(4)「抱いて」とねだった罪

 

あの日を境に、ユノは変わってしまった。

 

ユノの手や腕が何かのはずみで僕の身体に当っただけで、ユノは「ごめん」と謝って身を引いてしまう。

 

僕に告白してくれた日、真正面から僕を抱きしめてくれたのに。

 

弱った僕を案じて泊まってくれたユノの背中に、僕は寄り添って眠ったのに。

 

それ以降、肌の接触はなくなってしまった。

 

僕の髪をぐしゃぐしゃすることも、「ばーか」と言って腕を突くこともなくなった。

 

それがたまらなく寂しい。

 

腫れものに触るがごときで、次第にユノの言動に苛立つようになった。

 

ごめんね、ユノ。

 

ユノは悪くない。

 

ユノをぎこちなくさせてしまったのは、僕に原因があるから。

 

身体の傷も癒えた。

 

心の傷も多分...忘れた。

 

トラウマが残りそうな出来事だったのに、僕の心は別の恐怖に囚われていたのだ。

 

ユノが僕から離れていってしまう。

 

「チャンミンのことが好きだ」と言いながら、ユノが遠くなった。

 

僕を見る目は相変わらず優しいのに、その瞳の中に後悔の色を見つけてしまって、胸がすうすうと寒くなる。

 

ユノの後悔...僕には分かっていた。

 

ユノの告白を境に、これまでの僕らでいられなくなってしまったこと。

 

今まで通りの僕らの仲でいたくても、何かが変わってしまったこと。

 

ユノはきっと、僕に気持ちを打ち明けたことを、後悔しているんだと思う。

 

このままじゃ、僕らは終わってしまう。

 

急がないと。

 

既にユノは、行動に移した。

 

ボロボロになった僕を同情して、つい口走ってしまったものであったとしても、ユノは動いた。

 

次は僕の番だ。

 

 


 

 

以前なら気軽に訪ねていけたユノの部屋にも、足が遠のいていた。

 

「ふぅ...」

 

緊張を鎮めるため、僕は深く息を吐いた。

 

午前6時、携帯電話で時間を確認した。

 

初春であっても早朝は冷え込み、吐いた息が白かった。

 

ユノは隙間時間を恐れるかのように、まるで僕と会いたくないみたいに、2つの掛け持ちバイトに精を出している。

 

S君と同じバイト先を辞め、終夜営業のホームセンターで働いていた。

 

ユノの部屋のドアに背を預け、床に直接座り込んでユノを待っていた。

 

もうすぐ帰ってくるはずだ。

 

ユノと会ってからの言葉を予習する。

 

ユノのことを想うと、ぽっと明かりが胸に灯る。

 

4年間そうだったじゃないか。

 

あんなにもずっと一緒にいたのに飽きは訪れず、会う度嬉しくてワクワクしていたじゃないか。

 

その事実の意味を探っていた...ユノの告白の日からずっと。

 

膝に乗せた手の平を裏に表にとひっくり返して、僕の手を包み込んだ節の太いユノの手を想った。

 

どれだけホッとしたことか。

 

「チャンミン!」

 

膝の間に埋めていた頭を起こした先に、素晴らしく均整のとれた美しい青年が立っていた。

 

褪せたブルーのデニムにグレーのパーカー、カーキ色のMA-1を羽織っていた。

 

なんてことないコーデでもユノが着るとカッコよいんだ。

 

「ユノ...」

 

懐かしく感じてしまうのは、あの日以来ユノとの間に距離が出来てしまっていた証拠だ。

 

ユノの顔を見た直後、心臓がぎゅっと縮こまり、緊張している自分を自覚した。

 

「待ってたのか?」

 

差し出されたユノの手をつかんで、僕は立ちあがる。

 

「冷たい手だなぁ。

風邪ひくだろう?」

 

僕の二の腕を温めようと、ごしごしとさすってくれることがとても嬉しかった。

 

以前は当たり前の行為が、今じゃとても貴重で特別なものに思われる。

 

「ごめん...ユノ...ごめん」

 

「ごめん、って何だよ。

チャンミン...お前、前から変だぞ。

寒いだろ?

入れよ」

 

開けたドアを押さえて僕を先に通すのも、これまでと変わらない仕草なのに懐かしいのは、あの日を境に僕らの関係が変わってしまった証拠なのだ。

 

大丈夫。

 

僕とユノの間に流れる変な空気を...元通りにとは言わない...変えるために僕はユノに会いに来たのだ。

 

 


 

 

「何かあったかいものでも飲むか?」

 

部屋に入ってからのユノは、電気ポットに水を注いでスイッチを入れ、マグカップを出したりと落ち着きがない。

 

「インスタントコーヒーと...ココアと...どっちにする?」

 

ユノの部屋は、バージンをもらってくれとねだった日以来だった。

 

「徹夜で眠くって...コーヒーでいいよな?」

 

あれから一か月が経っていた。

 

「ユノ...」

 

「んー?」

 

ユノが勢いよくカーテンを開けると、朝日のましろい光が射し込んできた。

 

まぶしげに細めたユノの目と、そげた白い頬...ユノは少し、痩せたみたいだった。

 

僕はぎゅっと手を握って、腹の底に力を込めた。

 

「僕をっ...」

 

「?」

 

 

 

 

「僕を...抱いてください」

 

 

「は?」

 

 

上着を脱ぎかけていたユノの手が止まった。

 

 

「僕を抱いてください」

 

「......」

 

 

「抱いて...ください」

 

「...チャンミン...」

 

 

掠れた声だった。

 

 

「..どういうつもりだ?」

 

僕を真っ直ぐ見つめるユノの目が...怒っていた。

 

 

「どういうつもりって...」

 

「俺を何だと思ってるんだ?」

 

 

「ユノはっ...僕の大事な友達で...」

 

「ふぅん。

友達とセックスかよ?」

 

 

「だから、それはっ...」

 

ここに来る前に、頭の中で沢山シミュレーションした。

 

ユノとは4年も一緒にいたから、彼のことはよく分かっていたつもりだった。

 

だから、僕の言葉を受けてユノがどう反応するかも想像ついていたけど、実際のユノの反応は違っていた。

 

 

「チャンミン。

...俺は...道具じゃないんだ」

 

 

「ちがっ...!」

 

 

「確かに俺は、ヤリチンだった。

だからってなぁ...」

 

 

ユノは片手で目を覆ってしまい、絞り出すように言った。

 

 

「だからってなぁ...。

俺にも心がある。

前みたいなことは、御免なんだ」

 

 

「!」

 

 

「なぁ、チャンミン?」

 

覆っていた手を除けたユノの目は、真っ赤に充血していた。

 

 

「俺はチャンミンが好きだ。

好きだよ...好きだけど。

...そりゃないよ...」

 

 

ユノの目は怒っているんじゃなくて、哀しみでいっぱいなんだ。

 

 

そうだ。

 

僕はあの日、ユノを道具みたいに扱った。

 

ユノを悲しませただけじゃなく、ユノの人格を踏みにじる行為だった。

 

4年間のユノとの信頼関係を、一発でぶち壊してしまう罪。

 

無邪気にねだった「抱いて」のひと言は、凶器そのものだったのだ。

 

 

これが僕が犯した、最大の罪。

 

(つづく)

 

 

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