(9)会社員-情熱の残業-

 

 

席について食事をする間も惜しくて、片手で食べられるものを適当に買い込んで車に戻った。

 

気をつけないと、積もった雪で足を滑らせてしまう。

 

「まずいな...」

 

車を離れた十数分のうちに、バンの屋根とフロントガラスに雪が降り積もっている。

 

「...遅いなぁ」

 

俺はイライラとハンドルを指で叩きながら、チャンミンの戻りを待っていた。

 

自動ドアから背の高い男が飛び出してきて、周囲をキョロキョロしている。

 

俺を探しているんだな、ワイパーを動かして雪をかき、運転席から手を振った。

 

「お!」と言った感じにチャンミンの顔が輝き、両手に下げたビニール袋を持ち上げて何かをアピールしている。

 

早く戻ってこいと手を振ると、チャンミンは大きく頷いた。

 

待てチャンミン...無防備に駆けだしたりしたら...。

 

「あ!」

 

すってんころりん。

 

だから言わんこっちゃない。

 

アニメのような、見事なコケっぷりを披露してくれた。

 

チャンミン...すまん...笑ってしまった。

 

「コケちゃいました」

 

てへへと後頭部をかく仕草に、か、可愛い...と胸がきゅんとする。

 

地面にちらばった買い物袋を両腕に抱きしめ、今度は転ばないようすり足で車まで戻って来た。

 

「お待たせしました!」

 

チャンミンは助手席に飛び乗ると、パンパンに詰まった買い物袋を俺におしつけ、コートに付いた雪を払っている。

 

転んだ拍子に乱れたチャンミンの髪にも、雪が積もっていた。

 

それを払ってやろうと手を伸ばしたら、チャンミンは首をすくめた。

 

暑いくらいに暖房をきかせていたから、頭の上の雪なんかすぐに溶けてしまう。

 

チャンミンは首をすくめたまま、目もつむっちゃって、あまりにも可愛かったから、彼の髪を梳く手を止められない。

 

前を通り過ぎた車のヘッドライトが、チャンミンの見開いた眼を舐めていった。

 

俺の手は自然とチャンミンのうなじに移り、その手に力がこもり、自分の方に引き寄せてしまっても仕方がない。

 

チャンミンの唇から5センチの距離で、「嫌?」と尋ねた。

 

「い、嫌じゃ...ないで...す」

 

チャンミンの返事を確かめて、俺は頬を伏せた。

 

一度口づけて、次はチャンミンの唇全体を食むように覆いかぶせた。

 

もう一度離して、チャンミンの上唇を、そして下唇を食む。

 

チャンミンの唇は引き結ばれたまま、固まっている。

 

チャンミンの指がかぎ型に曲げられ、そのまま静止している。

 

緊張しているのか?

 

「キャッ」という悲鳴に顔を起こすと、フロントガラスの向こうで女三人組の視線とぶつかった。

 

男同士のキスの何が悪い。

 

ワイパーを切って、雪が降り積もるままに任せた。

 

チャンミンの唇をこじあけて、舌を入れようか迷ったが、この様子じゃまだ早いかな。

 

きっと、歯を食いしばっているだろうしね。

 

チャンミンはキスの経験がないのだろうか...上手いとか下手のレベルじゃない、キスを受け入れる体勢になっていない。

 

「出発しようか?

時間がない」

 

チャンミンの上に伏せた上半身を起こし、シートベルトを締めた。

 

「ん?」

 

金縛りにあったかのように静止したままのチャンミン。

 

シートに深くもたれたチャンミンの視線は、ぽぉっとあらぬところに向けられている。

 

「おい!」

 

ぐらぐらと肩を揺すったら、「ああ!」と正気を取り戻し、落ち着かなさげに髪を梳き始めた。

 

こりゃ照れてるな、とくすっとしてしまう。

 

「向こうに着くまでノンストップだ」

 

「はい」

 

サービスエリア内を慎重に徐行し、雪が斜めになって降りしきる本線へ合流する。

 

「ユンホさん」

 

「ああ?」

 

「僕たち...キスしちゃいましたね」

 

口に出して言うか、普通?

