父さんの眼差しは、鋭くてナイフみたいに怖いんだ。
父さんは厳しく、恐ろしい人で、射すくめられると俺は金縛りに合う。
どの言動が父さんの逆鱗に触れるのか予測がつかなくて、俺はビクビクしていた。
湖に転落し、高熱を出して寝込んでしまったチャンミンを、俺は必死で看病した。
使用人以下のチャンミンを献身的に世話をしたことは、心温まる光景だと見る者もいれば、そうじゃない者もいる。
俺に供された食事のトレーを、使用人階で眠るチャンミンに運んだ。
いけないことをしている認識はあった。
調子の悪くなったアンドロイドなど、捨ててしまえばいいと、屋敷主の父さんをはじめとする大人たちは考えるだろうことを、俺は知っていたからだ。
はっきりと口にしなくても、1年以上チャンミンを側に置いていれば、そういう空気は伝わってくるものだ。
納得がいかない俺は、チャンミンにはどうしようもできない事なのに、納得がいかないとチャンミンに訴え、駄々をこねていた。
「困りましたねぇ」とチャンミンは、俺にも分かる言葉で、なぜ俺とチャンミンとは同等じゃないのかを説明してくれるのだ。
ところが、「とにかく駄目なのです」「とにかく、ユノの方が偉いのです」に終始するだけで、根本的な理由については触れられないままだった。
俺とチャンミンの違いとは、結局何なんだろうと。
俺がこそこそと使用人階を出入りしていることなんて、すぐに父さんの耳に入った。
叱られる理由は、想像がついた。
二度と出入りするなと、頬の2、3発は殴られるかなと覚悟した。
ところが、父さんが腹を立てたのは、チャンミンを使用人部屋に寝かしたままの腰抜けっぷりについてだった。
女中頭Kや侍女Tさんをはじめ、父さん付の従者Uさんにより、高熱を出したチャンミンを俺と同じ部屋に寝かせたらいけないと言うのに従っていた俺だった。
俺の部屋に寝かせれば身近で看病できたのに、それをしなかった。
なぜか?
弱ったアンドロイドを自室にかくまう格好になる。
チャンミンの不安定な身分を知っていたから、彼らの反感を買うような行為は慎もうと思ったんだ。
・
使用人の意向に沿い従った俺に、父さんは落胆し、情けないと言った。
「主の息子のお前にはその力があるはずなのに、情けない」と。
「拾ってきた犬でも猫でも、自分のものにしたいのなら、使用人ごときの意見など無視しろ。
寝床に入れるくらい、可愛がれ。
それが出来ないのなら...」
父さんはそこで言葉を切り、恐ろしいことを口にした。
「殺してしまえ。
中途半端なことしかできないのなら、そんなもの捨ててしまえ」と。
「湖に打ち捨ててしまえばよかったんだ。
分かるだろう、ユノ?
私の目を恐れてこそこそとしかできないのなら、
なぜ、沈めたままにしておかなかった?」
心から恐怖してしまった俺は、おしっこを漏らしてしまった。
俺の腿から足首へと、温かいものがつたっていく。
脇に控えていた従者Uさんは、汚れた絨毯の始末に女中を呼んだ。
さも汚いものかのように俺から目を背けた父さんは、部屋を出ていってしまった。
殴られた方がマシだった。
・
今さら遅いけど、弱ったチャンミンを俺の部屋に運んだ。
もっと早く、こうしてやればよかったんだ。
寒々しい部屋で、チャンミンを一人寝かしていた俺の弱い心が情けなかった。
俺はいっぱい、チャンミンに謝った。
俺は使用人たちに命じて、温かい寝間着や栄養のあるものを部屋に運ばせた。
彼らに対して偉そうな態度をとるのは、初めてだった。
暑いくらいに暖房をきかせ、分厚い布団で震えるチャンミンを包んでやった。
「ごめんね、チャンミン」
チャンミンの首筋に鼻をこすりつけて、俺は謝った。
入浴していないチャンミンからは、彼の濃い匂いがした。
ヒゲも生えていた。
チャンミンはアンドロイドなのに、熱も出すし、お風呂に入らないと匂ってくるし、まるで人間みたいなんだ。
俺はたしかに子供に過ぎないけど、俺の言動ひとつでその後のチャンミンをどうこうできる力を持っていることを、今回の件で知ったのだった。
腰にタオルを巻いた格好でチャンミンが戻って来た。
チャンミンのシルエットを、視線のラインでたどる。
こうまで美しいものがこの世にいていいのだろうかと、怖くなる。
呆けたように見る俺に気付いて、チャンミンは「ん?」といった顔をした。
チャンミンのきょとん、としたそれを、可愛らしいと思うようになったのは、いつ頃からだっただろう。
頼もしくて、チャンミンを見上げるばかりだった。
チャンミンの背に追いつき、対等な力をそなえるようになったのは、いくつ頃だったっけ。
細くしなやかな肢体が、俺の隣に腰掛けた。
シャワー後で赤く火照り、水滴を滴らせた肌を見ると、俺は思い出してしまう。
「あの時は、すまなかった」
「あの時って、何のことです?」
「湖に落ちたとき」
「ああ!
あの時のことですか」
手の平にこぶしを打つ仕草をする奴なんて、滅多にいない。
世に染まっていないところは、今も昔もチャンミンは全然変わっていないのだ。
「すまなかった」
「ユノが謝る必要はありませんよ。
あの時は、油断してました。
...それにしても、死ぬかと思いました」
「死ぬ...」
父さんが吐いた言葉も思い出してしまった。
「ユノのおかげです。
僕を助けてくれました。
看病してくれました。
今でも感謝の気持ちでいっぱいです」
「俺の部屋に寝かしていれば、もっと早く治っていたのに...」
今でも思い出すと、不甲斐ない自分に悔し涙が浮かぶ。
「それが難しかったユノの立場は、分かっていましたよ。
だから、自分を責めないで下さい。
捨てられて当然だったのに、ユノが助けてくれたのです」
チャンミンは、うつむいてしまった俺の肩を、あやすようにとんとんと叩いた。
「真っ赤な顔をして苦しんでいて...。
辛かっただろうに...ごめんな」
「元気になったんだから、いいんですよ。
ユノが飲ませてくれた水。
あれで生き返りました。
美味しかったです」
「そうだったなぁ。
必死だったからなぁ。
俺のファーストキスは、チャンミンだ」
「僕のファーストキスは、ユノです」
くすりとしてしまう。
「今も...飲ませてくれますか?」
悪戯めいた微笑みと上目遣い。
「いくらでも」
ベッドサイドに置きっぱなしのグラスの中身を干すと、チャンミンのうなじを引き寄せた。
口を開けて待ち構えていたチャンミンの中へ、舌と一緒に注ぎ込む。
アルコールで痺れた舌同士が絡み合い、2人の顎に溢れたものがしたたり落ちる。
こぼれたものを、貪るように舐めとり合う。
下になったチャンミンの両足首が、俺の腰に絡みつく。
(つづく)