(6)会社員-恋の媚薬-

 

(ウメコ...すごいよ。

今まで馬鹿にしてて悪かった。

やった...!

『恋の媚薬』は大成功だよ)

 

「ユンホさん?」

 

「はっ!」

 

現実に引き戻された俺は、頭をぶるぶると左右に振り、ゴツンとぶつかったものに気付いてもっと驚いた。

 

チャンミンがキスでもせんばかりに、顔を寄せていたんだ。

 

近い近い近い!

 

「嬉しくないのですか?」

 

「まさか!」

 

俺は額に浮かんだ汗を手の甲で拭うと、ニカっと笑ってみせる。

 

すると、チャンミンの不安そうな表情が一瞬でかき消えて、にっこり笑顔になった。

 

か、可愛い...。

 

「よかった。

これで僕たちは気持ちを確かめ合いましたね。

カップル成立です。

せっかくのコーヒーが冷めてしまいますよ。

ユンホさん?

どうしました?

具合が悪いのですか?」

 

「ぼーっとしてただけだ」

 

「ふふふ」

 

笑い声が可愛いんだけど...!

 

「お砂糖は何杯入れますか?」

 

脳みそのエネルギーが切れかけていた俺は、甘々な飲み物を欲していたのに、「いらないよ、ブラックで」とカッコつけてしまう。

 

俺は無意味にカップの中身をティスプーンでぐるぐるとかき回し、黒い液体が渦まく様子が、俺の心みたいだ、とぼんやり思った。

 

「了解です」

 

チャンミンはミルクピッチャーの中身を、自分のカップに全部入れてしまう。

 

それから、砂糖をたっぷり5杯も入れて、ティースプーンで丁寧にかき混ぜている。

 

スプーンを持つ手の小指が立っている。

 

「はい、どうぞ」

 

チャンミンは自分のカップを俺の前に置き、俺のカップを自分の方に引き寄せた。

 

「ユンホさんはこっちの方がお好みでしょう?

ふふふ」

 

じわっと感動してしまって、ありがとうが言えずに、「気が利くな」とだけ。

 

すっかりぬるくなってしまったコーヒーをすする。

 

ちらりと隣を視線だけで確認する。

 

ニッコリ笑ったチャンミンと、バチっと目が合ってしまう。

 

無言が辛くて、頭フル回転で話題を探していたら、チャンミンの方が口火をきった。

 

「ユンホさんは、『今夜』、僕のことを好きになったのですか?」

 

いきなり核心をついてきた。

 

「いや、違う。

『今夜』から、じゃないんだ」

 

誤魔化すところじゃない。

 

「ホントですか...」

 

揃えた指先で口元を隠したチャンミンの目が、丸くなっている。

 

「ホントだよ。

この際、正直に言うけどさ」

 

俺はグラスの水を一口飲んで、姿勢を正した。

 

「チャンミン。

お前のことが、ずっと前から...転属になった時からかな。

その時から、気になっていたんだ」

 

ひゅっと音がして、ぐらっとチャンミンが反対側に身体が傾く。

 

「おい!」

 

壁に頭をぶつける間際に、チャンミンの腕をつかんで引き起こす。

 

チャンミンったら、うつろな眼をして、ぽかんと口を開けている。

 

そう、恍惚の表情だ。

 

チャンミンがイッた時って、こんな感じなのかな...って、おい!

 

「夢みたいです...」

 

とろとろの顔をしてチャンミンは、俺の方にしだれかかってきた。

 

さっきから視線を感じていたが、観葉植物の枝の隙間からちらちらと目が合う客がいて、ぐらぐらなチャンミンの身体を垂直に正してやった。

 

「チャンミン。

ここは店の中だ。

変な目で見る奴がいるから、もうちょっと控えめにしてろ。

な?」

 

「その通りですね。

すみません」

 

そう言ってチャンミンは、グラスの水をごくごくとあおった。

 

チャンミンの小さな喉仏がくっくと上下して、白い衿から伸びる長い首が妙に艶めかしく見えた。

 

「...ふぅ」

 

飲み干したグラスをテーブルに戻す仕草からも、育ちの良さが伝わってくる。

 

「今夜は夢のようです。

今死んでも惜しくありません」

 

「おいおいチャンミン、大袈裟だなぁ」

 

「そうですとも。

僕だって、ずっとユンホさんに憧れていましたから」

 

「そ、そうか?」

 

「ええ。

新しい仕事を次々ととってくるし、面倒な得意先との交渉も巧みです。

ま、事務能力はゼロに近いですけどね」

 

「うるさいなぁ」

 

「安心してください。

細かい処理は僕に任せてください。

なんせ、ユンホさんの文字は僕だけが読めます。

すごいんですよ、僕はね、ユンホさんの文字を模写できるくらいです」

 

「嘘!?」

 

「ホントです。

ユンホさんが消去してしまったデータも、僕なら復元できます。

それに...」

 

「それに?」

 

気付けば俺は、チャンミンの言葉を何一つ聞き逃すまいと、身を乗り出していた。

 

「ユンホさん覚えてますか?

一度こんなことがあったでしょう?

上客の契約書が行方不明になった事件が」

 

「あ」

 

フォルダーに挟んだそれを、確かにキャビネットにしまっておいたのに、一日の営業を終えて帰社してみたら消えていた、ということがあった。

 

あの時は大騒ぎだった。

 

翌日シュレッダー行きの書類箱に...それも他部署のものに...紛れていたことが分かって、俺は土下座を免れた。

 

全く身に覚えがなくて、そんな見当違いなところに移動してることが不気味で、犯人捜しをしても罪なだけか、と即忘れることにしたんだった。

 

「あれ、僕が見つけました」

 

「ええぇっ!」

 

「はい。

頭を働かせてみました」

 

コツコツとこめかみを叩いてみせる。

 

「ありがとな」

 

「ふふふ。

そういうわけで、ユンホさんは僕がいないと駄目なんですよ」

 

「うわ~。

はっきり言うんだな」

 

「ホントはユンホさんにお弁当を作ってあげたいくらいです。

さぞかし、栄養バランスが滅茶苦茶な食事をしていそうです。

でも、ユンホさんは外回りですから無理ですよね」

 

「そうなんだよね」

 

チャンミンは丸一日オフィス勤務だ。

 

女子社員が他に2人いるオフィスで、黙々とキーボードを打ったり、電話に出たりしている。

 

営業よりも確かに、数字を扱うものに向いていそうだ。

 

昼休憩はきっと、食堂へ行かずデスクで弁当を広げているのだろう。

 

その姿を想像するだけで、笑みがこぼれる。

 

「ユンホさん」

 

突然、チャンミンはすくっと直立し、俺の手首をつかんだ。

 

「ついてきてください」

 

「え、えっ!?」

 

「いいから!」

 

訳が分からず俺は、ずんずんと先を歩くチャンミンに引っ張られる格好だった。

 

チャンミンに連れられた場所はトイレで、俺は2度目のフリーズしてしまった。

 

 


 

 

 

(つづく)

 

 

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