(6)19歳-初夜-

 

 

金曜の夜に寄宿舎から帰宅し、月曜の夜に寄宿舎へ戻る生活を、中等部から今に至るまで、繰り返してきた。

 

帰宅時間を把握している使用人によって、ドアが開かれた。

 

玄関ホールに吊り下げられたシャンデリアが、暗闇に慣れた眼をくらませた。

 

遅れて音楽と人声のざわめきに包まれた。

 

俺の帰宅に気づいた客の何人かが、「あらあら、大きくなったわね」と近寄ってくる。

 

ここで俺は適当にやり過ごすことなく、微笑を浮かべて挨拶を交わし、社交辞令の会話に応じる。

 

当主の長男として、彼らの名前をすらすらと諳んじることができる。

 

この屋敷も両親も嫌いだが、反発心を露わにするのはただのガキだ。

 

如才なく振舞う賢さも必要なのだ。

 

役目を終えたアンドロイドを手元に置き続けるには、ぐれた我が儘坊主でいられない。

 

結果的にチャンミンを守れなくなる。

 

ホールをざっと見渡すと、今夜の集いには伯父夫婦とその息子二人が招かれているだけのようだ。

 

あのいやらしい叔父とは1年以上会っていない。

 

あの夜以降、告げ口を恐れて俺とチャンミンと距離を置くようになり、新しい勤務先に遠い外国の地を選んだ。

 

従兄弟の1人は若い女性客に夢中になっており、俺に気づいていない。

 

取引先らしい紳士と歓談中の父さんと目が合った。

 

彼の鋭い目力に圧倒されて、目を反らしそうになるのを堪えた。

 

意味深過ぎる長さで俺を見つめた後、父さんは紳士との会話に戻ってしまった。

 

数ミリだけ彼が頷いて見えたのは、俺の存在を多少なりとも認めていると受け取っていいのだろうか。

 

彼とは近いうちに対立しなければならない。

 

「ユノ様!」

 

応接間から出てきたのは、母さんの侍女のTさんだった。

 

「おかえりなさいませ」

 

腕時計で時刻を確かめると、女性陣たちが応接間に移動して歓談する頃合いだった。

 

Tさんはお茶の用意を始めるよう女中に指示を出すと、「お夕食は?」と俺に尋ねた。

 

「まだです」

 

「部屋に運ばせましょうか?」

 

「いいえ。

自分で運びます」

 

俺が使用人に構われるのを極端に嫌っているのを、Tさんは知っているため、すぐに引き下がった。

 

「そうですか。

用意させます」

 

確かに、俺が厨房内をうろつくのは褒められた行為ではないし、女中頭Kに見つかったら面倒だ。

 

「後で受け取りに行くよ。

...?」

 

「ほほほほ...」

 

「この笑い声は...?」と振り向くと、笑い声の主は母さんだった。

 

母さんは、片眉だけ吊り上げ「帰ってたの」とだけ口にすると、俺の前をすっと通り過ぎてしまった。

 

いつも通りの母さんだった。

 

そして、母さんに遅れてやってきた少女をひと目見て、俺は息を飲んだ。

 

「......」

 

彼女が例のアンドロイドか。

 

予備知識がなければ、訪問客の子か、屋敷に滞在中の遠縁の子だと思っただろう。

 

俺は少女の年齢には詳しくないが、チャンミンの言う通り9歳から11歳頃。

 

ストレートの黒髪は腰までの長さで、前髪は額の中央で分けられている。

 

頭を飾る大きなリボンは、母さんが付けたものだと思う。

 

静脈が透けてみえそうな白肌に、一重瞼の目は漆黒色だった。

 

さすがアンドロイド、見た目は完ぺきだった。

 

彼女は無言のまま、俺に向かって軽く会釈した。

 

俺は驚きのあまり、それに応えられずにいた。

 

あまりにも俺に似ていたからだ。

 

そうか...彼女は母さんの娘というポジションなのかと、深く納得した。

 

俺はこの場を立ち去った。

 

 

俺とチャンミンの...主人と使用人を超えた関係性に、少なくともTさんと、厄介なことに女中頭Kは気づいていると予想している。

 

10代も後半になった少年が、役目を終えたアンドロイドにいつまでも執着する姿は普通じゃない。

 