 

仕掛けた俺の方が、照れてくる。

 

「...したな」

 

「キス...しちゃいました」

 

「ああ」

 

「ユンホさんから、キスしました」

 

「ああ」

 

「僕とユンホさん...2度目のキス...」

 

「ああ」

 

「キスしちゃいましたね」

 

「ああ」

 

「ふふふ。

ユンホさんからキス...」

 

「ああ」

 

「ユンホさん、僕とのキスどうでした?」

 

「いい感じじゃなかったかなぁ」

 

「よかったですか?」

 

「ああ」

 

「僕も...いい感じでした。

ドキドキしました」

 

「そりゃ、よかった」

 

「ふふふ。

キス...しちゃいました...ぐふふふ」

 

チャンミン...しつこい。

 

しつこいけど、乙女のように嬉しそうだし、俺も嬉しいよ。

 

「キス...ふふふ」

 

「おい!

俺たち仕事中なんだぞ?」

 

「わかってますよ。

只今、休憩中なのです」

 

 


 

 

サービスエリアを出て1時間ほど、ぺらぺらとチャンミンは饒舌だった。

 

へぇ...チャンミンはおしゃべりなんだと意外に思って、心のチャンミン録にメモった。

 

話の内容は大したことないが、チャンミンにしてみれば大事件らしく、事細かに説明してくれるのだ。

 

一応、どんな内容だったかをここでプレイバックしてみる。

 

「僕の趣味を披露しちゃいますね」

 

「いいねぇ。

教えてよ」

 

「僕、追っかけしてるんです」

 

「へぇぇ(そんな感じがしたから、意外じゃない)」

 

「追っかけしててハプニングに遭っちゃったんです。

 

誰の追っかけをしてるのか、って訊かないでくださいね。恥ずかしいですから。恋人のユンホさんにも内緒です。秘密がある男って魅力でしょ。だからっていう意味じゃありませんが、いくらユンホさんでも、引いちゃうと思うのでシークレットです。ただのミーハーじゃないですよ。アーティスト性が素晴らしいのです。おっと、こんな話がしたいわけじゃなくて、僕のハプニングです。その追っかけをしてるアイドルのライブがあったんです。あ!アイドルって言っちゃいました。そのアイドルの名前は秘密ですね。言っても多分、ユンホさんは知らないと思います。すごいんですよ、彼らは...あ!アイドルが男ってバレちゃいました。ユンホさん、引かないで下さいね。僕は男だから好きっていう意味じゃなくて、純粋に素晴らしいと思ったから、ファンをしているだけであって、誤解しないでくださいね。彼らとどうこうなりたいなんて、よこしまなことは妄想していませんからね」

 

「前置きはいいからさ、そのハプニング話ってのを教えてくれよ」

 

「おー、そうでした!

先週、ライブがあって行ってきたんです。アイドルとファンとの距離がすごいんですよ。団扇にねメッセージを書くんです。今回は縁に白いファーを付けました。冬ですからね。雪っぽくしてみたんです。彼らはちゃんと見てくれて、目立てば目立つほど見てくれて、指さしてくれるんです。でね、そんな時嬉しくって。次は何を作ろうかなぁって楽しいんです」

 

「で、ハプニングは?

うわ~、降るなぁ」

 

ワイパーを最速にしてもかき切れないべた雪で、前方の視界が悪い。

 

前のめりになっての神経をつかう運転と、一向に本題に入らないチャンミンに若干苛ついていた。

 

「前置きが長くてすみません。

地下鉄の乗り換えの時、バッグを落としてしまいまして、その時トートバッグだったのですが、中身をぶちまけてしまって...。

僕の恥部をさらしてしまったのです」

 

「チブ?」

 

「渾身の団扇を、公衆の面前にさらしてしまったことです」

 

「うわぁ...。

そりゃ、恥ずかしいね」

 

「僕のやってることが、世間一般的に恥ずかしいことだって認識してますからね」

 

「で、ハプニング話って...このこと?」

 

「はい

ユンホさん、ヤキモチ妬かないで下さいね」

 

「ヤキモチを妬く必要が、どこにある?」

 

「彼らもカッコいいですが、ユンホさんの方がカッコいいですからね」

 

「...なるほど...」

 

北工場まで、残り200㎞。

 

 

(つづく)

 

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