓好きな恋人が、ずぼらな恋人に代わって身の回りの始末をする。
私物を全て委ねられる信用と親密さがあるからできること。
「よし、と」
荷物は収まる場所に収まり、チャンミンは満足そうだった。
「夕飯の前に、シャワーを浴びますか?
湯船にお湯をためましょうか?」
チャンミンはベッドに横たわる俺の枕元に膝まづくと、「どうします?」と尋ねた。
「待って」
立ち上がろうとしたチャンミンの手首を、ぐいっとこちら側に引っ張り寄せた。
「ユノ!」
バランスを崩したチャンミンは、俺の上へと仰向けに倒れこんでしまった。
「チャンミンは転んでばかりいるね」
「ユノの力が強過ぎなんですよ。
鍛えているのでしょう?」
「ゆっくりしなよ。
疲れただろ?」
俺はチャンミンの前髪を梳いた。
「いえ。
まだまだ動けますよ」
「何もしなくていいんだ。
部屋のドアをノックする奴は誰もいないよ。
2人きりなんだ」
「そうでしたね」
「少しだけこうしていようか?
レストランの予約まで...」
俺は腕時計の文字盤を見せた。
「2時間はゆっくりできる」
「でも...汗をかいたからシャワーを浴びた方が...横になるのなら余計に、着替えないと...」
俺に頭を抱え込まれたチャンミンは、俺の腕の中でじたばたした。
「ユノ!」
「逃げられるものなら逃げてみな」
人間の使役の為に生まれたアンドロイドだから仕方がないけれど、頭の中が『こうすべき』でいっぱいで、さぞ生きづらいだろう。
ベッドのスプリングがギシギシと揺れた。
「わかったよ。
チャンミン様の仰せ通りに、風呂に入って、着替えをして、それから昼寝をしよう。
これでいいだろ?」
「...さま...?
チャンミン『様』?」
チャンミンの動きがぴたりと止まった。
「すみません、我が儘を言ってしまいました」
「ううん、悪いのは俺だよ」
今のは、チャンミンに対してはきついジョークだった。
「『様』って言ったのはね。
俺はチャンミンが大好きだから、チャンミンの為に何でもしてやりたい、ていう意味だよ。
いっぱい我が儘を言って欲しい。
我が儘でいてくれた方が、俺は嬉しいんだ」
「ユノ...」
互いの背中に腕をまわし、男の力で抱き合った。
薄手のシャツを着ただけの背中が熱い。
俺はチャンミンを抱えて一回転し、彼が上、俺が下へと入れ替えた。
その時、チャンミンの爪先がベッドの足元に置いていた俺のバッグに当たり、それはどさりと床に落下してしまった。
「すみません!」
チャンミンは跳ね起きると、バッグを拾い上げた。
俺はふと、タクシーを降りた時に、バッグにぞんざいに突っ込んだ紙袋のことを思い出した。
「ねえ、これだけど。
手を出して」
俺はバッグから紙袋を取り出して、その中身をチャンミンの手にのせた。
「これが何なのか...チャンミンは分かる?」
「いえ...。
何ですか?」
チャンミンは2つの箱を前に、首を傾げている。
「知らないの?」
「はい」
チャンミンは性的な使役のために造られたアンドロイドではないため、挿入するために別個の穴が備わってはいないはずだ。
チャンミンは男性で、男同士で愛し合いたいのなら“そこ”を使うしかない。
チャンミンの“そこ”が人間と同じなら、この軟膏も、もう1つの箱に入っているゴムも必要になる。
頬を赤らめもせず箱を手にしている様子から、どうやらチャンミンは本当に知らないようだった。
「説明書きを読んでみて」
「!」
チャンミンはやっと、これらの用途を理解したようだった。
「今夜、俺たちがやろうとしているコトには、この2つが必要なんだ。
直接...つまりえーっと、むき出しのままで入れるってのがダメなんだ。
ベッドカバーは汚したくないから、チャンミンも付けないといけないね」
「......」
「なぜかというと...。
射精したこと...ある?
あるよね?」
「しゃ、せいですか...?」
初めて聞いたかのように、オウム返したチャンミンは、とぼけているだけだ。
「チャンミンはいっぱい本を読んでいるから、物識りのはずだよ。
射精の意味くらい知っていると思うんだけど?」
「...知ってます。
でもっ...僕には経験がありません」
「えっ!
ホントに?」
「ユノ。
僕はもしかしたら、射精はしないかもしれません」
「え...?」
「その必要がない身体だからです」
チャンミンが言いたいことが理解するなり、彼への憐れみでいっぱいになってしまい、「そっか」とつぶやくしかなかった。
肯定と否定の真ん中の相づちだ。
アンドロイドに子孫を作る能力は必要ない。
必要ならば、工場で製造すればいいことだからだ。
「ここが反応してしまった理由は分かりません。
ユノを欲しいと願う気持ちが強すぎて...」
「チャンミンにもわからないんだよね?
俺といちゃいちゃして、チャンミンの身体がどうなってしまうのか?
確かめてみようよ」
「......」
「出るとか出ないとか、俺たちには関係ないさ」
俺はチャンミンに顔を寄せた。
チャンミンのまぶたが自動的に閉じられる。
キスするかと思わせて、俺はチャンミンの耳たぶを食んだ。
「...っ」
赤く染まったチャンミンの耳元で囁いた。
「チャンミンと一つになれるのなら、俺はそれだけで十分なんだよ。
チャンミンもそうでしょ?」
チャンミンは大きく頷いた。
(つづく)