俺とチャンミンは、屋敷内の人目のある場所では距離を保つなど、注意を払っていたが、観察眼のある者なら不審に感じているかもしれない。

 

帰省中は常にチャンミンと過ごしている俺たちに、「もしかして...」の可能性に至っている者も必ずいる。

 

実際の俺たちは、ハグとキス以上のことはしていないのだけれど。

 

俺が予想するに、父さんの耳には既に入っているだろうし、今のところ何の動きもないのは、時期を見計らっているのだと思う。

 

その前に俺の方から行動に移すつもりでいる...今回の帰省中に。

 

 

控え目なノックの音に、俺はドアを開けてチャンミンを迎え入れた。

 

両手に俺の荷物を下げている。

 

「お疲れ」

 

俺はすかさずドアのカギを閉めた。

 

「食事にしようか?

沢山貰ってきたよ」

 

「うわぁ...いいですね」

 

くんくん鼻を動かす子供っぽい仕草が可笑しくて、ぷぷっと吹き出してしまった。

 

「あ~、笑いましたね」と、チャンミンは膨れたふりをした。

 

俺が成長した証なのか、17歳の俺の目には、チャンミンのすべての仕草が可愛らしく映っている。

 

俺が兄でチャンミンが弟になったかのように感じられる。

 

だから、俺の手は自動的にチャンミンの頭を撫ぜている。

 

気持ちよさげにその頭を預ける日もあれば、「子供扱いはしないで下さい。僕はユノよりも年上なんですよ」と本気で膨れる日もある。

 

チャンミンは案外、気分屋なのだ。

 

俺が幼い頃は、穏やかで優しいチャンミンしか見つけられなかったのが、彼の性格や思考回路の複雑さまで読み取れるようになってきた。

 

俺は食事の乗ったワゴンをベッド脇まで引き寄せた。

 

「冷めてしまったけど...。

ここで食べようか」

 

ところがチャンミンは突っ立ったままで、先にベッドに腰掛けた俺をじぃっと見つめている。

 

身体の前で落とした両手を、もじもじとさせている。

 

「そういうことか」と、チャンミンの思いを読み取った。

 

俺は立ち上がり、チャンミンのうなじを引き寄せて口づけた。

 

チャンミンの唇は温かく、柔らかい。

 

薄目を開けてチャンミンの様子をうかがった。

 

突然のキスに、チャンミンの目は大きく見開かれている。

 

俺は唇を離し、恥ずかしいから、閉じて」と囁くと、チャンミンは慌てて目を閉じた。

 

ねだったのはチャンミンの方なのに、初心になってしまうところが可愛らしかった。

 

俺の方だって、チャンミンとのキスもハグも手探り状態でぎこちない。

 

週に1度しか会えず、人目をはばからないといけないためだ。

 

チャンミンを求める感情の火勢が強まった時、彼を真の意味で俺のものにしてしまう欲は鎮火できなくなる。

 

だからどうしても、肉体と行動にセーブがかかる。

 

つまり...あれのことだ。

 

その時は、チャンミンがアンドロイドかどうかなど、問題じゃなくなるのだ。

 

彼は俺にとっての唯一の『男』になる。

 

ひとつになりたくなる。

 

相手が同年代の女子だったら、より大人顔負けのキスが出来ていたかもしれない。

 

それは絶対にあり得ない話...俺は女が大嫌いだ。

 

二度目のキスはやや強引で、唇で塞がれた空洞の中で、俺たちの舌は絡み合う。

 

俺の背はチャンミンの両腕できつく抱きしめられている。

 

俺たちはめり込みそうに密着し合っていて、互いの体温と身体の内部から発する熱で、汗をかいていた。

 

熱い。

 

「...んっ」

 

そろそろ身体を離さないと、止められなくなる。

 

屋敷は巨大で頑丈な造りになっていて、壁も床も分厚く、賑やかな階下の音は、ここまで一切聞こえてこない。

 

カーテンをひいていない窓に、抱き合う俺たちの姿が映っている。

 

俺はある変化に気づいてしまった。

 

変化とは、俺に密着しているチャンミンの前のことだ。

 

俺の身体の中心で、欲の炎が上がった。

 

 

(つづく)

 

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