(3)禁じられた遊び

 

 

 

休日の夕方、俺は友人夫婦を家に招いた。

 

「好きなものをいくつでも選んでよ」

 

「本当にいいのか?」

 

「いいんだ。

必要とする人にあげたいんだ」

 

クローゼットの扉を開けると、彼らが自由に選べるようリビングに引っ込む。

 

彼らの希望に満ちた会話を聞いていられなくて、俺はTVを付けた。

 

サイドテーブルに置いた携帯電話を手に取り、ロックを外すためPINコードを入力した。

 

0218

 

その4桁の数字だけで、胸が切なくなった。

 

リビングを占拠するソファに寝転がった。

 

背が高い俺が思いきり足を伸ばしても、まだ余裕がある大きなソファだ。

 

隣室に顔を出して、楽し気に会話を交わす彼らに声をかける。

 

「コーヒーを淹れようか?」

 

「ありがとう、でもこの後行くところがあるんだ」

 

コーヒーをすすめておきながら、早く一人になりたかったから、断られてホッとしていた。

 

彼らのために俺は、マンションに横付けした車まで荷物を運んでやった。

 

そして、車の色を見て、胸が締め付けられそうになった。

 

暗証番号は、チャンミンの誕生日。

 

「俺たちの身長に合わせないとな」と一緒に選んだソファ。

 

チャンミンが独身時代、乗っていた車の色がワイン・レッドだった。

 

全てが、チャンミンとリンクしてしまって、泣けてくる。

 

玄関、廊下、リビング、洗面所と次々と電気を付けて歩く。

 

家じゅうを明るくするために。

 

「ユノ!

省エネ、省エネ!

使っていない部屋の灯りは消すこと!」

 

チャンミンがここにいたら、小言を言っただろうな、絶対。

 

薄暗いのは怖い。

 

寂しい気持ちが増してくるから。

 

俺は、ダイニングテーブルに置きっぱなしのPCの電源を入れた。

 

辛くなると分かっているのに、見ずにはいられない。

 

フォルダを開くと、大量の写真が画面いっぱい埋め尽くす。

 

撮影日の古いもの順に、並び替えてみた。

 

数年分若い俺とチャンミンとの写真。

 

一緒にいられるだけで幸せで、笑顔で、片時も離れたくなくて。

 

あの頃に戻りたいかって?

 

答えは「NO」だ。

 

左手をかざし、薬指にはめた指輪にじーっと視線を注ぐ。

 

あの頃より、今の方が幸せだ。

 

「今」、はちょっと正確じゃないな。

 

4日前。

 

ほんの4日前までの方が、ずっと幸せだった。

 

フォルダを閉じて、テキストソフトを立ち上げた。

 

しばし目をつむって考えを巡らした後、俺はキーボードをパタパタと打ち始めた。

 

寂しい。

 

俺独りは辛すぎる。

 

 

 

 

パンケーキ・ミックスをボウルに入れた。

 

俺の場合は、目分量だ。

 

「細かい男は嫌われるぞ」

 

きっちりと計量カップではかるチャンミンをからかった。

 

俺の場合、卵も牛乳も、その時々で量が違ってた。

 

「こういうものはな、美味しい物しか入っていないんだから、不味くなりようがないんだぞ」って。

 

卵を割り入れ、冷たい牛乳を加え、お玉でゆっくりと混ぜ合わせる。

 

「洗い物が減るんだから、この方が合理的」って、俺は頑として泡立て器は使わないのだ。

 

大雑把にも関わらず、俺が焼き上げたパンケーキは、それはそれは美味しいんだ。

 

中はふっくらと、表面はちょうどよい焦げ加減で。

 

そのことをチャンミンは悔しがっていた。

 

ふふん、と俺は得意げに笑ってやった。

 

ホットプレートに並ぶ水玉から、目を離さない。

 

俺は無心でパンケーキを焼き続けた。

 

焼きあがったパンケーキを、1枚ずつ積み上げていく。

 

どれくらい積み上げられるか、途中から面白くなってきた。

 

ボウルが空になったので、追加で生地を作る。

 

コンビニまで走って、足りない卵と牛乳を買ってきた。

 

業務用サイズのパンケーキ・ミックスを全部使ってしまった。

 

チャンミンと一緒なら、もっと面白かっただろうに。

 

濃く淹れたコーヒーと一緒に、パンケーキを食べた。

 

その夜は、バターをたっぷり塗って食べた。

 

口の中もお腹も幸福で満たされたのに、俺の心は隙間風だらけだ。

 

寂しいよ。

 

独りで食べても、むなしいよ。

 

 

 

 

帰宅した俺は、玄関、廊下、洗面所、キッチンと順番に点ける。

 

ダイニングテーブルには、パンケーキが積み上げられたお皿がある。

 

電気ポットでお湯を沸かして、紅茶を淹れた。

 

出張土産にチャンミンにあげた紅茶だ。

 

チャンミンは、特別な日だけ...休日の朝に...これを飲んでいた。

 

トースターで軽くあぶった2枚に、メープルシロップをかけて食べた。

 

鼻の奥がツンとして涙が出そうだったけど、それをこらえて、ゆっくりとパンケーキを食べた。

 

食後はパソコンに向かった。

 

それから、寝相の悪いチャンミンのために選んだキングサイズのベッドで、一人で眠った。

 

次の日は、丁寧に入れた緑茶と一緒に食べた。

 

その次の日は、いちごジャムをのせて食べた。

 

その次の次の日は、冷たい牛乳と一緒に食べた。

 

チャンミンはいない。

 

パンケーキはなかなか減らない。

 

使い終わった皿を洗いながら、俺はとうとう泣いてしまった。

 

会いたい。

 

チャンミンに会いたい。

 

 

 

 

チャンミンのことが大切だったから、できる限り彼に寄り添えるよう、心をくだいてきた。

 

でも、チャンミンはここにないものを求め続けていた。

 

そんな暮らしがむなしくなって、「もう沢山だ!」って本心をチャンミンにぶちまけてしまった。

 

絶対に口にしたらいけない言葉を。

 

絶対に彼が傷つくとわかって、敢えて口にしたらところもあったのかもしれない。

 

彼を沢山傷つけてしまった直後、俺は彼を失ってしまった。

 

二度と取り戻せない。

 

後悔しても、もう遅い。

 

彼はもう、戻ってこない。

 

彼とはもう、夢の世界でしか会えないのかなあ。

 

もしそうなら、俺はずっと眠ったままで構わない。

 

彼との思い出が、だんだん遠くなっていくのが怖い...。

 

 

 

 

背後に気配を感じた。

 

「こらっ!」

「いたっ!」

 

急に頭をはたかれて、心臓が止まるほど驚いた。

 

「勝手に僕を死人にするんじゃない!」

 

「チャンミン...」

 

振り返ると、チャンミンがいた。

 

「おかえり!」

 

俺はチャンミンに飛びついた。

 

「ユノ、ただいま」

 

俺に抱きしめられながらも、チャンミンの目は、じーっとパソコン画面の文章に注がれている。

 

「わっ!」

 

気づいた俺は、パソコンに飛びついた。

 

「どれどれ...。

『彼とは夢の世界でしか会えないのかなあ。

俺は眠ったままで構わない』...ふむふむ」

 

「わー、読むな!」

 

パソコンを頭の上に持ち上げた。

 

「ユノ...小説書いてるんだ?」

 

「違うよ!

日記だってば!」

 

こっぱずかしい文章を読まれて、火が出るほど頬が熱くなった。

 

汗も噴き出してきた。

 

「『彼』って、僕のことでしょ?」

 

俺はチャンミンが不在だった10日間の暮らしを、パソコンに書き記していたのだ。

 

最初は、日記調だったのが、思いが深くなり過ぎて、

 

筆が滑りすぎて、『奥さんを亡くして嘆き悲しむ夫』...にまで話が膨らんでしまった。

 

寂しくてたまらない気持ちを吐露したものが、相当にロマンティックになり過ぎてしまった。

 

誰かに見せるなんてとんでもない。

 

書いた当人さえもこんな恥ずかしいもの、読み返せない。

 

「ふぅん。

ユノは、僕がいなくてそんなに寂しかったんだ」

 

「そうだよ...悪いか?」

 

素直に認めてやった。

 

「全部読ませて」

 

「へ?」

 

「プリントアウトして、僕に頂戴」

 

「嫌だよ」

 

「製本して、本棚に飾っておくから」

 

「もっと嫌だ」

 

「ユノと喧嘩したとき、朗読してあげるから」

 

「絶対に嫌だ!」

 

「ケチ」

 

俺も負けていられない。

 

「チャンミン、一度ここに寄っただろ?」

 

「来てないよ」

 

チャンミンが俺からつい、と目をそらした。

 

チャンミンは嘘が下手だ。

 

 

(後編につづく)

 

 

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